Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

地方の危惧するところ

2007-08-28 20:24:35 | 農村環境
 課題の多い世のなかであることに違いはなく、気がついてはいてもなかなか動けないほど、世のなかは複雑だし、余裕の無い日々を送っている。

 近ごろ地元の中学の体育館の耐震工事をしているなかで、ボヤがあった。倉庫でボヤがあったようで、耐震工事をしているなかで、その工事の火が飛んだとも言われているが詳細はわたしは知らない。その際、ボヤの元が解らないということで消防が体育館全体に水をかけてしまったと言う。耐震工事をしていて、体育館の床にはシートが敷いてあった。翌日まで予想できなかったのか、シートを敷いてあったものを翌日になってはがしたところ、床は水を含んで波をうっていたという。使い物にならないだろうから、床の張りなおしということになるのだろう。火の原因になった工事を請け負った会社が補償するのか、はたまた町がお金を出すのか知らないが、「火事」という重い事件だから一刻も争うというのなら、直ちに消火作業をしなくてはならないだろうが、ボヤ状態でどこで煙が出ているか解らないから水を全体に掛けてしまったのが良いのかどうなのか、そういう責任は問われないのだろうか。体育館にあったグランドピアノもダメになったようだ。

 妻は〝頭悪いんじゃないの〟というが、実際その現場にいたわけではないから、それに対してのコメントはできない。ただ、いろいろな動きの中で、人の経験というものも風化するし、人の少なくなった空間でどう適切な判断をしていくか、ということはこれからの地方の課題ともなると思っている。何度も言っているから「またか」ということになるが、地方と中央の格差は歴然としてきている。何より頭脳格差、知識格差である。世のなかがあまりにも早く動くからついていけない。そして人口も少ないから多用な情報を分散することもできない。地域空間が広いから、移動する時間も中央に比較すれば無駄だし、目も届かない。そんななかで限られた人たちが中央と同じ空間管理をしていくなんていうことは不可能に決まっている。加えてそんなことに時間をとられるから知識の差は開く。地方の町で頭の良い子どもたちは、みな地域には住まない。おおかたが外へ出て行く。当たり前のことで、そうした知識を、力を利用するような働きの場がない。わたしも含めてそうだが、頭の悪い人しか住まないんだから、さまざまな部分で多用な意見を出せないし、判断もできない。時間があっても〝生涯勉強〟なんていう意識で暮らす人は少ない。

 簡単に言わせてもらえば、戦後の歴史は、どんどん地方は頭が悪くなったということだ。もっとも心配なところは、頭が悪いから①騙される可能性が高まった、ということ。そして②本当にそれで良いのか、という踏みとどまるような意見が出なくなっていることだ。活力がない空間という言い方をすればよいのかもしれないが、これほど多様性を含んでいるのにもかかわらず、地方は多様性に柔軟に対応できていないのだ。そんな地域に、頭の良い中央の人が住み着けば、きっと暮らしやすくてしかたないかもしれない。本質的な問題を理解していない人たちによってかき乱されてしまうことによって、地方はさらなる退廃を続けて行ったらどうなるだろう。それだけが危惧するところだ。
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