Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

今年も草取り三昧

2007-08-12 09:44:33 | つぶやき
 このごろの休日といえは伸びの早い草との格闘のようなものだ。一応ネコの額ほどの畑があって、高級な雑草が育っている。見事な太さである。これが売れればたいしたものだと思うのだが、一銭にもなるはずがなく、ただただ抜かれた雑草がたまっていく。そのままでは再び取った草の根が地面についていて息を吹き返してしまうので、そうならないように息の根を止めなくてはならない。ところが少しばかりの草なら大方は枯れてしまうが、大量に積んでおくと、やはり草同士についている土が災いして息を吹き返すこともしょっちゅうである。なるべくそうならないように常に監視していればよいが、少し束ねて積んだままにしておくと、青々してくる。そこそこ面積があるから、取った草を積むとずいぶんと高くなる。少しずつ積んでは石灰窒素を掛けてまた積んでいく。こうすることで腐りが促進する。ただでさえ、草の量が多いから、早く土に還ってくれないと処理する場所がなくなってしまう。

 さて、そんなことを毎週のようにやっている。先ごろ天竜川でアレチウリの駆除作戦が行われたと報道されていたが、自分の家の庭がこんなことだから、そんなよそ様の土地の整理などとてもできるものではない。ここまてやっても追いついていかず、妙な草に覆われて植木が枯死寸前である。草に追われているから、生垣の木に気を配る余裕もない。イチイを植えてあるが、かつては新芽がたくさん出て生き生きしていたのに、このごろは葉がどんどん少なくなってきて、透けた状態で生垣の価値すらなくなってきた。いかんせんこのままではいけない、と思うものの、毎日が仕事で追われ、このままでは盆もやってこない。ちまたの空気は盆の季節を思わせる。正月と同様、盆のころの雰囲気も「みんなが休み」という感じがあって落ち着くものだ。例え自分が休みでなくとも、そんな人の様子が違う時期は、穏やかになる。そんなアンバランスな年を、毎年すごしている。

 図太い草をわしづかみして引っこ抜くから、このごろは右手の指の付け根辺りが傷む。加えて青々した草ばかりつかみ続けるから、草の汁が手にこびりついて、まるで青ガエルのように肌が変色してきた。ちょっと人には見せられないようになる。加えて爪の先には土が入り込み、まるで昔の百姓の指てある。やはり草の汁と土が混ざっているから、なかなか取れるものてはない。とくに爪の間に入りこみ、両脇にたまった黒色はなかなかしぶとく、しばらくは消えない。消えた頃には再び草取りが始まる。

 近所にも日曜日となると、草を取っているサラリーマンがいる。でも家の前を通ると「どこの草をとったの」と思うほどまだまだ草が一面に残っている。やはりそれの繰り返しで、そんな姿が見えなくなったなーと思うと、冬間近である。最近の若い人たちが、庭で草を取っているなんていう姿はまず見たことがない。いずれ草のとり方ですらわからなくなるやもしれない。
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