Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

盆という季節

2007-08-16 08:25:51 | ひとから学ぶ
 どことなく盆に出社してくる人たちの面影は〝暇〟そうという会社があったら、そんな会社は休業にして欲しいものだ。いや、そうするべきだろうし、そうできない理由もそれほどないはずだ。ところが例えば公務員のように窓口業務を同じ空間で抱えたりしていると、そうはいかない。いまだに公務員が同じレベルの勤務空間を持っているから、世の中も変化しない。通勤途上、小学校がある。かつてなら教員は夏休みといえば、子どもたちと同様に夏休みをとれたものだ。もちろん自宅での仕事が認められたかどうか知らないが、必ずしも休日ではなく、休めるシステムのようなものがあったのではないだろうか。わたしには別世界のことで詳細は解らない。しかし、今以上に休みが取れたことは確かなはずだ。日ごろ、務時間以外にさまざまな拘束を受けている現代なら、それこそこうした人たちに自由な時間を与えてやればよいのに、と思うのだが、そうは世の中も、また管理している人たちも許すことはできない。途上にある小学校の庭に、わたしが通る際には、すでに何台か車が止まっている。もちろん平日だから通常勤務の日にあたる。ある程度休んでいる人たちもいるのだろうが、必ずこうして出勤する人たちもいる。交替に休みをとるという流れなのだろうが、盆くらい休めばよいのに、というのが実感だ。この皆一線という図式が、なぜこの世の中に必要なのかも理解できない。エネルギーの消費を考えても、〝休むときには休む〟という意識が出てこない以上、この世の中はますますいつでも営業状態が栄える。

 というわたしも盆に休むことなく仕事をしている。しかし、決められた納期があって仕方なくやっているもので、会社が休業だろうがなんだろうがせざるを得ないものだ。できることなら皆と同じように休みとしたい。そうでなければ性格上皆が出始めると休めなくなる。

 13・14と電車にいつもと同じ顔が何人か見えた。「この人たちも休みじゃないのか」と思っていたが、その顔が15日には消えた。〝ほっ〟とするのも解るだろう。15日は諏訪湖の花火だ。この日に合わせたように、上伊那郡内の各市町村でお盆の成人式が行われる。どこかで40゜を越えたというこの日、伊那の旧市街地において歩行者天国になった。この日もまた、夕食を取ろうとそんな空間を横切った。なぜか〝うしお〟は超満員だ。盆の間中大賑わいである。平日の夕方に訪れたことはないが、これほど賑わっている店は〝うしお〟くらいだ。あまりの賑わいにそこは辞めて、またまた入船まで歩く。時間にしたらわずかだ。先日と同じラーメン屋へ入る。わたしのお気に入りのラーメン屋だ。ご近所が空いていればここまで足を伸ばすことはないが、混雑しているから気がつくと入船である。外食をろくにしないから、一人で混雑した店へ入るのはためらう。やはり空いているのに越したことはない。お気に入りなのに空いているというところが複雑だ。入船を歩く人影は少ない。
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