Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

地方に明日はない

2007-08-03 08:25:31 | ひとから学ぶ
 知人は「ふるさと納税議論→地方と都市の共生へ」のなかで、日本農業新聞がとりあげた『田園立国』特集の記事「地方のあした」について触れている。竹中平蔵氏と下伊那郡泰阜村村長の松島貞治氏の対論が掲載されている。対論というのだから相反する論ということになる。ご存知の通り、竹中氏は地方交付税率を変えた張本人ということもあって地方の嫌われ者みたいな雰囲気がある。いっぽう松島氏は小さな村を独特な手法で自立しようとしている人だ。知人も言うように、両者の言い分は正当かもしれないが、例えば松島氏の背景をみたとき、彼がいる今は良いが、いなくなったときにこの村はどうなるのだという懸念もある。リーダーが変われば様子は一変することもあり得る。そうしたときにどうするのか、地方はそんな変化に対応できるほど懐がない。だからどういう手法がその地域の将来のためになるのか、様子が激変していく情勢のなか、なかなか読めないのが現実だ。

 いっぽう気になるのは、最近竹中氏みたいな理論の人がたくさんテレビに登場するようになったことだ。竹中氏の言葉の中に、明確に「田舎暮らしが大変なら都会に移れば良い」というものはないが、「今のまま町や村が存続することはない」と言っている。そこから広く読み取れば同じような意味を察知する。あからさまに「田舎に仕事がなければあるところに住めばよい」という人が画面で訴える姿を最近見かける。こういう言葉が流れてもちっとも不思議でなくなった。確かに竹中氏の言うように、努力をしている地域とそうでない地域がある以上、同じ土俵で「なんとかしろ」と言ってもいけない。いまだに昔のように平気でハコモノを作ろうとしている地域もあるようだ。現実的にはその背景にも力の関係のようなものがあるかもしれないが、基本的な考えを統一しておいてもらわないと、竹中氏の言うように「従来の地方交付税は、総務省の役人か鉛筆をなめ金額を決める不透明なもの」と変わらなくなってしまう。それなら透明な交付税の体系をもう少し地方重視にすればよいだけのことと思うが違うだろうか。ということは竹中氏は、やはり都市重視の考えで良いという捉え方なのだろう。

 さて、比較的知人は竹中氏の現実的な言葉に納得されているが、わたしは現実的にはそう進んでいくと解っているが、それが良いとは思っていないし、おそらくもっと日本人はすさんでいくと思っている。それは竹中氏のこんな言葉から捉えられるのだ。〝手を打たない自治体は今後、さらに人口移動は激しくなるだろう。けれど、そんなに悪いことではない。「選択と集中」を積極的にすれば、新たなチャンスが生まれてくるかもしれないからだ。〟というものだ。人口の移動が激しくなるということは、ますます捨てられるものが多くなるし、人の心の中に残るものはなくなる。朽ち果てる農村があちこちに登場するだろう。そして、手を打ったからといって、成果のあがらない地域はたくさん増える。移動距離が長ければ悪いことばかりが重なる。けして良いことであるわけがない。むしろ格差社会だからといって、移動する人は移動し、留まる人が留まればそれでよいと思うが、そこへ「新たなチャンス」なんていうものを捉える人たちが出てきたら、留まろうとしていても留まれなくなる人も出るだろう。まさに朽ち果てる農村を、モノとしか見ていない発想である。

 そうした意見を牽制するような「ふるさと」を冠した納税制度が、また良いとも思わない。本当に地方を救うためだと思うのなら寄付ではなく、現実的な交付税の体系化だろう。それが嫌なら竹中氏のような人たちの意見を取り入れて、「地方は死んでも良い」ということにすればよい。ただ、都会人に弄ばれることだけは許せない。

 竹中氏は〝村落が疲弊しているのも、村外に息子が出て行ったことが理由でしょ。単に人生の選択で起きていること。〟とも言っている。これもまた正論だ。地方の有力者たちがどんどん子どもたちを率先して都会に出していった。それを倣うようにしだいに誰もが地方を捨てるようになった。地方を先導している有力者=地方自治を担う人たちだったではないか。そして今もその現実は、そうは変わっていない。とすれば、竹中氏の言葉ほど正論はない、ということになる。都会が地方のためにあるわけではなくなった現在、都会はすでに一人歩きしている。その象徴のような東京都知事である。このごろ元参議院議員だった江本氏が、前首相へ首都移転を進言したことがあったとテレビで言っていた。「今はその時ではない」と一蹴されたようだが、今の都知事にそんな意見が届いたら、そんな議員は巷で歩けなくなるかもしれない。それほど力任せな空気が流れている。いっそ都会と地方の間に障壁でも作って囲ってしまえばよい。両者は別物と思っている人たちは、田舎に足など踏み入れるなと思ったりする。まあそんなことを言っている人はわたしくらいで、田舎の人たちは都会の人たちをどう呼び入れようかと思案中だ。大変後ろ向きの発言かもしれないが、前向きなときに「待てよ、本当にそれでよいの」という人がもっとたくさんいて欲しいものだ。都会がどんどん変化していってもよいが、地方がそのスピードに巻き込まれたらいけない。

 この支離滅裂なわたしの意見は、裏を返せば今の地方に何が良いかが見えていないからだ。ただ、盛んに新聞なりテレビで好事例ばかり紹介されているが、だからといってそれは正しいかどうかは疑問があることは確かだ。どこの地域にも当てはまるものではない。
コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****