藤田幸右 facebook より アーカイブス 1
オムニバス キャンペーン
待ったなし「消費税は廃止!」
9月1日
(1)れいわ新選組の選挙公約コンセプト
デフレ経済、その極限はコロナ禍現下の日本経済と言える。積極財政出動によってこの難局を乗り越えようと主張する政治家、経済学者などは確かに目につくようになった。もちろん一段下がれば論点はそれぞれ異なっている。消費税に対しては、消費税維持、廃止、減税、5%など主張の中身はバラバラである。言えることは消費税についてそれぞれ「踏み込んでいない」ということでなかろうか?! その中で「れいわ」代表である山本太郎氏だけが「消費税は廃止」をスローガンに、税、財政、経済、政治改革、社会イノベーションに一貫したわかりやすい論理を展開している。他の論者からは一歩も二歩も踏み出して首尾一貫した政治改革構想を展開している。(本当は、他の論者にはフラットに「れいわ」の財政論議のブレーンになってもらいたいのだが…)。「消費税は廃止」は山本太郎の政治的信念であり「れいわ」政権の骨太の政治改革コンセプトだ。
──われわれサポーターから見れば、当然といえば当然ながら、「消費税は廃止」の主張にも所々まがっていると思われるところ、一貫性に欠けて見えるところがある。その辺りのことを本番前に正しておきたい。というより、自由に議論しておきたい。
9月3日
(2)茹で蛙(ゆでがえる)からの脱却!
コロナの特別給付金10万円が支給されて一時であれみんなの気持ちがなごんだ。同じようなことだが、消費税が廃止になって年間20万円〜30万円〜40万円の家計が浮けば、消費は高まり、経済の先行きも明るく見える。消費活動と生産活動の循環がスムーズなら明るく、消費と生産の循環が悪ければ暗い。「消費税が廃止になれば社会が明るくなる」とはそういう意味である。
消費税はぬるま湯だ。今の消費者は茹で蛙(ゆでがえる)だ。ぬるま湯につかって気持ちの良いカエルはだんだん湯が熱くなるのに気づかない。気持ちが良いままに茹で上がって死ぬというわけだ。特に世帯主やホワイトカラー、インテリ族はまだ消費税は少額だと思っている。3%はどうということはない…5%も…消費税は計算も簡単だし…、と。世の蛙(かえる)族は10%になってもまだ気づいていない。まだいい気分のままだ。消費税は悪魔の税金、そのようにして巧妙に、透明に、社会に入り込んで、徐々に経済の根本を食いちぎって破壊している。そのことに気づかない経済学者や評論家が多い。景気の先行きは消費税次第ということは日々家計をあずかる主婦の方がよく知っている。%の問題ではない、デフレ経済、特殊的にコロナ禍経済。そこから脱出するにはまずもって特別給付金を支給すること<and>悪魔の税金=「消費税」を廃止することだ、ということを身に染みて知っている。一時的に全額国債で埋め合わせるのかもしれない、政治を動かす大仕事だ。
消費税の根本を考えないで「少しでも安く(ぬるく)」と考えている人たちがいる。10%より8%、より5%、3%という考えである。表面的な比較の考えであって、それには期成会でも作って政府与党に請願した方が良いのでは…と思う。野党の中にもそういう党があって、不思議に思う。
9月4日
(3)消費税は世の中を暗くする。中小零細企業の衰退だ
悪魔の税金が大きな黒い羽根を伸ばしている。消費税が企業家の心理に与える影響はすさまじい。商売が楽しいものではなく、どんどん、苦しいもの、不機嫌なもの、不健康なものになっていく。
B to B の取引ならまだしも、特にB to C 取引の中小の小売業、サービス業においては取引の輪郭が、小規模企業の旨味が、技能や技術が。奉仕精神、サービス、丁寧さ、感謝、パーソナルな人間関係が ── 全てぼやけてきている。取引(商売)の踏ん張りが利かない。よい「時」はよかったと言われるがそのような「時」はここしばらくはない。従業員も大企業との比較ばっかりだ。
もともと少ない粗利の中に踏み込んできて、税務署は消費税だと言って、その10%を持っていく。その額を決めるのに仕入れから、販売まで気が抜けない。10%計算は難しくないが日々の計算の積み上げなので、お客さんへのサービスの精力が、気力が、働きが、その細かな出し入れの計算の緊張感で消えていく。仕入れの消費税、販売の消費税、緊張感のことをお客さんと税務署は知っているのだろうか?知らないのではないだろうか?
結局、年度末にその総決算がある。年度の粗利総額の10%が収める消費税だというくらいの理屈はわかる。だが、その消費税分は消費者にサービスとして丁寧に積み上げてきた利益そのものではなかったか?! 何よりの証拠に「年度末に<みなし>で計算すればよい」と組合と税務署に言われてうっかりしていたが通帳にも金庫にも支払うべき金額は残っていなかった。結果、持ち出し赤字になる、ああ。消費税は悪魔の税金だ。
中小零細企業店主が不機嫌なら社会はどうなる? (言っていることがわかりますか?)そうとう深刻なものになる。
9月4日
(4)消費税は人間深層心理の破壊だ
昔は、買い物行為の輪郭ははっきりしていた。思ったより安かった(or 高かった)、思ったより量もあるし美味しかった(or 少なくまずかった)。買った道具も電子機器も使いやすかった(or 使いにくかった)。次は、もっと良いもの、美味しいものを、と、買う前の期待感と買った後の気持ちの満足感、買った商品の評価がはっきりしてしていた。何より頭の中の計算と財布の中身やカードの残高が一致していた。1,000円の買い物をしたから財布には9,000円残っていた。
今は違う!
今は、真逆に、買い物のたびにレジの画面やレシートの最大桁数がすさまじくぴょんぴょん跳ね上がる。280円の菓子が308円に、5,500円の夫婦の外食が6,050円に、183,000円のバイクがふつうに201,300円の支払いになる。その度にえっえっえっ、と思う。タクシーメーターの最後の「カチッ」の跳ね上がりと一緒で消費税の跳ね上がりはそのつど神経にさわる。意識していようと、無意識のままであろうと、高額買い物はまだしも、少額の買い物の心理的潜在影響はいかほど大きいものかと思う。
税抜き価格 10%税込み 10%値引き値
菓 子 280円 308円 252円
外 食 5500円 6050円 4950円
バイク 183000円 201300円 164700円
計 188780円 207658円 169902円
10%値引き計算は楽だ「いくらした?」の返答、「252円!」「4,950円!」「164,700円!」と楽しい。10%の消費税の上乗せ計算はそれほで楽ではない、というより誰もが嫌がる計算だ。しかも99.9%の買い物で、誰もやっていない。プロセスがなく結果だけが現象している。値引き交渉の意欲も生まれない。買い物が、どんどん、不機嫌なもの、不健康なもの、苦しいもの、になっているのだ。財布の中を見たら分かるだろう!! 心理的、生理的にどんどんすさんでいっている。財布に群がる悪魔のしわざだ。
今の若者の買い物感覚に異常な傾向が見える。一言では「精気のない買い物」である。あれが欲しい、これが欲しいという力量感がない。必要なものが乏しいのかもしれないが、倹約して、残業して、働いて、出世して、自分のため家族のため、何かを買おうという意欲が稀薄なように思われる。いや、予定し,揃えて、選んで、支払いをする、という買い物の煩わしさ(苦)の方が先行しているのだ。買い物行動の不調が、徐々に希望や欲望にブレーキをかけ「精気のない買い物」、去勢された消費行動につながっているのだ! 罰則としての消費税のせいだ。それは、一般に、不活発な消費生活につながり、沈滞した生産活動につながる。今、 withコロナの中の精神状態も巻き込んで究極の破滅的デフレ社会が始まっている。
消費税の「減税」は無効です。効果がないのです。現実を見たら「減税」でなく「廃止」なのです。
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