「地区復興まちづくり検討会」というのはどういうメンバーでやっているのかよく分からない。宮古市の直近のホームページを見るとこの「検討会」は各地区とも3回開催され、第4回は鍬ヶ崎地区の場合 来る2月6日6:30~市役所6階で開かれる。そのあと全員参加の「第2回地区復興まちづくり会」が鍬ヶ崎地区の場合 2月17日6:30~鍬小体育館で開際される。ふれこみではどちらの会も最終回という事のようである(間違ったらごめんなさい)からみんなでどちらにも参加した方がよいのではないかと思う。最終かどうかも確かめた方がよい。
「便り」(8号)には1月12日の「第3回検討会」の報告がのっている。意見というか感想というか書いてみる。
感 想
前回の便りからどこが進歩したのか?まず◯◯ゾーン,□□ゾーン,△△ゾーンという地区の色分けがやたら目について不愉快な気分にさせられた。「安全で安心して暮らせる」とか「老人や子どもも住みたいと思うまち」の空疎なスローガンや、とってつけたような「サイクリングロード」や「歴史資料館」などとともに20年前のバブル時代の企業、銀行、デベロッパー等の地方自治体に対する開発計画のプレゼンテーションを見る思いがするからである。他人(ひと)事の復興案だ。かって自治体の首長、議員、住民がこのゾーン、ゾーンに色分けされた企画書に踊らされて地域の衰退を招いたのであった。産業ゾーンとはなになのか?どんな産業なのか?地場のものか、誘致企業なのか?どんな手当をしているのか分からないものをゾーンに分けて色をぬっても意味はない。他のゾーンにしても中味がなく、またはイメージがわかず、意欲が出てくるわけがない。コンサルタント会社は企業や商店などの誘致まで見通して、面倒を見てくれるのかどうか分からない。鍬ヶ崎地区だけでなく他の地区もこのやり方で計画図が出来、空疎な目標が書かれた復興まちづくりが画かれている。前回からの進歩というより何十年前への悪しき退歩の印象を受けた。
時間をかけても進歩が見えないのは主催者側に自分の関心の強いシナリオがありストーリーがあるからである。だから地域住民の関心を拾(ひろ)い上げることが出来ないのだ。宮古市は要するに鍬ヶ崎に防潮堤ができればよいと思っているだけである。防潮堤が津波防災に役にたつかどうかは考えないのである。閉伊川水門と同じで、まるで県庁の指示の方が宮古や鍬ヶ崎の主体性より大事だと思っているようである。防潮堤が出来る事によって旧鍬ヶ崎がますますさびれ、人がいなくなり、外からの客船、貨物船、漁船の入港も影が薄くなり、観光客も素通りするだけだという事に考えが及んでいない。
さいしょから決まっていたようにして最も海寄りの防潮堤計画を図面に書き込んでいるが、当初は場所案も何カ所かあったはずである。経過説明もなく、県庁のシナリオを市の担当者とコンサルタントが結果論に誘導しているだけなのだ。どういう経過でこの決定になったのか言ってみろ、といいたい。また地域の住民も、統一的に宮古湾全体の防災デザインを議論する事なく、また灯台のある鍬ヶ崎堤防や地盤沈下の岸壁の防災機能についてみんなで意見を出し合う事もなく、やまごが設計した寒々とした防潮堤の一発芸に拍手するだけの住民にもあたまがどうかしたのではないかと悲しい気持ちにさせられた。海の事でもしゃきっとできないのか、と。
シミュレーションも信用できない。決まれば100年、200年立ち続けるであろう鍬ヶ崎防潮堤を、何の説明もなく、ごまかしのシミュレーションをぱぱっと見せたふりをして乗り切ろうとしている県庁、宮古市、コンサルタント。おそらくそうしろと指示されているのであるが、防潮堤による浸水・水深シミュレーションの根拠と入力データを、お年寄りでムリなら鍬ヶ崎の若者や学生のほとんどを集めてとことん説明し、彼ら彼女らが納得するのでなければぜったい建設してはならないのだ。大防潮堤のあった田老地区では今次津波で229人の死者行方不明者を出した(被災人口3000人、建物全壊)。一方、防潮堤のなかった鍬ヶ崎地区では65人(同3200人、同全壊)であった。数字の比較と同時に、なぜそうなのか? より広く、より深く掘り下げて、よい事も悪い事もちゃんと議論しなければならない。この議論がシミュレーションの一環であり、本当の内容だという事をコンサルタントや役人や県庁官僚は知らないのです。かれらは、ただ浸水深だけを考慮したシナリオに誘導すればよいと考えている。シナリオ(シミュレーション)を信じる根拠はない。
臼木山やおぐまん様、道又沢に避難する気概さえあれば当分大丈夫だ。まだまだ時間はある。本当の鍬ヶ崎を発見すっぺす。
震災直後に感じたことを綴ります。
「3・11大震災は、多くの犠牲者と地域社会の崩壊をもたらしたが、同時に人の「生」と「死」を見つめなおす機会を与えてくれた。
大津波による「一瞬の出来事」が多くの人の人生を変えたのであれば、3・11大震災で「生かされたもの」は「一瞬の積み重ねの人生」を見つめなおし、如何なる人生であるのかを問いながら生きていかなければ「死されたもの」への鎮魂とはならない。
「国」「社会」「政治」「経済」「環境」「企業」「組織」における外部情況と 「生き方」「働き方」「生活」「感性」「夢」「希望」との内部情況を見つめ、問い直し、何かを変えていかなければ、人生のすべての意味を見失ってしまうのでないかという「危機感」に襲われる。
大津波は多くの人、物を一瞬のうちに破壊し、流しつくし、消し去ったが、この苦しき世を生き抜くための「心の復興」に比べれば「物の復興」はたやすいのかもしれない。
3・11大震災は後世に引き継がれる「戒め」であり、人として生きるためには、自然と人への「謙虚さ」と「誠実さ」が必要であることを知らしめ、大津波だけが「脅威」ではなく
「他者の苦しみを自らの苦しみと感じる感性」を失う社会こそが「真の脅威」であることを教えてくれている。
今「生きている意味」を問い直すとき、見えてくるものがある。
なかでも「人生」「仕事」「立場」「人間関係」への問いかけは、3・11大震災を契機にして、一歩を踏み出したにすぎない。
この危機のなかで、これまで以上に「真実」は隠蔽され、自己の「立場」を守りがたいがため「生きている意味」の方向性が見失われ、人としての醜さだけが目につく。
ことばだけの「想定外」を理由にして、社会への責任を逃れることはできない。
「想定外」に対する答えは「想定外」の理由と分析のなかにしかありえない。
だからこそ「現状」「想定」を超える指針を自らに問い、「開発」を続けていかなければ、次の一歩への「答え」は見つからないのだろう。」
今日、石巻の市民ボランティア団体の人と話をしました。まだまだであるが、復興は「自分たちの力で何とかしよう」という動きが始まっている。遅々としてであるが、現状の「危機感」と「問題意識」の共有が下から始まりつつあるのはたしかです。
3.11震災はそのような「自己変革」を問うているのかもしれない。
設立主旨
現状認識 -今後も国難が予想される-
①3・11大津波は東北3県の沿岸地域の住宅、施設、港を壊滅させ、これまでの耐津波防災の施策の脆弱性を露呈させた。
②今後の津波の防災施策も「高台移転」「高台へ逃げる」の安易な方策しか提言されていない。
③津波被災地域の「瓦礫問題」は一向に解決されず、今後の処理には長期化が予想される。
④国の政治状況は最悪であり、情報隠蔽・震災対策の遅れ・「提言」の期待はずれと失政が続き、国家への信頼が揺らいでいる。
⑤国家財政は破綻状態にあり、最低限必要な多大な復興財源確保は困難であることが予想される。
⑥日本の社会構造として今後も少子・高齢化が一段と進み、社会の縮小化がはじまる。
⑦産業の空洞化と雇用状況の悪化により国民の生活状況の困窮化が進行する。
⑧環境・エネルギー問題は切迫化しており、革新的な脱炭素への社会構造が求められている。
設立目的 -民間主導による復興・再構築
①耐津波性能をもつ住宅・施設の開発を急ぎ、沿岸地域からの無謀な「撤退政策」の対案として「海辺のまちづくり」を進める。
②これまでの「国家主導」から「民間主導」の復興・再生への環境整備に向けて準備していく。
③環境問題としてコンパクト化と自立化が求められているため、再生エネルギーの開発と推進を実施していく。
④3・11震災を教訓として日本全国の大規模災害・大地震、大津波対策の根本的な再点検・再構築を推進していく。
活動内容 -津波につよい海辺のまちづくりに向けて-
①沿岸地域の「安全・安心のまちづくり」へ独自グランドデザインを策定し、実現に向け関連自治体、住民への働きかけを行う。
②地域別地元中小企業による建設JVの形成と地域住民の雇用の確保を推進してゆく。
③耐津波性能基準、指針の検討・策定による法整備を行政機関に働きかけてゆく。
④「津波シェルター」の耐津波性能の確定と標準化による「資材」の共同発注による建設費の低価格化を実現する。
⑤今後の資源不足・エネルギー不足に対して「再生可能エネルギー」の最大活用による地域の「自立化」を推進してゆく。
すこしづつであるが、まえに進めたい。