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2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。
 藤田幸右 管理人

鍬ヶ崎の問題:鍬ヶ崎は市長に見放された地区?

2012年04月30日 | どうなる住宅問題

 

津波はこないから、前に住んでた場所に住んでくれ~と市長
 


開いた口がふさがらない思いがあった。鍬ヶ崎地区では何となく高台移転が進まなかった。それは住民の意向というより宮古市の強い誘導によることは分かっていたが、なぜ住民はこんなに意気消沈なのか不思議であった。同じ全滅(ぜんめつ)地区でも田老の場合は部分移転といえ基本的には高台移転が決まっている。市長が頻繁に訪問する地区とそうでない地区の違いかとひがんだ見方もしていた…。



新聞記事によると「国土交通省の防災集団移転促進事業では、今回の震災級の津波による浸水区域がないと、国の費用負担が見込めないため、市は県が建設する防潮堤(高さ10.4m)で浸水が予想されない区域は現地再建を基本とすることにした。同地区(鍬ヶ崎地区)の計画では、高台移転とかさ上げを実施せず、自力再建が困難な被災者には現地を区画整理して災害公営住宅を建設する方針を示した」(4/23 web 読売新聞岩手)のだという。



なんということを言うのだろうか?こじつけだ!
防潮堤が建つと鍬ヶ崎には水がでないので国から高台移転の金がでない。高台移転はあきらめてほしい、というもの。ここには人間性をふくめて何本ものウソがある。

[関連記事] 宮古 市の復興計画 住民不満(読売転載)

これがあきれて開いた口がふさがらない原因であったのだ。これでは鍬ヶ崎から人が出て行くのはあたり前な事だ。鍬ヶ崎の復興をわるく(悲観的に)言う鍬ヶ崎の人の意見もうなずける。ここでは防災集団移転事業の改ざんに等しい不正な解釈がおこなわれている。防災目的の法律を自分らの無為無策の言い訳にして解釈している。恥を知るべきである。また人権無視といえる被災者の居住権の制限、危険地帯への市民の居住誘導など、地方自治体の存在意義を疑わせるむちゃくちゃな対策と言わざるを得ない。被災住民の高台移転を国是として推進している国の復興方針とは真逆な宮古市の鍬ヶ崎地区復興方針である。新聞記事の書き方に多少の難があるかもしれないが、やはり、宮古市上層部には最初から鍬ヶ崎切り捨ての思想があったのだといえる。地区まちづくり検討会の宮古市上層部、コンサルタント、検討委員の言動には今思い返しても思い当たるフシが多い。国や県庁や官僚の言いなりになって、上の方の言うがままに右往左往するだけの姿勢であった。そして市長自らの自分というものがないから市民の意向は視野にはいってこないようだった。子分格としての役割をただの安っぽい法律の解釈、つじつま合わせでやっているだけ…

 

シミュレーションは永遠の仮説。政策の根拠にするべきではない


聞きますが、岩手県宮古市鍬ヶ崎地区や宮古市田老地区を津波浸水区域と認めないで、どこを浸水区域と認めるのですか?法律の改ざんまでやっているというのはその事である。田老は世界一の防潮堤があったのに浸水した。だから高台移転を選択した。鍬ヶ崎は浸水したが選択権はない。(ここからごまかしが始まる)防潮堤を作れば将来は浸水しないから、選択権はない、高台ではなく現地再建である、というもの。…このくらいでいいだろう。全くの矛盾で、でたらめな言い草なのは誰でも分かる。
──以上で充分です。この段落の以下の文章は読まなくてもよい。自分で書いて言うのもなんだが、二義的な事、少々理屈っぽい、いやになる。

宮古市は10.4mの防潮堤で鍬ヶ崎には津波による浸水はないと決めている。願望とないまぜで県庁のシミュレーションを信じてしまって今後どんな津波でも防潮堤を乗り越えないと思っているのだ。明治三陸津波対策の防潮堤とするといいながら、明治三陸津波の浸水深ではなく、今次津波の鍬ヶ崎の浸水深を示している。今次津波襲来時の潮位(-0.46m)だと鍬ヶ崎にはほとんど浸水はなく津波は防潮堤をこえない。満潮時の潮位(+0.69m)だと当然にも鍬ヶ崎の大部分に1m内外の浸水がある(県庁シミュレーション)が、しかし報道からは、1mくらいの浸水深であるのであれば鍬ヶ崎地区は「浸水が予想されない区域」として高台移転や土地のかさ上げは必要なく住宅は「現地再建」を基本とすることにした、と読める。これがどのくらい乱暴なことであるのかは被災者でなくても分かることである。そこには市上層部の無策の意志だけが貫かれているのだ。1mであっても浸水は浸水、鍬ヶ崎は「浸水が予想される地区」なのである。市長は、本来、奨励して鍬ヶ崎の高台移転に指導性を発揮するべきなのである。それなのに、津波と枕を並べるように、と…
宮古市の手にするシミュレーションは単なる希望的偶然を図面にしたものであるのに加えて、その応用を違法に展開するという二重の虚偽をおかしている。

※そして、なにかヘンだと思いませんか?過去2番目の明治三陸津波対策のシミュレーションで鍬ヶ崎では今次級の津波も防ぐことが出来た、というのは初めの頃の話と大分ちがいませんか?光岸地や築地、中心市街地、藤原あたりもそうなってます。明治であろうと昭和・平成であろうと全てセーフなことになっています。どこかでシミュレーションが間違っているのです…。答えは、シミュレーション上で10.4mの防潮堤・閉伊川水門に沿って津波の水かさが湾奥に急激にしわ寄せられ、そちらが異常にふくらむからです。隠している。(このあたりのことは全市民で原点に戻っていろいろ考えましょう。鍬ヶ崎には当然もどり波がある)。そのせいでしょうか?県庁のネット上の「宮古湾」のシミュレーションは湾口(鍬ヶ崎~藤原)だけあって、高浜、金浜、津軽石、赤前など湾奥のものはない。一方宮古市のものは潮位の低いものだけがある。

 

衝立て(ついたて、パーテーション)をもってしては津波は防げない。


そこに見えているあの海が鍬ヶ崎の何百という家を一掃し焼け跡のように土台だけを残し去っていった。鍬ヶ崎の何十人の命を奪ったのはこの海なのである。たとえ仕切りのような防潮堤を作っても過去の恐怖はすぐ消えるものではなく、未来に不安はついて回る。防潮堤が一部壊れたら、コンクリートの構造物は、即、連鎖破壊となってその惨状は今次津波以上のものになることは容易に想像がつくのである。それだけに被災者の生活再建というものは高台移転から始まる。それがマグニチュード9.0大震災の教訓だ。住生活の場所を決め家族の安全を定めてから仕事や町おこしに進むべきである。

防潮堤の破壊についてはシミュレーションではのんきに越流くらいしか想定していないようでありそのくらいしか注意喚起していないが、まずどのくらいの強度の防潮堤なのか分かっていないのである。(そこまで「シミュレーション=設計」を示さないで「旧地に住め」などという方針を立てる事は犯罪的である)。防潮堤の破壊は地震による初期破壊、地震亀裂からの拡大破壊に進む。経年劣化による自然破壊。小河川等の放流口・放水口、交通の閘門口、その他異質物質とのつなぎ目などからの破壊も爆発的に起る。今次に破壊された田老防潮堤においては鉄筋はおろか、つなぎ目の噛み合わせ自体がなかったことも確認されている(ただブロックを積んだだけ)。今次地震・津波においてはこれら破壊の原因、工事管理などの問題はまだ明らかになっていない。とてもとても土木工学によって津波を防御できる水準ではないのである。

カチカチ山の狸の泥舟に乗ってはいけない。

 

 

☆ 以下、要約



・生活再建は高台移転から 

・シミュレーションの真贋

・構造物の強度は未知数

・「鍬ヶ崎地区復興まちづくり計画」のシミュレーション
  (クリック) 宮古市のシミュレーションの実態。防潮堤の位置がでたらめ!半年、未だ訂正なし。これが「まちづくりの前提」とは? 潮位については市のものは3.11津波襲撃時のもので-0.46m。岩手県のものには平均「最高」潮位の場面のものもあるが、両者に「最低」の場面はない。県のものには「防潮堤は壊れない事を前提」のコメントがあるが市のものにはこのコメントはない。なお県のものと市のものは同じ条件で(?)浸水深が異なる、ていねいに明示すべきである。

 

 

 

 

 

 


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