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2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。
 藤田幸右 管理人

「れいわ新選組」かく戦えり!(3)

2019年09月13日 | 社会

思い入れれいわ新選組」総括

2019 夏
参議院選挙をかく戦えり!

 

(3)オムニバス追加

 

 
山本太郎を待ってごった返す札幌駅前南口
(2019.7.16)
 
 
 

ここにきて、当の参議院選挙の総括がまだ終わっていないうちに、というより、大方見えるところは見えたがまだ核心に届いていない、と思っているうちに、NHKを通じて思わぬニュースが飛び込んできた。

 

 共産党との連携ニュース
 

れいわ新選組と共産党の連携であった。「共産・れいわ 衆議院選に向け連携で一致」というものであった。志位委員長と山本代表が会談した(9/12)。

この瞬間、良質の「れいわ」支持者と大多数の「れいわ」支持者の気持ちが揺らいだはずである。どうしょうもない連携!! 政権獲得なのか、消費税廃止なのか、テーマも曖昧。山本太郎が山本太郎のアイデンティティを忘れた一瞬に見える。自分だけではない、れいわ新選組を率いて(ひきいて)いるのだ。さまよう事はいいが、立ち止まって、しっかり自分自身を掘り起こせと言いたい。「5%ならok」が透けて見える合意。「れいわ」の仲間、「れいわ」の支持者には当然疑問が残るだろう。──まだまだだ、「公約」を他の野党との兼ね合いで公に妥協宣言する時ではないだろう。

 

 

野党協力は「れいわ」主導で…。 しかしまだ早い!

 
消費税については逆累進性、MMTなど、ここにきて「れいわ」のおかげで根本的な議論になっているのだ。私はいま参院選挙の大西つねき、やすとみ歩の経済演説をYoutube等で繰り返して聴いている。ふなごやすひこ、木村英子は今その存在感を十分に果たしている。渡辺てる子、はすいけ透、野原ヨシマサ、辻村ちひろ、三井よしふみ各候補もそれぞれのテーマでそのプロ性、専門性を語り尽くした。(選挙の個人名比例票は山本に集中した。「れいわ」の戦略上未熟なところであったが皆イーブンに戦った)。選挙後の余韻の中でそれぞれが存念を落ち着いて再談義している。それぞれ含蓄が表に出て楽しい。議論が前より詳しく分かりやすいと好評が続いている。選挙では山本代表が際立ったが、10人の「れいわ」候補者の連係プレイで成果が出た事は間違いない。そこのところを間違わないでほしい。既存政党のようなガチガチの一枚岩選挙ではなく「10人ゆる〜くつながっています」(はすいけ透)の選挙。個性が発揮され、若者からお年寄りまで、新たな層が注目した。

一方で、個々の候補者の政見と「れいわ」全体の政策が量的に国民の中にそれほど浸透しているとは言いがたい。その点では明らかに他の政党に比べても実態としては非力だった。ただし国政の場に明確な新時代の一石を投じた事は現在、未来に生きて波紋は広がっている、と言える。無視、軽視から始まったマスコミの注目度を見れば大体の事は分かるだろう…

そのように「れいわ」だけが、潜伏的であれ、センセーショナルに政治の根本を国民に問いかけてきた。次の国政選挙でも政治の根本を問いつづけなければ「れいわ」の実績が水泡に帰す。戦い続ければ他党との区別性、また妥協点は見えてくる。── 今は、そこまでは見えていない。

野党協力を数合わせのようにイージーに考えている人が多い。そうではなく「れいわ」主導の野党結集ができるまで、がまんして戦い続けなければならない、と言いたいのです。それまでは先きの選挙のように溌剌として根本的に戦いましょう、と。まだ早いというのは時間だけの問題ではなく、有権者が「れいわ」主導を容認するという理解度の問題でもある。

 

 

「れいわ新選組」参議院選挙の主体性とは?


立憲民主党の参議院選「総括」の素案では、支持の広がりを欠いたと認め「れいわの方がよりストレートに問題提起が行なわれ、インパクトが強く見えた」と記しているという(日経8/28=下に掲載 *)。内実は周知の事実である、既存政党は共産党を含めて一斉にそのように思ったのではなかったろうか?

何故そうなったのか?如何にしてそうなったのか? それが「れいわ」自身の総括の要でもある。たしかに参院選とその前後の状況は「れいわ」のインパクトがネット、街頭、口コミを風靡したが、われわれにも、その依ってくる理由が問われているのである。

山本個人の問題も大きかった。結果的な得票も大きかった。しかし 理由としてあげるとすれば 

1)選挙本筋に於けるれいわの政治姿勢 

2)選挙の(準備を含めて)運営戦略  

が大きかった、のではなかろうか。

1)については、じつは他の既存政党の政治姿勢の敵失」によるところが大きかった「れいわ」自体はオーソドックスなきわめて当たり前の政治姿勢、選挙公約で戦ったにもかかわらず、既存政党の方は、余りにも有権者におもねる選挙公約/選挙戦略をとった。既存政党の「生活」偏重の公約の事はこの シリーズ(1)の冒頭に書いたがまるで政治公約になっていなくて、たんなる行政公約というような事で有権者には見破られていた。あるべき政党の独自の考えが後景に退き、うすめられ、選挙区の野党統一候補者に焦点が集まる選挙になった。有権者は路頭に迷った。32の1人区は「単なる『選挙互助会』的なイメージ」として受け止められたと総括されている(同上日経)。外交、軍拡、沖縄基地、憲法、原発、教育など、政治の根幹問題がまともに論議されなかった。この事は既存野党政党の負の連帯責任、「れいわ」にとっては敵失だ。

唯一、争点になった「消費税廃止」問題は、「れいわ」だけが20年来のデフレ経済からの脱却シナリオ、逆累進性税制、アメリカから台頭してきたMMT=現代貨幣理論と絡めて、一貫した政治的、経済的な庶民の立場での「廃止」論を訴えた。理論もシナリオもそれ自体はまだ理想論の域に留まっていると思うがまともに消費税廃止を訴えたのは「れいわ」唯一であった。

そして敵失を浮き上がらせた「れいわ」のオーソドックスは、山本太郎代表のウソをつかない、ウソを逃さない数々の国会質問実績であった事は論をまたない。有権者はよく知っていたといえる…

 

2)については、候補者選びで「れいわ」は際立った印象を有権者に与えた。山本代表はその人選を「本気の大人」と表現し、それぞれの分野から一流のスペシャリスト、プロフェッショナル、「本気の大人」を発掘した。特別に用意された統一公約や統一政策は消費税廃止以外一切なく、各候補者は自由に持論を展開した。かってこのような政党、公認候補者群像は見た事がなかったものの、見事に日本の今を表現し批判する中で、有権者の創造性が喚起されたといっても過言ではなかった。考える有権者の出現であった。今回の選挙全体を通じて最高の成果といっていいだろう。── 最高の成果は、具体的には、ボランティアへの有権者の自主的参加であり、企業や団体に頼らない有権者からの資金集めと言える。考える有権者の出現は同時にそのように行動する有権者の出現でもあった。

私見と断っているが、やすとみ渉氏の「当事者で無縁者」のコンセプトは山本氏の「本気の大人」と同様に「れいわ」の今後の候補者選びの根幹であるべきだと思う。将来もこのコンセプト(思想)を守り通すべきだと思う。次節で書くがそれは簡単な事ではない。

 

しかし、安易に野党共闘や他党との連携に走る前に、まずじっくり先きの参議院選挙に於ける「れいわ」のインパクトとは何であったのか What? 如何にあったのか How? 自らと、共に戦った仲間、これほどに拡大した行動する支持者、これほどに拡大した考える支持者、一層広く潜在する支持者とともに、自分自身に問われている理由を解明するものでなければならない。

少なくとも他党との連携を探る前に、その事を一歩、二歩前進させていなければならないだろう。準備、総括とも支持者全員にとっての課題だ。

 

 

 

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 *

 
      日本経済新聞(2019.8.28)

 

 
 
 
 
 
[(例えば7/16の)記者会見を新たな原点にして](2020)れいわ新選組サポーター一人一人の原点も変わる。
山本太郎支持者は東京都知事選の雪崩的勝利を信じていた。しかし結果は大差による完敗、票数は60万票台を動かなかった。顕在化した正常性のバイアス、支持する者の「思い込み」の業の深さを思い知った。山本太郎本人がまた驚いたのではなかったか…。一人一人の総括がまたれる。
�東京都知事選の敗戦総括は選挙期間だけ見ても分からない。それは2019年の夏の参議院選挙 直後から始まっていた。共産党志位委員長と山本代表の会談がその始まりであった(下記の「参考(3)」参照)。以来、野党共闘の大きな塊(かたまり)の蜃気楼を追いかける1年であった。共産党と「れいわ」の協力が話し合われ、立憲、国民、民社の塊もあった。地方選挙での共闘問題もいくつかあった。最後に、都知事選では山本太郎を野党統一候補にする動きもあったが、文字通り、それは年寄りの冷や水であった。ほか、国政から都政への鞍替え問題、宇都宮健児候補との住み分け問題。それらの問題は全て有権者の願いが動機のようであったが必ずしもそうではなかった。候補者側の思いのつよさ(思いこみ)で突っ走ったところもある。野党とのそんな離合集散の動きのたびに有権者の心は「れいわ」から離れていった。その1年間のマイナス効果の集積が選挙の惨敗の結果に表れている。オリンピックや小池候補の地盤やテレビ露出の問題だけではなかった。
有権者は現実的で、形ばかりの野党共闘は望んでいなかった。塊(かたまり)といっても言葉だけのことで有権者は 1+1 が 2 とならないことを見抜いていた。野党間に共通した理念はなかったし「消費税5%」の補助線も役に立たないことは分かっていた。いちばんの問題はずばり「れいわ」がそのことを正面から見ていなかったことであった(有権者は見ていた)。知事選終盤の馬淵澄夫氏、須藤元気氏の応援はありがたかったが演説の内容は「れいわ」の政治理念からは、…かけ離れたものだった。
 
オムニバス参考(3)
 
(2020.7.20 フェイスブック)
 
 
 
 
 
 
コメント
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