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2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。
 藤田幸右 管理人

「れいわ新選組」かく戦えり!(1)

2019年08月19日 | 社会

 思い入れ「れいわ新選組」総括

 

2019 夏
参議院選挙をかく戦えり!

(1)

 

  1、山本太郎の「本質論」、理想選挙のもたらしたもの
 

山本太郎は、生きる権利というまっとうな本質論を起爆にしていますから当たるところ敵なしでしょう。本質論の爆発がどこまで届くのか?本質論の風雲を巻き起こして、非本質的な砂漠世界で、ドンキホーテみたいに一騎当千でどこまで当たる事が出来るのか?どこまで票が伸びるのか?です。予断はゆるされません。

山本太郎本質論の出現で今回の選挙は完全に空気が変った。与党候補、野党候補の大半は一瞬にして、立候補の意味を失った。というより既存政党のレベルがいかに低いかが分かった。言うならば国政政治家志望の候補者はみな国家官僚志望レベルの競争に見える。本当の事でした。既存政党相互の区別性もかすんでしまった。
 


2、既存政党は官僚の仕事 レベル
 

既存政党のレベルがいかに低いか?「暮らしから始まる」(立憲)、「家計第一」(国民)、「減らない年金」(共産)こんなものは政治でもなんでもない。たんに有権者にへつらっているだけである。戦略も、可能性もない。官僚(国の役人)の質が低下した事に乗じて、このような行政レベル、事務レベルの事を政党のスローガンにしているだけで、政治スローガンではない事が=「れいわ」の参戦によって=分かったのである。既存政党の候補者はまったく国の役人(官僚)の仕事を肩代わりしたいだけである。政治の抱負もビジョンもない。候補者が演説で訴えている事はみな官僚が中途半端に手がけている仕事の善し悪しであった。バカくさい  =はっきり言って、若者の選挙離れの原因です。

※既存政党が、何もしない省庁官僚の「代わり」勢力として手を上げているという倒錯構図はここ何十年もつづいている。官僚の仕事をそのまま政党名にした政党の出現はまさにそのいらだちを示している。省庁官僚の無作為、背任、欠陥の隙間(すきま)をぬって出現してきたものであった。NHKから国民を守る党、労働者党、オリーブの木、安楽会など…党公約の内容はすべて、本来的に、国家官僚の手がけるべき仕事であった。官僚には最高の教育、最高の待遇を与え、問題解決のために国はあらゆる課題と条件・手段を与えているのに(国民も忘れている)国や国民の「生活」にとって必要な施策を主体的に調べ構築し提案する本命の仕事から手を抜いている。そこのところで官僚と政治家が仕事の取り合いをしている。…老人党や税金党、保育党や健康保険党がなかった事が不思議なくらいである。バカくさい、バカくさい

「れいわ」のは消費税廃止、最低賃金1,500円以下公約8個ばかり…、既存政党等の公約と言葉は似ているところもあるが、選挙戦に入って違いがはっきりした。似て非であった。
 

 

3、「れいわ」の候補者はみな本質論者(=理想主義者=本気の大人)
 

準決勝で負けた少年野球チームのよう。 爽やかなよい写真ですね… see you again !
 写真はキャリコネニュースより(2019.7.21)

 

山本太郎がそうであるように他の9人の「れいわ」公認候補者は全員「本気の大人」(山本談)である事で山本の本質論政治が裏づけられた。「空気を読まない」人の人選によって既存政党との区別性が明らかになったのである。すべて根本から見直す事が出来る人材を候補者にあてた。そのためにはまず既存の政治を忖度しないこれら9人の人たちであった。消費税一つを語っても低レベルと本気の違いは明らかであった。その革新性は選挙戦全般の空気を変えたのであった。

臆面もなく無欲で正直で正義なのは「れいわ」集団に共通。大西つねき、の通貨発行論は一種の経済ロマン。金融や、国家財政をある「流通を担うもの」のバリアの向こうで説いている。金利が経済の中心ではなく、常に、足りない(借金は住宅ローン以外しない)だけのわれわれの経済には所詮そちらの論理は分からないし、彼も説得に疲れて時々中断するようだった。彼の論理破たんはわれわれの不理解という事だが、それでも破たんは破たん。残念さが残る…。しかし、与党主導の年金や税金などあやしげな国民経済を根本から「れいわ」の大口(ビッグマウス)ロマンでぶちこわしてくれた功績は大きい。間違いなく、令和の時代の最初の勲章だ。

シングルマザー、貧乏代表、げんきな渡辺てる子、選挙にでた喜びを絶叫。いわずと知れたはすいけ透、元東電社員、元拉致被害者家族連絡会事務局長「れいわは10人ゆる〜くつながっています」と10人の独立性を断言。やすとみ渉は、れいわ新選組を象徴する思想家=本質論者 of 本質論者。選挙期間に既存価値観・倫理観を次々と論破してみせた。にこやかに政治、経済、人の道、あるべき未来に多くの示唆を与え続けた。「公約を一つ果してきました。皇居の周りを馬で歩いてきました。馬はとても緊張してました」。野原ヨシマサ、は東京選挙区、沖縄の人、創価学会の人。辺野古基地は国防ではなくゼネコンへの利益供与、山口那津男のポスターには「公明党」と書かれていないと暴露。辻村ちひろ、環境保護NGO職員。地産地消小さなグリッドで、自然環境の原点に返れ、と。三井よしふみ、元セブンイレブンオーナー、コンビニエンスストアチェーンの終えんを叫ぶ。

ふなごやすひこ木村英子、それぞれALS患者、重度身体障害者を比例区の立候補者にもってきたところは山本太郎の本領と言える、特定枠で堂々の当選。生産性あるなしに関係なく人間の尊厳は平等である事を国政場面で見せつけた。

── 候補者はみんな、その道のプロフェッショナル、スペシャリスト。思わずうなる含蓄ある発言。本気の大人の要件を満たしていた。…足りないところもある。  =いや、足りないところはなかった…

 

 

4、れいわ新選組の選挙運動はネットをどう活用したか?

 

れいわ新選組選挙で特徴的だった事は、ネットの存在があった。候補者側も当然ネットを活用するように努力していたろうが、有権者側も、ネットを通じて「れいわ」の情報をえる事がスムーズであった。意識の半分は見るもの、観察するもの、ネットで応援するものとして、候補者の動向をかなり正確に、広く、細部にわたって把握していた事である。まさにネットの効用と、候補者のパフォーマンスは一致した面が大きかった。

※「れいわ」は twitter、facebook などの SNS、youtube を巻き込み、ネットをほぼ独占したのではないかの様相を見せた。そのいちばんの理由は候補者の顔ぶれの多彩さ、それぞれの選挙運動の振る舞い、スピーチがユニークなものであったからだ。それをみて、おもわず、「れいわ」がネットを総ざらいしたのではないかとさえ思われた。が、違った。ネットを総ざらいした政党はほかにもあった。そもそも選挙に果たしたネットの役割は、どうであったろうか? 果たした役割は大きかったというより、小さくはなかったとだけ言っておこう。票の積み上げは思うところとはかけ離れていたといっていい(期待していなかったとはいえない)。

…さらに本音を言えば「未熟であった」。候補者側も、有権者側も、自覚的にインターネットの能力をそれほど活用していなかったといえる

 

 

 

 

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[(例えば7/16の)記者会見を新たな原点にして](2020)れいわ新選組サポーター一人一人の原点も変わる。
 
おかしいのは都知事選挙で大敗し、大西つねき氏問題が内部発生しているのに、まだ国民民主とか立憲民主とかと大きな塊(かたまり)を作ろうとする山本代表の深層心理。すでに裏切り、裏切られ、接点すらない塊(かたまり)ではなかったか?!まず「れいわ」内でしっかり議論してほしい。
 
オムニバス参考(1)

(2020.7.18 フェイスブック)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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