宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。
 藤田幸右 管理人

目を覚ませ宮古人!!しっかり「閉伊川」をみよ(5)たよりない説明

2014年02月23日 | 宮古閉伊川水門

前ページよりつづく

 

3 資料の最後。説明文の意味がわかりますか?

    ※ 他の資料については前ページ、前々ページなど参照

 

 

上図は2/6説明会資料 

 

説明会資料のこの「全閉」した場合の説明文章は全然理解できない。津波有事に水門ゲートを全部閉じる時の様子を書いているようであるが「引き波時」「寄せ波時」「水位」「上昇せず」「上昇する」…と字句を追っても書いてある意味が分からないばかりか頭が変になる文章である。「寄せ波」とは津波の事であろうか? あらためて説明を受けなければ分からないだろうがとりあえずくわしい解説をお願いしたい。

 

 

宮古市民はのどから手が出るほど説明を求めている

 

2/6、選ばれて漁協で説明を受けた漁師の人たちも「色々と質問意見もありまして意見は持ち帰って検討してもらうことに」(一部市民に説明会」)とあるように疑問が多かったようだ。この資料を見る限り疑問というより書いてある事の意味が「理解できない」という事が本音でなかろうか? (ここで忘れないうちに書いておくが水門問題は一人漁業者だけの問題ではないという事だ。岩手県も宮古市も全市民に説明の義務がある、市民全体の理解が得られないうちは前に進めてはならないという事だ。何回も何回も説明会をする責任がある)。漁業者の方も「持ち帰って検討してもらう事に」した質問や意見へは絶対に返事をもらってほしい。そして曳航や係留の事だけでなく、航行の安全や閉伊川河口の景観、市街地防災効果の事もしっかり考えてほしい。

 

 

岩手県庁自身が理解していない 

さて、資料の文章がよく理解できないと言う事は、実は、われわれではなく資料をつくる側の県庁、広域振興局の方がなにも理解していないからだ。この資料に目を通した漁業者やブログの読者、一般宮古市民は「分からない」と戸惑ったに違いない。それは当然なのである。工事主体の県庁、振興局自身が「理解していない」事を書いているからなのである。当然にも支離滅裂な文章になっている。少なくとも「分かりやすく資料をつくる(説明する)」ことができるまで、彼ら自身がよく分かっていない事案なのである。メーカーや工事業者の表面的口車に乗っているだけだからだ。特に水門の強度やメカニズムと航路の関係、工事の影響、工事の意味、そもそも津波防災事案だという事がよく分かっていないままに工事を急いでいるから説明も設計もばらばらで、ひいては予算も常に中途半端に増えていくのである。市民とのコンセンサスどころではなく県庁内部のコンセンサスもとれないままに、こきたない工事現場を永久に閉伊川河口(宮古)に残そうとしている。

 

 

閉伊川水門は普通の水門ではない 


(ゲート開閉説明文)

 

 (以下私の推測理解であるが)「引き波時」とは津波襲撃前の閉伊川の一時的払底引き潮の事であると思われるが、閉門が間に合わないと水がなくなって上流側の係留船舶は全部転覆するという事を書いているのではなかろうか? 閉門が引き潮前に間に合うと徐々に水位が上昇、閉門から6時間半で上流では1mの水位の上昇となるという事。津波が収まって開門後ふたたび水が引き船は陸地(物揚場天端)に取り残されると横転する。津波の引き潮に対して閉門が間に合っても、間に合わなくても上流側の船は転覆の危険性がある。閉門操作が引き潮ではなく津波そのものに間に合わなかった場合は想定外の大惨事になることは分かると思う。洪水時は水門は閉めないから水位は上昇する、船舶はさっさと鍬ヶ崎港や高浜港に逃げることだ。洪水時に水門を閉めたら、それ以上に大変な事になるそれは3.11の閉伊川と同じ現象だ。要するに有事には船は閉伊川から急いで沖に出ることだ。せまい水門航路に気をつけて…。
(ほかの人はどう解釈するのだろうか?) 

 

岩手県、振興局では(不思議なことに沿岸自治体の宮古市当局も)水門とは本流や支流やダムの水門を開いたり閉じたりして水位の調整を行うものと理解している。防水、貯水、取水、放水など…。漁業者にもその流れで説明しているのだが、残念ながらというべきか、閉伊川水門はそれでは説明がつかないのだ。この水門は、1)力、波高(水位)、時間、どれをとっても予測困難な津波襲撃の防災施設として計画されたものなのである。取水や放水は関係ない。2)漁船を始め船舶があり、宮古湾内の船だけでなく、岩手県沿岸内外の船舶の停泊港、避難港の役割が常にある。3)県内初と言っているが他県はおろか世界のどこにもないだろう強度矛盾を抱えたままの「航路のある」津波防災水門である。 ──だから世界中のだれに対しても「説明」を簡単にはできない。第二の万里の長城、第二のスーパー堤防になる「現実」の懸念の方が大きい。愚かにもその道を進んでいる。

 

 

海や津波から学べ、旧「手引書」工事はもうやめよう

(私の推測理解だと)要するに県や振興局、宮古市の担当部局は閉伊川水門については、津波側ではなく河川の側から水門を理解し設計し説明している。この説明資料の全部の図の矢印は全て上流から下流への川水の流れの方向だけを示していることからもわかる。海から河口・上流に向かう目的本来の遡上あるいは津波エネルギーの方向性については私が稚拙にそのベクトルの方向性を上流に向けて標示しているだけである↑↑。岩手県はダム・河川堤防の経験や手引書を頼りにもっぱら水位、洪水と言うところで水門の設計を考えている。その意味では津波についても波高だけを問題にして、高速で襲撃してくる津波の加速力、繰り返す衝撃力、複雑に力を増減させ、波高を上下させる津波についてはまるで(=あたかも≠ぜんぜん)関心がないようだ。関心はない事はないだろうが国交省や業界の手引書に書いていないからだ。

岩手県県土整備部が経験主義で、古い手引書を頼りにして、ダム工事や河川工事を津波防災工事にそのまま応用する事への警告(だめだし)を私は何回となくこのブログで行ってきた。岩手県の停滞したままの津波対策は明治以来変わる事がなく今次「3.11」惨事にはその破綻の全貌が明らかになっているのである。上からしたまで構成員に成長のない県土整備部は解体し出直すべきである。いつまでも繰り返し、繰り返させてはならない。

 

 

(4)に戻る 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする