宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。 藤田幸右(ふじたこうすけ) 管理人

鍬ヶ崎「防潮堤」(4)君は陸前高田を見たか?

2013年11月02日 | どうなる鍬ヶ崎

鍬ヶ崎や田老の人は陸前高田を見るべきである。

 

 

状況

とにかくその被害状況を写した写真がない。その被害の大きさを表すどんな手段も今のところお目にかかっていない。断片情報をつなぎ合わせてその全体像を想像するしかない。状況とはそういうものかもしれない…

その意味で「一本松」は、レプリカだろうと、本物だろうと、立っていてもらわなければ困る。陸前高田市の3.11大津波の全体状況は、なんとかこれでつなぎ止められている。


2013.6.5 



陸前高田市 

文字で表現の扉をこじ開けようとする人、語り継ぐ人、データでそれを表そうとする人、写真の人、成功はないが、その努力は続いている。自分もその一人であるが、思うほどうまくいかない。というより次のような人にタッチする方がよいと思った。

「まもなく見えてきた広い更地は、かなり大きな市街地であったようであり、そのままその広い更地を進んで行くと、右手に『道の駅 高田松原』と記された建物と広い駐車場が現れ… 『道の駅』の名前から判断して、ここは陸前高田でした…」(ブログ 鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」より)

2013年・夏の取材旅行「水沢~気仙沼~宮古」その10
2013.09.17

鮎川氏は市内に30分くらいの滞在であったが、見聞した事を丁寧に書いて、断片とはいえみごとに状況を切り取っている。

 自分も宮古からレンタカーで同市には辿り着いたが、どこを見ればいいのか、何が見えるのか、どこまでが浸水被災地でどこまでが…だったのか、何にも分からない、遠くに山際が見えるだけだ。山際の仮設市役所を訪ねてみたが誰もが静かにあたふたしていて、意気込んでみたが何も聞けなかった。わずかに一本松と松原の跡地を訪ねた。その跡地からは松原は想像できなかった。なにかで見て記憶している自分の頭の中の写真をみるだけだった。すがるような視線は一本松を見上げていた。この街の復興はどこから手をつけるのか… 陸前高田市にはたして人は戻ってくるのか… 頭は空転するだけであった。


 

鍬ヶ崎や田老の人は陸前高田を見るべきである。

我が身に引きつけて被災地はどこも同じだと思ってはいけない。自分の陸前高田市の見学は何もなかったが、そうではなく、別次元のなにか大きな何かを感じ取る事が出来た。宮古市の人には、鍬ヶ崎や田老の人にはとくに、ほかに山田町、大槌町、釜石、大船渡などの人たちにはぜひ一度この地に足を運んでほしい。気仙沼の人など…。岩手県のリアス式海岸の人が見たらたちまち分かると思うが、陸前高田市の土地の平坦な広さである。家も建物も流されたその被災跡地の圧倒的な「広さ」に目を見張るはずである。陸前高田市を除いてほかのリアスの海岸の街はほとんど山が迫り、急峻な地形に囲まれているが、ここは避難の目標の高台が遠くて~足がすくむ。

注)あとで地図で調べてみたら、陸前高田市の市街地がその湾奥に位置している広田湾は、宮古市の宮古湾よりはるかに大きい。これまで気がつかなかった。ばくぜんと宮古湾の方が大きいと思っていた。広田湾は地形や地盤・地層などいろいろな面で宮古湾とは性格(?)が違うようである。大きさの他に特に気がつく事は宮古湾の湾口が北に向いて開いているのに比べて広田湾の湾口は南東方向、つまり宮城県沖、東日本大震災の震源の方向をまともに向いているということである。


 

陸前高田市の被災地の印象

 被災地の人が他の被災地を見学する事が一番勉強になり、おたがいの参考になる。津波被災地でない土地の人が見たら、例えば盛岡、遠野、花巻などの内陸部の人から見たらそれほど印象の違いは強く分からないかもしれない。私には陸前高田市は同じ被災地でも他と印象が全く違った。宮城県の(私はまだ見ていないが)石巻市、仙台市、名取市など、南の平坦な被災市街地の報道はどこも陸前高田市と印象が同じである。陸前高田を見てからその印象がますます強くなった。気仙沼市仲町一帯など詳しく見ればほかに似たような地形はたくさんある…。土地が平坦で広い分、避難路、防災施設、復興計画、どれを取っても規模が大きく、例えば住民のコンセンサス作りや、計画図面一つとっても予算主義では時間も金も間に合わないだろうナ…の印象もある。


 

中心が変わる

一昨年の3.11以来、被災地ではどこも時をおかずに復興に頭を悩ませ、防災を考え、避難路に煩っている。そして今、東京直下型地震、南海トラフ地震、先の10/26などの東北アウターライズ地震など巨大地震の報道が身近に現実味をもって迫っているとき、来るべき防災や避難や復興を単にリアス式海岸の狭い範囲に押し込めて考えるべきではない。その辺りの事は原発問題にせよ防潮堤にせよ、過去、現在、未来、ことごとく失敗したという現実があり、失敗から目をそらしてはならないからだ。敢えて陸前高田市等の平坦平野型がこうだ、ともいわない。平坦型も一層困難な現実に直面しているからである。少なくとも、言いたいことは、そこまで視野を広げて、遠い未来を見て議論するべきであるということである。


 

(5)につづく

 

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