宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。 藤田幸右(ふじたこうすけ) 管理人

小文集-1

2011年12月04日 | データ、転載など

「海と一体になったまちの風景がなくなってしまう」(気仙沼市の商店主ら)
   (クリック)

ブログ<にしでんじがたのブログ>へのコメント

書かれている通りです。 (コーケやん)
2011-12-05 01:37:41
防潮堤も、土地のかさ上げも津波に対しては無効です。自然でないことに加えて「正常化の偏見」に取り憑かれた人間性にとっては危険この上ない対策だと思います。
トラックバックさせていただきたいと思います。

●ブログ<岩手県議会議員の「及川あつし」です!>へのコメント

「浸水地域の土地の買い上げ価格」について
浸水地域の土地の買い上げ価格の評価は直接的には不可能だと思います。田老でも鍬ヶ崎でも、被災住民の意志というか目標は安心地域への移住だと思いますし、国も、県も市もそれを目標にしていると思います。そうではありませんか? 新地(=高地)の土地買い上げ、造成、開発は全部国費でまかなうと…。目標に沿っていうのであれば(新地への移住を国や県や市が後押しするのであれば)土地は最低でも同面積交換になります。つまり、造成済み新地の売り出し価格(住民にとっては反対に「買値」になります。以下同じような考え)と浸水土地の買い上げ価格は同一だと思います。新地に移る人は問題ありませんが、新地に移らない人からも同じ値段で買い上げなければならないと思います。新地の適正価格は宮古市がえいやっと決めなければならないと思います。国費が入っていますからかなり安いと思います。…かな? (2011/11/27)
宮古市が決めなければならない適正価格とはコスト価格でしょうか?一般市場価格でしょうか?それとも第3の価格でしょうか?最終的に決まった価格が交換価格になり、買い上げ価格になり、売り出し価格になると思います。移住する人は面積を足したり引いたりしないかぎり原則お金は動きません。足したり引いたりする場合の代金、移住しない人が浸水地を売る場合の代金、被災者でない人が新地に移住希望の場合の代金、基本の核単価はすべて同一価格になると思います。例外的に借家だった人が新地を買う場合は、被災者の高所移転の趣旨にもとずいて優遇処置されるのは当然だと思います。現実的には区画区画で相当複雑な価格になると思いますが難しくはないと思います。
いずれにしてもポイントは国や県や市が、集中力と情熱をもって高所移転を薦め、立派なニュータウンを設計して被災者を勧誘できるようにすることだと思います。価格もそこのところが前提だと思います。ぜひ移住したいニュータウン、ぜひ移住したい価格帯にすることだと思います。 (2011/11/27)


ブログ<HIGH VOLTAGE!!>へのコメント

道路は後(あと)!知事を諌(いさ)めよう!
家や家財道具だけでない、家族や、仕事、集落,伝統、風習までも…津波で全部流された。住宅の復興さえ見通しがたっていない時「復興道路」など道路族的政治的発想には腹(はら)が立つ。10年工期を7年に縮めるなど、まったくの火事場泥棒ではないか!少しの同情と知性がある人は復興の優先順位を考えなければおかしい。( 2011/11/26)


●ブログ<生涯一設計士・佐々木繁の日々>へのコメント

「鍬ヶ崎地区は第3案を!」(佐々木氏)に対して

熱心に鍬ヶ崎地区の復興の事を考えて頂いております。感謝しております。
私見では、しかし、そこまでしてはたして鍬ヶ崎の住人が元の平野部に住みたいか、はなはだ疑問です。それを言うと元も子もないじゃないかと思われるでしょうが、そうではなく「津波から安全な建物」に対する不安が根強いのです。潜在的に津波は恐怖です。津波の顔は見たくないわけです。他方、現実的に耐震、対津波の建物群は経費的に住宅にはふさわしくない(商業的にはOKでも)。食わず嫌いを止めてさっさと高所移転した方がよい、というのが私の私案。佐々木さんの案は、宮城・福島の平野部被災地には有効だと思います。と言うのは鍬ヶ崎は即、急峻な崖、坂の地形に囲まれていてだれでも数分で避難完了できる地形の中にあります(津波は怖くないという矛盾)。この事は直近後背地がおおむね宅地不適の土地柄でもあります。ただし、その更に後後背地は北上山系の無限の山稜地帯でもあります。交通と造成の地域の工夫次第で新生高地鍬ヶ崎は可能なわけです。現実にその方向に宅地は広がっております(トラックバック写真参照)。よい所を見つけてさっさと高所移転した方がよい、と思うわけです。
私の主張は、要するに職住分離の町づくりがいよいよ鍬ヶ崎にも来た(来なければならない)ということです。
産業地としての旧鍬ヶ崎地域は、これも可能性のある、にぎわいのある、港湾業務を中心にした物流、漁業、加工、工業、商業、観光,の町になるのです。地域住民が居ない商業地帯ということは不思議に思われるかもしれませんが、その方が商業地にとっては自然かつ自由なのです。その事はまたの機会に…
(Posted by コーケやん at 2011年11月13日 01:32)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする