銃を持った男が私の方に足早に近づいてくるのが見えた。白い民族衣装シャルワール・カミースを着ている。じたばたするよりはと、腹をくくって成行きにまかせた。
アフガニスタン。テロとの戦いの主戦場だと言う。もう、随分長い間、戦いは続いている。アフガニスタンの歴史は古い。紀元前四世紀、アレキサンダー大王東征の折築いたと言われる都市、ヘラート・カンダハール・バルフ等が今に残る。紀元前から攻防を繰り返してきた。1880年、第二次アフガン戦争ではイギリスに敗れ、保護国となった。1919年、3度目の戦いでイギリスに勝ち、独立を勝ち取った。そして、1979年のソ連侵攻、2001年のアメリカと続く。数限りない「戦」の果て、それは今も続く。パシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人等、多民族国家故の宿命であったのかも知れない。イラン、パキスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン等多くの国とも国境を接し、東部のワハーン回廊では中国とも、僅かだが国境を接している。誇り高いこの国の人々は、外国人の「侵略」を決して許さない。そのしたたかさは紀元前からの歴史が物語っている。「戦い」はそう簡単には終わらないであろう。
私がアフガニスタンに入ったのはイランの「聖なる殉教地」マシャドから、ボロボロのワゴン車に乗って丸一日。ワゴン車が庶民の主な交通手段になっている所は、世界の辺境の地では、どこも同じだ。現地の人が被っている、元々は白かったターバンは手拭いでもあり、時には「鼻紙」にもなったりする。今は無いユーゴスラビアの首都、ベオグラードの中央駅で偶然出会い、パキスタンまで旅の友となったSさんと私以外は、煮しめたようなターバンを被った現地人がすし詰め状態で窮屈な席を埋めていた。距離は300キロ程度、が入国の手続きや悪路と時折現れる「関所」で一日がかりのバスの旅だった。
ヘラートに着くと、まず最初に目についた「ホテル」の看板を目指す。タバコ一箱程度の宿賃。部屋には埃だらけのベッド以外は何も無い。標高が高いせいか、寒い。ストーブにくべる薪を買いに出る。ホテルの部屋は「空間」だけ、寝る以外の事は全て、自分で賄わなくてはいけない。そして、街の探訪と徘徊が始まる。
目の前に現れた銃を持った髭面の男は、有無を言わせず、見せろ!と言う。ヘラート城の城壁の土手を歩きながら、落ちている、とても綺麗なペルシャン・ブルーの陶器片を拾っている時の事。遠くで見ていた男は、見知らぬ東洋人が拾った「何か」を確かめたかったのだろう。指を拡げて握っていた物を見せると、一瞥して、「がらくた」だと判った様だった。男は踵を返すと身の丈程の銃を片手に、何事も無かった様に私の前から立ち去った。