東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

御所

2024-06-24 23:56:44 | 日記
 えびすですか・・・。
 
 大国主の国譲りの話も嘘の気がするけど、大国主の国譲りの話は大きく3つに分けられて、最初に天穂日命が大国主のところに送り込まれ、次に天稚彦命が大国主のところに送り込まれ、次に建御雷命が大国主のところに送り込まれ、大国主の国譲りが成立したことになってるようだ。
 
 大国主には息子に事代主と建御名方命がいて、国譲りは大国主から事代主に託され、事代主は国譲りを承諾して自分から海に沈み、大国主は出雲大社に引きこもったことになってるらしい。建御名方命は出雲から諏訪に逃げたことになっているらしい。
 
 島根県松江市にある美保神社では事代主と三穂津姫を祀っていて、えびす様の総本宮といってるようだ。美保神社では国譲りの話を再現した青柴垣神事が行われてるらしい。
 
 奈良県御所市にある高鴨神社は賀茂神社や加茂神社の総本社で、アジスキタカヒコネを祀ってるらしい。アジスキタカヒコネも大国主の息子ということになっていて、妹に下照姫がいることになってるらしい。
 
 高鴨神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

諏訪

2024-06-24 23:54:55 | 日記
 疲れたなあ。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏の人たちは奥六郡といわれる岩手県にあった6つの郡に勢力を広げてたことになってる。金ヶ崎町に鳥海柵跡があって、安倍貞任の兄弟の安倍宗任がいたことになってる。安倍宗任は鳥海三郎というらしい。安倍頼時の息子が安倍貞任と安倍宗任で、安倍頼時は鳥海柵で亡くなったことになってる。
 
 金ヶ崎町にある諏訪小路武家屋敷には金ヶ崎神社があって、明治時代の神社の合祀の前は諏訪神社だったらしいけど、本当か知らない。源頼義が長野県の諏訪大社に戦勝祈願して勝利したことから勧請したことになってるらしい。平安時代に岩手県にいた安倍氏の人たちは源頼義と源義家に討たれたことになってる。
 
 金ヶ崎神社の例大祭の日は8月27日らしいけど、安倍頼時の命日の旧7月27日が例大祭の日らしい。たしか、金ヶ崎神社にある説明看板に、そう書いてた気がする。インターネットで調べても、そんなかんじだ。
 
 長野県にある諏訪大社は南方刀美神社とも記載されてるらしい。金ヶ崎町にも南方という地名の場所がある。
 
 大国主の国譲りの話も嘘の気がするけど、大国主には息子に事代主と建御名方命がいて、国譲りは大国主から事代主に託され、事代主は国譲りを承諾して自分から海に沈み、大国主は出雲大社に引きこもったことになってるらしい。建御名方命は出雲から諏訪に逃げたことになっているらしい。
 
 長野県にある諏訪大社は信濃国の一宮で、建御名方命を祀ってるらしい。諏訪大社は諏訪湖の周りに上社と下社があって、上社の本宮は諏訪市にあって、上社の前宮は茅野市にあるらしい。諏訪大社の上社には本殿が無く、拝殿のみで、守屋山という山が御神体らしい。下社の春宮と秋宮は下諏訪町にあるらしい。諏訪大社の下社は春宮が杉の木が御神木で、秋宮は一位の木が御神木らしい。
 
 諏訪大社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

お祓い

2024-06-24 23:49:33 | 日記

安倍

2024-06-24 23:45:44 | 日記
 神武天皇の話も嘘の気がするけど、皇居も炎上するのかなあ?。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏の人たちは奥六郡といわれる岩手県にあった6つの郡に勢力を広げてたことになってる。金ヶ崎町に鳥海柵跡があって、安倍貞任の兄弟の安倍宗任がいたことになってる。安倍宗任は鳥海三郎というらしい。安倍頼時の息子が安倍貞任と安倍宗任で、安倍頼時は鳥海柵で亡くなったことになってる。 
 
 安倍貞任の息子の高星丸が津軽に逃げて安藤氏(安東氏)の祖になったらしいけど、安藤氏(安東氏)は戦国時代は秋田県にいたらしい。安藤氏(安東氏)は江戸時代は秋田氏を名乗っていて、福島県にあった三春藩の藩主だったらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 福島県にあった三春藩の藩主は秋田氏で、三春藩の最後の藩主は秋田映季で、明治40年(1907年)に亡くなったらしい。次の秋田氏の秋田重季は大原氏から養子で入った人で、秋田重季の時に太平洋戦争の終戦を迎えて華族制度が廃止になったようだ。
 
 安東実季という人が秋田氏を名乗ったらしいけど、秋田実季は国替えで秋田県から茨城県笠間市にあった宍戸藩に移され、幕府の命で三重県伊勢市の朝熊というところで隠居生活をさせられて亡くなったらしい。秋田氏は宍戸藩から福島県の三春町に移って三春藩の藩主になったらしい。本当か知らないけど・・・。
  
 ウィキペディアを見ると、秋田氏の祖を長髄彦の兄の安日彦とする系図があるらしい。秋田実季が記した秋田家系図に載ってるらしい。
 
 神武東征の話では神武天皇の敵は長髄彦ということになっていて、長髄彦は奈良県の生駒山地のあたりにいたことになってるらしく、那賀須泥毘古や登美能那賀須泥毘古や登美毘古とも記載されてるようだ。
 
 天皇ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

橿原

2024-06-24 23:31:25 | 日記
 神武天皇の話も嘘の気がするけど、皇居も炎上するのかなあ?。
 
 初代天皇の神武天皇は橿原神宮がある畝傍山で即位したことになっているらしいけど、奈良県橿原市にある橿原神宮では神武天皇を祀っていて、橿原神宮は明治23年(1890年)に創建されたらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 橿原神宮のHPを見ると、明治44年(1911年)から橿原神宮の宮域の拡張や施設の整備事業が始まったようだ。大正4年(1915年)から大正10年(1921年)まで国費が支出され、帝国議会でも橿原神宮の拡張整備事業が可決されたらしい。整備事業は大正15年(1926年)まで行われたようだ。
 
 昭和10年(1935年)に当時の総理大臣だった岡田啓介が会長になって紀元二千六百年祝典準備委員会が発足したらしく、紀元二千六百年祝典準備委員会は紀元二千六百年祝典評議委員会ができて廃止になり、内閣には内閣紀元二千六百年祝典事務局が設置され、昭和12年(1937年)には恩賜財団紀元二千六百年奉祝会ができたようだ。それに合わせて橿原神宮の整備が進められていったらしい。
 
 昭和15年(1940年)の年初には橿原神宮からのラジオ中継が行われ、2月11日の紀元節には橿原神宮では紀元二千六百年奉祝紀元節記念大祭が行われ、日本各地の神社でも大祭が行われ、11月10日には紀元二千六百年式典が皇居外苑で盛大に行われたらしい。この年には紀元二千六百年を記念した美術展覧会や天覧武道大会や児童唱歌大会や吹奏楽競演会なども行われ、日本各地の都市や東京や大阪の百貨店で展覧会が行われたらしい。記念切手も発売されたらしい。
 
 橿原神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか