the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 





GITANESをまだ知らなかった頃。
それとは無関係に・・・。

小学生のいつ頃だったか、ある日父と母が
外出先から帰ってきた。
父は両手で、なにやら箱状のものを持っていた。
心なしか腰がやや下がっているように見えた。
その箱状のものは電子レンジだった。
それもむき出しの。

S「何?電子レンジ買ったの?」
父「ははは」
母「新品やったらなんで裸やねん。」
S「そりゃ、そうか」

むき出しの電子レンジは貰い物。
母の次姉えっちゃんからもらったものだった。
えっちゃんが新しい電子レンジを買ったので
不要になったそれを我が家にくれたのだった。
全体が結構でかい筐体なのだが、扉を開くと
加熱室はそれほど広くない。大きい皿では
入らないだろう。
右側はコントロール部分だ。しかしコントロール
部分といってもドアの「開」という大きくて
(直径約7~8センチもあった)丸いボタンと、
でっかい円形のつまみしかなかった。
円形のつまみはメモリがたくさんついていて
「分」という文字が書いてあったから何分加熱
するかのつまみだろうな とすぐにわかった。
「あと何分」などというようなデジタル表示
なんてない。「分」のつまみがジジジジジジ・・・
と少しずつ回っていきゼロのメモリに達すると
「チン!」と鳴って終了という具合である。
これほどシンプルを極めた機器が
他にあろうかと思うほど簡潔な佇まいだった。
それでも電子レンジがそもそもなかった我が家
としては中古電子レンジがやってくるだけでも
画期的なことで、食生活が変わるほどではなかった
かも知れないが、調理作業には諸々の変化を
もたらしたことは間違いない。

数年後、その電子レンジをまだ使っており
基本的な機能は健在だったものの、「開」の
丸くてでっかいボタンがファンキーになってきた。
「チン!」タイマーゼロ、時間が来ましたよ!の
音が鳴ると同時に、ドア「開」の円形ボタンが
前方に飛び出し床に落下するようになったのだ。
「チン!」と「カラン!」がセットになった。
父はなんとかそれを解消しようと、ボンドで
くっつけたが、しばらくするとまたボタンが
加熱完了とともに飛び出す。
うちにあったボンドで直らないということは
もう世の中に直す術がないということとイコール
だったから、もうえっちゃんにもらった電子レンジは
「飛び出す電子レンジ」であるとして、その後も
調理活動を支え続けた。何しろ温まるのだ。
たとえボタンが飛び出そうと、温め中はしばらく
うるさくて会話ができなくなろうと、とにかく
「温まる」という基本にして最大の機能は損なわれて
いないのだから何の問題もないのだ。
そして家族は「そんなことぐらいはどうでもいい」
とすぐに受け入れるメンバーばかりだったのだろう。

そのうちに、飛び出すボタンを空中でキャッチする
という密かな遊びを思いついた。
何か温めるたびにほぼ毎回飛び出すボタンが
床に着地するまえに捕まえられるかが重要になってきて、
もう食品が温まっているかどうかなど二の次に
なっていきそうだった。
この遊びは兄もやっていたようで、夜中に父が
うまくキャッチした瞬間を目撃したこともある。
母はカランコロンとボタンが落下するに任せていた。
姉は「チン!」と鳴る寸前に指で飛び出すボタンを
押さえていた。まあそれが正解なのだろう。

この、えっちゃんの電子レンジはなかなか壊れず、
言ってしまえば壊れるような機能がまったくついて
いなくて、ただ電波が飛び交うという本来の働きに
特化していたせいなのか、ずっとずっと長持ちした。
えっちゃんの家でもそこそこ使っていたはずで、
その後私の家にやってきてからも10年は使った
だろう。
やがていろんなボタンやデジタル表示の窓がある
ような電子レンジが導入されてからも、その電子レンジ
は相変わらずキッチンにあった。
新規のレンジの上に積み重ねられていた。
同時に2台を使用するとブレイカーが落ちるので
さすがにもう電波を発生させることはなかったが
食べ物を入れてドアを閉めてしまえば保管庫には
なるし、虫よけには十分だったのだろう。


そこからまた10年以上経って、
父と母が何の気なしに行ったスーパーマーケットで
なんとなくもらった福引券で、なんとなくガラガラ
と廻したガラガラ抽選機から「特賞!」の玉が出た。
景品はシャープのヘルシオという電子レンジだった。
なにやら水蒸気がよい働きをするとのことだった。

その頃はもう父と母の二人暮らしになっていた実家
にヘルシオは導入された。
流石に電子レンジを3つ積み上げるようなことは
しなかったようだ。でも、傍らには倉庫になったえっちゃん
の電子レンジがまだ置かれていた。
その間に買った電子レンジは先に廃棄されたようだった。

福引の当選から間もなく父の病気が発覚した。
私が建てた家に父と母、ヘルシオが合流し新しい
生活が始まったが2年後になくなった。
あの電子レンジをくれたえっちゃんもその2,3年後
に亡くなった。小さい小さい葬式で見送った。

母はヘルシオの多機能さについていけず、最も
プレーンな使い方しかできなかった。
その母は1年数か月前に亡くなった。

大活躍したえっちゃんの電子レンジは
引っ越しとか実家解体とかどこかのタイミングで
処分してしまった。
飛び出すボタンが懐かしい。









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