GITANESを線香代わりに(5)・・・。
それとは無関係に・・・。
私は次男ではあるが、故あって親と仏壇を自宅に置いていた。
おやじが亡くなったここ10年は法事一切も曲りなりに取り仕切っていたが
このたび長男である兄が亡くなったので、兄宅へ仏壇を移すことになった。
兄の家族が兄の位牌や遺影に拝むには、仏壇もいるだろうし
そもそも兄宅にある方が自然だった という理由からである。
長男だから次男だからと、由緒ある家系でもあるまいし
御託を並べる気はないのだが、仏壇がどこにあるのが合理的かと考えると
私の元よりも兄家族の元ということになる。
病院で寝たきりの母親はもう意思表示もできないのだが
まだしっかりしている頃に
「お父さんの遺骨は私が死ぬまで納骨しないでね。一緒に納骨して欲しいから」
とのリクエストがあった。
だから、仏壇が引っ越して行った後も父の遺骨は私の手元に残す。
病院は母にとっては仮の住まい、本拠地は私の自宅だから
いずれ骨になった母は私の自宅に帰ってきて、そして父の骨と一緒に
高野山へ納骨されることになる。
そういう理由で、仏壇はなくなっても父の遺骨と遺影のコピー、
それとケンタロウ(犬)の遺骨は我が家に残る。
さて、もうそうなると仏式の諸行事は
少なくとも我が家で行われることはなくなる。
それらしく毎朝毎夜線香を立てて手を合わせるつもりだが
それは仏教式という意識とは離れる。
私が死んでも仏式での諸行事はやらないことと決めた。
坊主・寺不要。戒名不要。墓は一応作っておくが、どこの宗教ということではない様式だ。
葬式はなく、お別れ会はやってもらってもいい。
線香も不要、花だけ供えてもらおう。
法事も要らぬ。
私の誕生日に、近親者にはハンバーグでも食べて思い出してもらう。
遺骨は新設する墓と、テレビの下の収納か、キッチンの吊戸棚の中へ納める。
仏壇がないからだ。不要だ。
遺影を5年に一度ぐらいの頻度で撮影しておこうと思う。
巨匠Kent Hopper氏は撮ってくれるだろうか。
子孫が私の宗教的供養グッズ--仏壇やら位牌やらなにやらを
ずっと背負っていかなくても済むように。
死んで何年経ったから○○回忌だとかなんとか、煩わされないように。
次男坊の家系であることを謳歌、とまではいかないが
ちょっと伸び伸びやれるように。
そのようにして私は煙のように消えていくのみになる。
50年後の話だけどな。
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