GITANESを吸うことは、もはや習慣ではなく
挑戦である。
それとは無関係に・・・。
最近はマフラーを愛用しているのだが、昨日の昼間などは
ちょっとした外出ならマフラーがなくても寒さを感じなかった。
ポカポカと暖かく風もない。
会社から某所へ徒歩で移動中。
近所の小さい神社にさしかかった。
向こうからは、近所に住んでいるかどうかは分からないが
おばあちゃんが一人で歩いてくる。
それほど足が達者でもないらしく、ゆっくりゆっくり歩いている。
こんな陽気なら、いつもより歩きやすいだろうな、
なんて思っていると、おばあちゃんが意外な行動を取った。
いや、私にとって意外だっただけのことだろう。
神社の正面を通りすぎるとき、おばあちゃんは
神社の方に顔を向け、見ていないとわからない程度に、
そのおばあちゃんは会釈をしたのである。
「あっ!」と思わず声が出そうになった。
そうか、こういう風に「文化」と「さりげなく」「付き合っているんだ」
と、(誰にも悟られないように)深く感動してしまった。
腰を90度に折り曲げて深く深く頭を垂れたのならば、
私も何の感慨も持たなかったはずだ。
ひょっとすると、「引いて」しまうかも知れない。
さりげなく、さりげなく。
通りすぎる際に軽い会釈。
生活に根付いていないとなかなかできない所作である。
神や仏や、宗教観や歴史、支配と隷属、
カルトやインチキ、美しい日本、愛国心、
郷土愛、
諸々を論ずる気はまったくないし、どちらかというと
ほとんど信心深いとは言えない。
国を愛せと言われると「強制するな」と感じるし、
「日の丸を掲げるな」と言われると、
「おれの勝手じゃ」と感じる。
「わが国は愛するに値しない。」なんて風な言葉が聞こえてくると
「お前は日本から出て行け。」と感じてしまう。
「日本の文化を大切にせよ」と言われると、
実際にはどうしていいかわからないのが本音だ。
しかしおばあちゃんのあの振舞には、
色々なことを超越した「日常性」があったのだ。
猛烈にこのおばあちゃんが羨ましくなった。
さて、用事を済ませた帰り
その神社の前にさしかかった。
気恥ずかしくて、会釈ができなかった。
まだまだ修行が足りない。
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