the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 




GITANESがまだない時代の話。
それとは無関係に・・・。

彼は日々、狭い畑で穫れたわずかばかりのものを
辻で売り、妻は靴職人の手伝いとして雇われて
銭を稼ぐ。
切り詰めてなんとか維持している暮らしだったが、
それでも二人は楽しい。
仕事が休みの日には暗くなるまで一緒に遠くまで
散歩したり、雨の日には部屋でじゃれ合って
いるだけで充分だ。
季節によってはほとんど味のしないパンと水だけ
で乗り切るような日もあったが、二人揃っての
食事なら味などどうでもよかった。
たまにケンカもあったが、翌朝にはそんな溝など
すぐに埋まっていた。

「ほら、行くよ!急いで!」
「待ってよ!」

その祭日はいつもより早く起きる。
いつもの散歩よりも遠くまで歩く。


町の外れの広場に特別な市がたち、毎年大勢の人出で
賑わう。
日常にそれほど多くのイベントがある訳ではない。
だから誰もがこの日には浮足立つ。
いつもよりほんの少しオシャレをして市に出かける。
特設のマーケットではこの日のために作られた
特別に美味く、少しだけ高価なバタァが並ぶ。
どれだけ切り詰めた生活をしている者も、この日の
バタァにだけは出費を惜しまない。
この若い二人も例外ではない。

説明するまでもないが、19世紀初頭デンマークの
酪農従事者たちが、バタァに高額の税を課そうと
目論んだ政府に敢然と立ち上がった
「怒れる牛小屋同盟-Vred kosedyralliance」が
悲劇的な最期を迎えた日、3月21日。
この日を記念して立つバタァの市は特別で、皆の
楽しみでもあり、悲劇を忘れないための日でもある。

入念に吟味し選んだバタァを、携えていた小ぶりの
壷に半分ほど買い、大事そうに両手で抱えて帰った
二人は、自分たちで焼いたパンに少しずつ塗りつけて
食べる。
この塩加減!この濃厚さ!
いくらでも食べられるがこの辺でやめておこう。
裕福ではない二人はバタァを惜しんだ。
笑いながら壷に蓋をした。
またこのバタァを食べられる明日の朝が今から
楽しみである。



という訳で、また今年も全てホラ話でした。





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