光風園

2008年02月21日 | 活動報告




土鍋プリンさん、コメントありがとうございます。(2月16日のコメントです。)
懐かしい思い出の土俵がある場所は、本荘公園光風園相撲場です。本県初の常設相撲場として建設されました。光風園の土俵では、私も小さい頃に相撲を取ったことがあります。近くの公園の坂で冬にはスキーをしたこともあり、私にとっても思い出深い場所です。幼い頃の懐かしい思い出を共有していますね。土俵の写真を撮ってまいりました。今でも健在です!
■光風園: 住所 由利本荘市砂糖畑地内
■連絡先: 由利本荘市教育委員会スポーツ振興課 電話0184-24-6287

【光風園と相撲】
私の祖父・須藤善一郎が光風園相撲場を建設した目的は、本荘の愛宕山では明治維新前から毎年相撲が行われ賑わっていたのが、廃藩後全く廃れてしまったのを復活させたいと願っていたこと、地域の若い人々の間に相撲を広めること、また地域から優れた力士を生み出すことだったようです。
そして近隣の町村の方々のご支援を戴いて、明治40(1907)年、土俵を囲む四本柱で鯱鉾の載った屋根を支えた相撲場が完成し、7月11日に盛大な開場式が行われました。当時四本柱があり、数千人分の観覧席を備えた常設相撲場は、国内でも数少なかったと聞いております。
光風園の名前の起こりは光風霽月からであり、大正2年8月、今の由利本荘市子吉・玉の池から東京大相撲に入門した力士・小番貞蔵に、祖父は光風(てるかぜ)貞太郎と名付けて送り出しましたが、光風はその後小結にまで昇進しています。
この相撲場が完成した翌年の明治41年9月21,22日の両日、当時の横綱、梅ケ谷・駒ケ岳一行の興業が行われ、4千7百余人の観客で大盛況であったと記録されています。その後も毎年8月に近隣町村の若者の所謂「放楽相撲」が開かれていました。
 昭和8年、祖父はこの相撲場の一角に相撲の神様といわれる野見宿禰を祀った宿禰神社を建て、毎年の「放楽相撲」に併せてお祭りをしていました。私が子どもの頃の昭和12~17年頃には、毎年夏に東京大相撲の巡業が来て、当時の横綱玉錦、武蔵山、男女川、それに双葉山一行なども来たものでした。
 祖父は昭和12年4月に75歳で亡くなり、父がその後を継いで、戦時中は青年団の相撲の練習に供し、戦後は昭和23年に「光風園放楽相撲」を再開しましたが、この「復活放楽相撲」は昭和25年8月27日の第3回が最後でした。また、東京大相撲としては、照国・羽黒山一行が昭和26年7月31日に来園していますが、これが当園への最後の巡業ではなかったかと思います。
(須藤善一郎孫、須藤恒久氏 書簡 秋田県相撲史より)

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1 コメント

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あの土俵です (土鍋プリン)
2008-02-21 23:19:45
わざわざ取り上げて頂いてうれしいです。
本当に毎日遊びました。屋根つきなので雨の日も遊べる便利な場所でした。
相撲の興業は一度、雄勝出身の力士が来ることになり、幟も立ったんですが中止になりました。
結局その後も実現しなかったんですね。
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