活動日記

2012年12月01日 | 活動報告

機敏Vol.13(2008年2月発行)より、株式会社ヤマダフーズさんの取材記事をご紹介いたします。

仙北郡美郷町 秋田から納豆で世界の食文化に貢献する
株式会社ヤマダフーズ

「おはよう納豆」と言えば秋田では良く知られた納豆のブランドだが、今では全国の店頭でお目にかかれる。健康食としての納豆の可能性に誇りを持ち、秋田から全国に向けて納豆文化を広げる姿は、さながら「伝道師」のようだ。




原料安定供給のため、アメリカ・カナダ・中国などに契約農場がある
(右から二人目が山田清繁社長)

地域トップに飽き足らず、首都圏の市場開拓へ

納豆ないうまでもなく日本を代表する伝統食の一つである。とりわけ、横手盆地一体が戦場となった後三年の役が納豆の起源といわれている秋田ではなじみが深い。
現在、秋田県内には9社ほどの納豆メーカーがある。比較的小規模なメーカーが多い中で、美郷町のヤマダフーズの経営規模は群を抜いている。国内の納豆メーカーでは4位についているという。
ヤマダフーズが大きな飛躍を遂げたのは平成8年の茨城工場完成が契機となった。現在、本社工場の日産30万個に対して、茨城工場の日産は実に120万個。
大消費地に近い同工場の存在は非常に大きな意味を持つ。それにしても、茨城県の水戸といえば全国的にも有名な納豆の本場。その水戸を擁する茨城県に納豆工場を建設するというのは、いかに秋田のトップメーカーとは言え、大きな冒険だったが、それには一つの布石があった。同社の前身である金沢納豆製造所が創業したのは昭和29年であったが、それから20年後の昭和49年には大型冷蔵トラックの自社便で本社工場で生産した納豆を連日首都圏に送りだしていたのだ。
秋田では珍しくない「ひきわり納豆」だが、それを首都圏に持ち込んだのは実はヤマダフーズであった。消費地に「ひきわり納豆」を普及させようという営業担当者の精力的な売り込みが奏功し、イトーヨーカドーとの取り引きが始まった。そこから、「おはよう納豆」という同社のブランドは、首都圏の消費者にもよく知られる存在になっていた。したがって茨城工場の完成は同社にとって満を持してものであった。


オートメーション化と衛生管理に細心の注意が払われた工場

もう一つ、いかにもこの会社らしいエピソードがある。
現在、納豆の定番商品は他地域を含めて1パック50グラム前後というのが主流だ。もともと納豆といえばほとんどは1個100グラム前後というのが相場だったが、この納豆の小パック化に最初に着手したのが他ならぬヤマダフーズの先代社長だったのだ。これが核家族化や一人暮らし世帯の増加と言う社会情勢にマッチしてたいへんヒットした。
伝統食メーカーでありながら、市場開拓の可能性や消費者の動向を的確に見抜いてきたことが同社の成長の鍵であった。
「今後は、納豆の消費が飛躍的に伸びるということはないと思います。そんな状況を、多商品化で乗り切っていきたいと考えています」と、同社管理部小西恭司さん。
小回りのきく新商品開拓が同社の自慢である。女性社員で構成された新商品開拓スタッフが、ユニークな納豆商品を生み育てる努力を続けている。納豆のような大豆由来の食品は人類にとって理想的なたんぱく源であり、その意味では健康産業、納豆をつくり続けているこの会社自体も、たいへん元気な企業だ。


女性スタッフで構成される企画室で新商品開発のお話をうかがった。

株式会社ヤマダフーズ
 住所:秋田県仙北郡美郷町野荒町字街道の上279
 電話:0182-37-2246




活動記録

2012年12月01日 | 活動報告

機敏Vol.12(2007年10月発行)より、横手市フレンドールさんの記事をご紹介いたします。

横手のおいしいお菓子屋さん
フレンドール今昔物語



顧客満足を追求した結果行き着いたという、フレンドールの営業形態。そこには地域密着の真の姿と、小規模店舗が激動の時代を生き抜くためのヒントがギュッと詰まっていました。
フレンドール今昔物語、ここに開演。
この記事すべての店舗経営者と、地方での新規出店を考えている皆様に送ります。

横手市旭川一丁目に昭和50年の創業。たった2人で始めた小さなパン屋さんだった。
大がかりな宣伝活動を行っているわけでもなければ、積極的なチェーン展開に力を注いでいるわけでもない。ひたすら地道に地域に愛される店作りを心がけてきた。その成果が、1日平均500~600人という来客数に表れている。郊外型大型店やコンビニエンスストアの進出による、小規模店舗苦戦のニュースもどこ吹く風。朝の早い時間帯からフレンドールは活気に溢れ、連日レジの前に行列ができるほど。遠方から訪れるファンも多く、最近始めたインターネット販売の売れ行きも好調だ。

店に入ると、まず商品数の多さに圧倒される。
正面にケーキ、右手にパン、左手には和菓子のコーナーがあり、洋菓子のコーナーも設置されている。小さな店舗の場合、一つの分野に特化することが成功への近道と言われる中にあって、フレンドールはまさに真逆の手法。
店の一番の目玉は、ブームになる前から手がけていたという『メロンパン』。
週末には1,000個以上も売れるというこの人気商品は、ふわっとした食感と口の中いっぱいに広がる爽やかな甘さが特徴。子供からお年寄りまで、幅広い層に親しまれているというのもうなずける。



次に目についたのは、冷暖房を完備した休憩室と、店内の隅に置かれた貸し文庫の棚。
「専門家の中には、こういうサービスをムダと思われる方もいるかもしれませんね。だけど私たちは開店当初から、大きくなろうとか、たくさん儲けようという目標を持ってやってきたわけではないので。お客様の声に耳を傾けて、最良のサービスを提供することだけを考えていたら、自然とこういう形になったんです」と、専務取締役・勝田菊枝さん。
無料で利用できるこれらのサービスは、今や店舗スタッフと地域住民、あるいは地域住民同士の重要なコミュニケーションツールとなっている。

フレンドールは、従業員の多さも特筆もの。販売スタッフ約10名、製造スタッフ約30名の計40名という、小規模店舗にしては珍しい大所帯となっている。中には朝の商品陳列に間に合わせるため、午前3時に出社するというスタッフも。だれもが突然の取材にも嫌な顔ひとつせず、話しかけると手を止めて、笑顔で応じる姿がとても印象的だった。
往々にして、内部の雰囲気の良さは外部へ波及する。スタッフ1人ひとりの人柄の良さ、店舗内の風通しの良さが、フレンドールに人が集まるもう一つの要因になっているような気がした。



こうして一見順風満帆に見えるフレンドールだが、実は開店3年目に、継続か閉店かの瀬戸際に立たされている。
原因は、店舗全焼という大きなできごと。
「古い石油ストーブが原因でした。これからという時に、こんな悲しいことが起きてしまって……本当にもう駄目かと思いました。だけど不幸中の幸いというか、機械類だけは無事だったんですよね。当時は経営の規模も今ほど大きくありませんでしたし、まだまだ人生を諦める年じゃない!と周りの方にも励ましていただいて。主人と二人で、もう一度頑張ってみることにしたんです」(勝田氏)

折れた骨が折れる前よりも丈夫になるように、悲運を乗り越えた若い二人は一段とたくましさを増し、その後店舗は順調に成長し続けていった。
「私たち二人だけでは、とてもここまでこれなかったと思います。火事でお店がなくなった時に『出世払いでいいから』と言って出資してくれた方々や、スタッフの協力があったからこそ、何とか苦難も乗り切れました。スタッフに関しては、不思議なくらい優秀な人材が集まり、従業員が成長するごとに、お店も成長していったという実感がありますね。社員教育ですか?主人は元々職人気質で、あまり前にでるタイプではありませんし、私もそんなに言う人間ではないので……。一応のルールは決めてますけど、後は現場の判断、個々の判断に任せています。何も言わなくても、きちんとやってくれますから。身内の贔屓目抜きで、みんな本当に優秀なんですよ」(勝田さん)。

素材本来の味にこだわり、機械に頼ることなく、一つひとつ丹念に手作業で作られているフレンドールのパンやお菓子。新しさと懐かしさが共存し、幅広い層のファンを魅了して止まないその味覚はこれからもたくさんの『おいしい笑顔』を引きだしていくに違いない。

お菓子のフレンドール
 住所:秋田県横手市旭川1丁目5-39
 電話:0182-32-8725
 年中無休(元旦のみ) 営業時間 9:00~18:00
 http://www.friendoll.co.jp/