機敏Vol.13(2008年2月発行)より、株式会社ヤマダフーズさんの取材記事をご紹介いたします。
仙北郡美郷町 秋田から納豆で世界の食文化に貢献する
株式会社ヤマダフーズ
「おはよう納豆」と言えば秋田では良く知られた納豆のブランドだが、今では全国の店頭でお目にかかれる。健康食としての納豆の可能性に誇りを持ち、秋田から全国に向けて納豆文化を広げる姿は、さながら「伝道師」のようだ。
原料安定供給のため、アメリカ・カナダ・中国などに契約農場がある
(右から二人目が山田清繁社長)
地域トップに飽き足らず、首都圏の市場開拓へ
納豆ないうまでもなく日本を代表する伝統食の一つである。とりわけ、横手盆地一体が戦場となった後三年の役が納豆の起源といわれている秋田ではなじみが深い。
現在、秋田県内には9社ほどの納豆メーカーがある。比較的小規模なメーカーが多い中で、美郷町のヤマダフーズの経営規模は群を抜いている。国内の納豆メーカーでは4位についているという。
ヤマダフーズが大きな飛躍を遂げたのは平成8年の茨城工場完成が契機となった。現在、本社工場の日産30万個に対して、茨城工場の日産は実に120万個。
大消費地に近い同工場の存在は非常に大きな意味を持つ。それにしても、茨城県の水戸といえば全国的にも有名な納豆の本場。その水戸を擁する茨城県に納豆工場を建設するというのは、いかに秋田のトップメーカーとは言え、大きな冒険だったが、それには一つの布石があった。同社の前身である金沢納豆製造所が創業したのは昭和29年であったが、それから20年後の昭和49年には大型冷蔵トラックの自社便で本社工場で生産した納豆を連日首都圏に送りだしていたのだ。
秋田では珍しくない「ひきわり納豆」だが、それを首都圏に持ち込んだのは実はヤマダフーズであった。消費地に「ひきわり納豆」を普及させようという営業担当者の精力的な売り込みが奏功し、イトーヨーカドーとの取り引きが始まった。そこから、「おはよう納豆」という同社のブランドは、首都圏の消費者にもよく知られる存在になっていた。したがって茨城工場の完成は同社にとって満を持してものであった。
オートメーション化と衛生管理に細心の注意が払われた工場
もう一つ、いかにもこの会社らしいエピソードがある。
現在、納豆の定番商品は他地域を含めて1パック50グラム前後というのが主流だ。もともと納豆といえばほとんどは1個100グラム前後というのが相場だったが、この納豆の小パック化に最初に着手したのが他ならぬヤマダフーズの先代社長だったのだ。これが核家族化や一人暮らし世帯の増加と言う社会情勢にマッチしてたいへんヒットした。
伝統食メーカーでありながら、市場開拓の可能性や消費者の動向を的確に見抜いてきたことが同社の成長の鍵であった。
「今後は、納豆の消費が飛躍的に伸びるということはないと思います。そんな状況を、多商品化で乗り切っていきたいと考えています」と、同社管理部小西恭司さん。
小回りのきく新商品開拓が同社の自慢である。女性社員で構成された新商品開拓スタッフが、ユニークな納豆商品を生み育てる努力を続けている。納豆のような大豆由来の食品は人類にとって理想的なたんぱく源であり、その意味では健康産業、納豆をつくり続けているこの会社自体も、たいへん元気な企業だ。
女性スタッフで構成される企画室で新商品開発のお話をうかがった。
株式会社ヤマダフーズ
住所:秋田県仙北郡美郷町野荒町字街道の上279
電話:0182-37-2246
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