











何事も「イメージすること」が大切と思うこの頃。
今この言葉にこだわっています。
その1
時々、自分はどんな表情をしているかイメージ。歩き方はどんなかイメージ。
できるだけ穏やかで、シャキッとした形でいたい。
その2
街の中、電車の中の人々にも、すれ違う人にも、
それぞれ家庭があって、一人一人の後ろには
多くの人が控えていて、それぞれが大切な存在だ
ということをイメージ。
そうすれば、人をおとしめたり、おろそかな扱いはできないはず。
その3
お稽古事でも、完全な形を見て、自分がどこまで
その形になっているかイメージ。
なかなか自分を客観的にみることができない。
そこを客観的にイメージしてみることが向上の
ポイントではないかと思う。
その4
自分たちもそうですが、特に直接政治にたずさわっている方々、
国家公務員の方々は、特にこれからの子供たちや若い方々の
未来をイメージして、積極的に行動してほしいですね。
その方々それぞれにも、お子さんやお孫さんもいることでしょうから。
その5
話題の人を追いかけ回す報道記者も、返ってこない返事を求めて、
悲鳴のような声でマイクをさしだす自分の姿をまともかどうか
イメージすること。必要ですね。
その6
以前食品関係の事件で、PTAが不買運動。
抗議とこらしめでしょうが、結果、新鮮なものを捨てまくることに。
食べ物を粗末にしないなんて教育できませんね。
学校にはその会社社員の罪のない子供たちも通っていたでしょうに。
これも、イメージ不足のなせることですね。
「イメージする」は「想像力を働かせる」こと。
目先のことで追われていたら、進歩はありません。
考えることは無料ですから、大いに頭をつかって、イメージ、イメージ。
良い方向に向かって行きたいものですね。
これが、犯罪やいじめのない社会への第一歩と思いますよ。
ここ2~3日の餃子事件を見ると、赤福や白い恋人事件は体に影響なしの
ようですし、「もったいない」という気持ちもあったのかも。
いろいろ考えさせられます。基準をどこにもっていくか。
個人個人が、昔は腐っているかどうか判断しましたね。
たとえば、
牛乳は沸かして分離したらだめ。
卵は割ってとろりと崩れたらだめ。
豆腐はにおいと、もちろん少し口にして酸っぱかったらだめ。
周りを切り落として使ったことも。
魚・肉などはにおいと指でさわって糸をひいたらだめ。
バターなどは、常温でキープして、悠々と使っていましたね。
話が脱線してしまいましたが、いろいろ考えてみること。
大切ですね。