こんな本を読んでいる

日々出版される本の洪水。翻弄されながらも気ままに楽しむ。あんな本。こんな本。
新しい出会いをありがとう。

カトリーナがアルカイダの仕業だとしたら

2005年09月05日 | 読書ノート

 もちろん私の勝手な想像である。9.11以降,想像もしていなかったことがいっぱい起こるので,「カトリーナがアルカイダの仕業で,ビン・ラディンが犯行声明などをしてしまう」などといった妄想もしてみたくなるのである。自然をも味方にしてしまうとそれはもう神の域の所業としか言いようがなく,それはそれで恐ろしい妄想だけれど・・・。

  ところで,昨日のアースダイバー。そのそもきっかけは,何かというと,数年前,中沢さんがチュニジアで遺跡めぐりをしたときに,一緒になったイタリアのインテリ女性に,日本には遺跡があるのかと聞かれ,「東京には5千年前の縄文時代のがごろごろしている。」と語り,お相手の失笑を買ったのが着想のきっかけなのだそうだ。

 帰国後,東京の地質を調べてみると,縄文期には東京の多くは海中下にあったこと,海中下にあったところが沖積層,陸地部分が洪積層で,その二つの地層の分布をていねいに追っていくと,その時代にどの辺まで海や川が分布しているのかがわかり,それらをマッピングしてみると,フィヨルド状の地形が浮かびあがってくるのだそうだ。
 そして,陸地を形成している岬にあたるところに,必ずといっていいほど神社・仏閣の類があり,しかも,現在も存在していることがわかった。その縄文期からある現代の遺跡ともいうべき地を,地図を片手に自転車で訪ねる旅,それがアースダイブなのである。

 そして,その分析視角は,アンチ西欧一神教。環太平洋の発想でいこうというのである。環太平洋の発想とは,アメリカ先住民の発想・伝承である。神が天地(そして何もかも)を創造するという西欧一神教の発想とは違い,はじめに世界には陸地がなく一面水におおわれていた,ただそれだけの状態と見る。そして,そこに,カイツブリが力をふりしぼり水にもぐり水底から持ち帰える。その一握りの泥がやがては陸地を形成していく。海中に潜り,もぐっては泥を握り,持ち帰る。そんなことを繰り返しの中から世界が創られたと見るのである。

 以下『アースダイバー』P11~12から引用する。

 「(神様が)頭にあったプログラムを実行して世界を創造するのではなく,水中深くにダイビングしてつかんできたちっぽけな泥を材料にして,からだをつかって世界は創造されなければならない。こうした考え方からは,あまりスマートではないけれど,とても心優しい世界がつくられてくる。」のである。そして,
 「泥はぐにゅぐにゅしていて,ちっとも形が定まらない。その泥から世界はつくられたのだとすると,人間の心のおおもとは泥みたいなものでできているに違いない。泥みたいな材料でできた心を「無意識」と呼ぶことにすると,この「無意識」を歪めたり,抑圧したりするのでないやり方で,人の生きる社会もつくられていたほうがいいのでないか。」「日本列島に生きてきた人間たちは「無意識」を泥のようにしてこねあげるやり方で,自分たちの社会をつくってきた。~私たちの社会はアースダイバー型の特徴を持っている。」

 「一神教の文明は,人間の心のおおもとをなしている泥のような「無意識」を,抑圧してしまうことによってできた。そのおかげで,どんくさい(泥臭い)「無意識」の介入なしに,スマートで合理的な文明を築くことができた。しかし,そうやって抑圧してきた「無意識」が,いま様々な形のテロによって,コンピューターに管理されたグローバル経済の社会に,挑みかかろうとしている。9.11の出来事があからさまに示してみせたことの本質とは,こういうことなのである。」そうだ。そして,

 「そこでぼくは自分もカイツブリにならなけらばと思ったのである。泥を材料にしてつくられてきた「人間の心」という陸地が,水中に沈みかけている。そこでもういちど水の中に潜って,底のほうから一握りの泥をつかんでこなければいけなくなった。その泥を材料にして,もう一度人間の心を泥からこね直すのである。そんな東京を見回してみると,驚いたことにそこには,大昔に水中から引き上げられた泥の堆積が,そこここに散らばっているのが見えてくるのだった。」

 「東京という都市は,「無意識」をこねあげてつくった社会にふさわしいなりたちをしている。目覚めている意識に「無意識」が侵入してくると,人は夢を見る。アースダイバー型の社会では,夢と現実が自由に行き来できるような回路が,いたるところにつくってあった。・・・」  


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