FRB議長就任直後に,史上最大の株価下落率22%を記録するブラック・マンデーの大暴落を経て,異常な株価上昇が続くなか,金利
調整策を次々と打ち出すグリーン・スパンの手腕が絶賛されました・・・(P138)」確かに当時は,グリーンスパンの礼賛本が巷にあふれ,
お風呂の中でも経済動向を考えるという逸話と相俟って,クリントン政権下のニューエコノミーの勃興は,彼のなせるわざと,私自身も,
当時,グリーンスパンを大いに評価していた。
ところが,「それは,とうに脱線しているはずのアメリカ経済が,超大国には抵抗できないという世界情勢の中でたまたま生き延びただ
けなのです。1999年にルービンらと組んでグラス・スティーガル法を廃止したのもグリーンスパンです。」
さらには,「翌2000年に株価の下落が始めると,直ちに金利を引き下げて住宅価格の上昇を誘発したのは,最大のミスでした。
2002年には,FRBが大手会計事務所の規制を拒んだために,ウォール街の大企業の不正経理が続発して,やはり,グリーンスパンの
ために株価が大暴落しました。
銀行業界の監督者でありながら,規制強化に常に反対し続けたグリーンスパンは,デリバティブの収益増加を賞賛して,投資業者の後ろ
盾となり,かくしてなんの規制もないサブプライム・ローンの融資を放置して,アメリカ経済を恐慌状態に陥れたのです。(P138~139)」
LTCMの隆盛,金融工学の素晴らしさなどは,グリーンスパンの巧みな金利調整術とともに,かつて礼賛された。その渦中のマスコミ
報道を,ほぼ100% 鵜呑みにし,自ら礼賛していたものだが,20年にわたる歴史的検証を突きつけられると愚の音もつかない。