信長の棺 日本経済新聞社 このアイテムの詳細を見る |
blog Ranking へ
年末に読み始めたけど,話の先が読めそうで興ざめになってしばらく読みさしていた『信長の棺』。2~3日前から再開したら,結構,おもしろくなってきた。小説の筋とは離れるれど,おもしろいと思った箇所を2つほど紹介する。
〔その1 言刃を言葉に 〕
秀吉の命により,信長の一代記を記すこととなった織田家臣,太田信定(牛一)。太田への鈴付け役は,石田光成が家臣大山伯耆守。執筆中における二人の会話。秀吉にきめ細やかな配慮を欠かさない主君石田光成が御家中で評判があがらないことを愚痴る伯耆守に太田が向けて言う一言。
「 三河狸(徳川家康)相手には,何よりも,それ以上の誑かし(だぶらかし)の技が必要じゃな。それにはまず,言葉から刃を取り去ること。失礼だが治部殿の言葉は言葉ではなく,言刃じゃ。それも剃刀,錐の刃じゃ。城内で愚か者を相手に物を言われる時は,一度,ごくりと唾を飲み込んでから,ゆっくりとお話しなされては如何かと。その間に言葉の刃を葉に変えることをお勧めしたい。(P212)」
まるで,自分に向けられたアドヴァイスのようである。昨夏亡くなった母にもよく「言葉は拾えない。言葉を飲み込め。」と言われていた。公私を問わず言葉が言刃になって失敗することは多い。刃は人の心を傷つける。言葉はひとたび放たれると拾えない。ごくりと飲み込んだ後に,取捨選択してから,発しても決して遅くない。空白に耐える勇気さえあれば良い。言刃を飲み込む勇気は生きる上で強力な武器になる。
〔その2 『世間虚仮,唯仏是真』(せけんこけ,ゆいぶつぜしん)〕
「母はかねがね『世間虚仮,唯仏是真』という言葉を唱えておりました。」
「聖徳太子の法語じゃな」
「はい。この世は全て虚仮じゃ。母はそう私たち子等に教えなされました。しかし,こうも申されました。だからといって,虚仮を虚仮けと観じ,心なく演じてはならぬ。それでは世間さまは振り返らない。虚仮ならばこそ,それ実と思い,懸命に涙しながら演じた時,それが世間さまに初めて感動を与える。そなた等もそう信じ,感動を与えるうように生きることじゃと」(P241)
秀吉によって筆が歪められ,心酔する信長の一代記が汚されたときに,牛一が女から受けたアドヴァイスである。この助言で牛一は,「たとえ書き物に虚仮が混じろうと,それでも心を込めて書くなら,後世の読者はそれを許し,真実以上に感動してくれるに違いない。(P241)」と吹っ切れ,執筆に邁進する。
頑張っても認められないとかどうとか,サラリーマン人生の悲喜こもごももあるが,『世間虚仮,唯仏是真』の精神さえあれば何も恐くない。「虚仮ならばこそ,それ実と思い,懸命に涙しながら演じた時,それが世間さまに初めて感動を与える。」と思えば,前向きに取り組める。他人に評価を求め,媚を売る必要もない。