昨日は石薬師高校で進路ガイダンスの時間に地域の社会人としていろいろ話してきました.
先生方は生徒の態度が悪いことを気にしていたが,彼ら自身がどうしたいのかという方が興味ありました.
「授業中のおしゃべりはいけない」というのではなく,
「なぜいけないのか?」
「本当にいけないのか?」
「おしゃべりしてもいいんじゃないのか?」
「おしゃべりが許容されるためにはどうすればよいのか?」
といった発想に発展していかないのがちょっと残念でした.
抵抗する態度を見せても,そこは従順ということなのだろうか.
気づきの機会をことごとく失っていく生徒もいて,それを目の当たりにしながらすごく心が傷つきました.
「集中しなさい」と先生はいうのかもしれないが,いろんな条件が重なって集中できないことだってあるわけで,集中しなくてはならないという前提は絵に描いた餅.
それなら集中できないときに何をすべきか順位までつけておけばと思うのだけど,そういった武器で自分を守ることもできずにいる.
彼らにはもっと自分のことを大事にしてほしいと思いました.
まぁ,多くはそういうことを感じさせないいい生徒なんですけど.
あらゆるデータのパケットが行き交うインターネットのように国際社会は多様化して政治・経済・金融の妙を活かしながらしのぎ合っている時代が来ているのに,過去の正しいだけのことを教えられて目隠し運転に出ていく怖さがありますね.
自分自身を信じるための材料についてはしつこく何度も言ってきたから,いつか自ら気付いてくれるかな.
生徒のレベルは私は想定レベルとほぼ同じだったので,生徒が明るいことが余計にうれしかったけど,多くの講師にはかなり不評だったようだ.
過保護な環境というのは,相応の報酬を払わない限り中学を出たらもういらないんじゃないのかなと思うけど,気付いてそれを求めていくのも彼らの権利であり,栄誉を得る機会でもあるかな.
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