私はやりたいことをしているだけだが,「いいことをしている」ともよく言われる.
しかし自ら「いいことをしているから」と言って,それを何かの免罪符にしようとするのは間違いだと思う.
「いいことをしている」という言葉は,常に客観的であるべきだと思う.
私にとって「いいことをしているつもりになっていないか?」というのは,常に自らに問いかけていることであって,それを止めるつもりはない.
慈善と偽善は常に際どいライン.
客観的評価が欲しくないわけではないが,それが特定の機関からのものである必要があり,時にそれが明文化されている必要がある.
善意に苦しむケースだってあるし,善意が善意と認められないケースもよくある話.
開き直った善意は時に醜く,時に悪臭を放つ.
臭いの察知が誰よりも早いから仕事になっているわけだが,悪臭ゾーンに閉じ込められ続けるのは実に不快だから早めに解決しないといけない.
なお,この記事における「いいこと」というのは性的なことではないことに留意していただきたい.
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