「動執生疑」(どうしゅうしょうぎ)

2018年04月02日 18時24分20秒 | 社会・文化・政治・経済
あいまいな点について、一つ一つ、明確にしていく習慣が、自分自身を充実させていく。
「動執生疑」(どうしゅうしょうぎ)
執を動じ、疑を生む。
すなわち執着を揺り動かし、疑いを生じさせる。
これまでの執着や、とらわれを動揺させ、これまでの考えは本当に正しいかったかのだろうか、疑いを生じさせて、より高い次元へと目を向けさせていくことである。
釈尊が衆生を導く方法の一つを意味する。

例えば、お金に執着し、金こそ至上と思い込む人。
そこで、何のためのお金かと問いかける。
手段と目的。
お金を盗んでまで得る。
高齢者を騙してまでお金を奪う。
何のために人をいじめるのか?
いじめが悪いことだと、気づかせる。
他者の痛みを想像させる。
「動執生疑」への流れが不可欠。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 世界市民主義 | トップ | 運命を使命に変える »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

社会・文化・政治・経済」カテゴリの最新記事