第 156 回 新型コロナウィルス問題-日本はなぜ対応を誤ったのか

2020年11月29日 06時31分57秒 | 事件・事故

市中感染が最大の問題

情報システム学会 メールマガジン 2020.5.29 No.15-02
連載 情報システムの本質に迫る

芳賀 正憲

新型コロナウィルス感染問題への対応で、日本は、台湾、韓国、ドイツなどに比し、大幅に後れをとりました。何よりも、感染問題への対応の基本となる、検査の徹底が遅れました。

クラスターのみに注目、クラスター対策こそ、この問題の本質と考えていたからです。クラスター対策は日本の新型コロナ問題への対応の、他国にない特長であり、5月になってからでさえ、西村担当大臣は、「日本が世界に誇るクラスター対策」と公言していました。もちろん、この対策自体は、厚労省に集う専門家たちが発案したものです。
情報システム学の観点に立つと、これは『新情報システム学序説』で述べている、典型的な ‟記号論上の誤り”です。この誤りは、目立つもの、際立つものが、全体を代表すると考えるもので、人間の概念化プロセスで起きる錯覚の一つとして、古くから知られています。
この概念化プロセス自体は、もともと人間が知識の拡張を効果的・効率的に進めるため、進化の過程で獲得した優れた能力で、通常、帰納法として用いられています。工場で品質を管理するとき、一部の製品だけ調べて良好な場合、そのロット全体を良品として出荷するということは、よく行われています。この優れた能力が、場合によって錯覚を起こさせ、判断を誤らせるのです。
例えば、情報システムは、情報を取り扱う仕組みです。人間や組織は、情報を取り扱っていて、誕生以来情報システムであることに違いないのですが、一般的には人間や組織は、今まで情報システムとして、ほとんど認識されていません。

一方、コンピュータ・システムは、情報を取り扱う明らかに目立つシステムとして出現しました。そのため一般の人はもちろん、専門家さえ、情報システムはコンピュータ・システムと同義と考え、専門用語辞典にもそのように書かれています。
新型コロナウィルス感染の初期段階、クラスターは、たしかに目立ちました。日本では屋形船で懇親をした人たちの集団感染が当初問題になりました。
しかし専門家の人たちが、感染の拡大は、クラスターの発生という形で生じ、さらなる感染の拡大は、クラスターの連鎖という形で進むと考えたのは適切ではありません。

ベースとして市中感染があり、その一部が凝集したものがクラスターと考えるのが妥当です。
さらに市中感染が進み、その一部が次々に凝集したものがクラスターの連鎖です。
実際に市中感染がどれくらいベースとして存在しているか、東京都で1日の感染確認者が最も多かったのは、4月17日の201人ですが、このうち67%の134人が、
経路不明・調査中とされています。

クラスターだけおさえていたのでは、感染の拡大を防止することは不可能です。(実際の感染者は、感染確認者数の10~20倍存在する可能性のあることが、多くの識者によって指摘されています。市中感染者は、それだけ多いということです。)
新型コロナウィルスの国内感染の可能性がでてきたとき、この問題に対する本質モデルが、「検査の徹底+トリアージ」と、潜在的な感染者からの伝染を防ぐ「人々の行動規制」であることは、4月号のメルマガで述べました。

トリアージは、感染しているかどうか、また、感染している場合、症状のレベルに応じて処置を分けることです。
このモデルは、情報システム学の再起概念をもとに形成したものです。
人間の情報行動の基本的なモデルとして、PDCA、あるいはOODAが挙げられます。
OODAは、Observations ‟観察”、Orientation ‟状況判断”、Decision ‟意思決定”、Action‟行動”の頭文字をとったものです。
これらのモデルをさらにもう一段階、抽象化して表現すると、哲学者の今道友信先生の提唱された、information⇒incarnation という、人間の情報行動の最も基本的なモデルになります。

ここで information は、OODAで言えば、OODのプロセスを表わし、incarnation は、Action を表わします。
新型コロナウィルスへの対応では、information のプロセスで、検査と診察を行ない、その結果にもとづいて処置を決定します。次に incarnation のプロセスで、処置を実行します。
このモデルから、新型コロナへの対応の出発点は、まず検査であり、検査をしなければ何ごとも始まらないことが分かります。
次に、このプロセスのリスクを分析します。1つは、検査能力の限界です。たとえ東京
都で1日7000人検査したとしても、人口の0.05%に過ぎません。

残りの人たちの間に感染者がいれば、感染は拡大します。また、検査は誤差をもちます。陽性なのに陰性と判断された場合、その人は隔離されず、市中に感染を広げる恐れがあります。
これらのリスクを評価した上で、対応した処置をとります。それが本質モデルとして挙
げた「人々の行動規制」です。
新型コロナウィルス問題に対応する本質モデル、「検査の徹底+トリアージ」と、潜在的な感染者からの伝染を防ぐ「人々の行動規制」は、きわめて基本的であり、当然と言ってもよい内容です。
ところが奇妙なことに、日本では、最初の感染者が確認されてから約2か月の間、専門家や有識者から検査の拡大に反対する主張が多くなされ、実際に検査件数の増加はほとんどありませんでした。

2月18日から3月15日までの27日間で見ると、全国で検査件数は、1日平均1200件、一人に複数回の検査をしており、検査をした患者さんの実数は、その半分以下でした。当時、韓国の1日平均1万2000件と比べて、桁違いの少なさです。
検査の拡大に反対する理由は4通りもありました。

①医療が崩壊する、②PCR 検査に誤差が多い、③検査で陽性であることが判明しても治療法がない、④検査を拡大すると医療機関に検査希望者が殺到して、そこで集団感染が起きる、等です。
中でも最も強力に叫ばれ、実際に検査の拡大を阻んだのは、①の医療が崩壊するという主張でした。この主張が生まれた原因を考えると注目すべきことがあります。先に人間の情報行動の基本モデルとして、今道先生の提唱された、information⇒incarnation を挙げました。ここで、当たり前のことですが、information と incarnation は異なったプロセスとして明確に峻別されます。

ところが、検査を拡大すると医療が崩壊すると主張する人は、
両者を分けないで、ドンブリのように渾然一体のものとして考えたのではないかということが推測されます。
情報学者の長尾真氏は、「一般的には、欧米の学者は、名前を与えることによって、ある概念を他の概念から明確に区別するということに関心が高く、こうした名称の体系によって学問を体系的につくり上げていくことが上手である」と述べています。

相対的に日本の学者は、ある概念を他の概念から明確に区別するということに関心が低く、学問を体系的につくり上げていくことが下手であることが示唆されています。
コロナへの対応にあたる専門家や識者の人たち(日本の社会では指導層)に、プロセス概念をドンブリのように考えてしまう習慣があるとすると、今後わが国社会でDX(デジタルトランスフォーメーション)を進めていく上においても、多くの文化的な困難が予想されます。
「検査の徹底+トリアージ」と、潜在的な感染者からの伝染を防ぐ「人々の行動規制」
というコロナ対策の本質モデルにおいて、前者のリスク対応として、後者の「人々の行動規制」をすることを述べました。「人々の行動規制」をすれば、そのレベルによって、経済は大打撃を受けます。

このとき上記の本質モデルから、「検査の徹底+トリアージ」を厳密に行なえば行なうほど、リスクが低下、「人々の行動規制」の緩和が可能になり、経済への打撃が少なくなることが分かります。
このことを立証する、数学モデルを用いた研究が、社会物理学者の小田垣孝氏によってなされたことが、5月6日、朝日新聞 DIGITAL によって報じられました。社会物理学とは、‟世の中の仕組み”学であり、情報システム学と密接な関係があります。
緊急事態宣言下の日本では、専門家会議により、人々の接触を8割減らせば感染拡大は2週間で減少に転じるが、7割減では2か月以上かかるという見解が出され、また政府からも、最低でも7割、できれば8割接触減の目標が示されました。

国民の多くが指針に従い自粛に努めたため、たしかに感染は終息に向かい、緊急事態宣言の全面解除が視野に入ってきました。しかし、経済には致命的な損害がすでに生じています。 
小田垣先生の研究によると、感染者数を減らすには、接触の自粛より、PCR 検査数を増加させ、発見した感染者を隔離する方がはるかに効果的です。
新規感染者数が10分の1になる日数を計算すると、検査数が現状のまま、接触を8割減らした場合、23日かかります。検査数が現状のままだと、10割減(ロックアウト)した場合でさえ、18日かかります。
ところが、検査数を2倍にすると、接触が5割減でも、14日で新規感染者は10分の
1になります。

さらに、検査数を4倍にすると、接触を一切自粛しなくても、8日で10
分の1になります。
韓国、ドイツをはじめ、多くの国が、日本の10~20倍も検査を進めていたのは、ま
さに上記のようなモデルを理解していたからではないか、とも言えます。その点、日本では、検査を拡大すると医療崩壊するなどの俗論が主流になり、実際に検査の拡大が進まなかったのは痛恨の極みです。
5月5日発表された論文の中で、小田垣氏は次のように述べられています。
「 2 月から 4 月にかけての政府の方針は、公式的には医療崩壊を防ぐために PCR 検査数を極力減らすというものであった。これは、結果として(中略)、市中の感染者を増加させたことになったと言わざるを得ない。
感染係数を小さくするために行われている人と人との接触頻度を下げる対策は、市民に極めて大きな影響を与え、さらに経済を少なからず減退させており、ひとえに市民生活と経済を犠牲にするものである。一方、隔離率を上げるために、効率的な検査体制と隔離の仕組みを構築することは政府の責任である。

政府が、「接触 8 割減実現」のみを主張するのは、責任放棄に等しい。」
政府が重要課題に関する意思決定をするとき、衆知を集めて最善の合意形成をする仕組みをどのようにつくっていくか、今の日本の大きなテーマと思われます。
連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
皆様からも、ご意見を頂ければ幸いです。 

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