NPO法人 ライフリンク

2024年08月18日 21時01分41秒 | 社会・文化・政治・経済

ライフリンクとは

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自殺対策を「生きる支援」ととらえ、
自殺のない「生き心地の良い社会」を
実現するために活動しています。
自殺は、個人の問題ではなく、社会の問題であり、人々を追い込んでいる
社会的要因を取り除くことで自殺を防げると確信しています。
「ライフリンク」には、「みんなでつながり(リンク)あって、いのち(ライフ)を守ろう」
「いのち(ライフ)を守るために、みんなでつながろう(リンク)」という意思を込めています。
 
今年3月、インターネットの仮想空間「かくれてしまえばいいのです」を開設。
生きづらさを感じる子どもが周囲の人に言えない心情を吐露できる<居場所>として話題となり、アクセス数は5か月で800万を超えた。
「この世が嫌だから、あの世にいくのではなく、あなたのための<その世>に隠れてほしい」と自殺防止への希望を込める。
自殺対策に取り組む契機は2000年。
自殺で親を亡くした子ども(自死遺児)の手記を手にし、衝撃を受けた。
自死遺児は、社会から自分の存在を隠すように暮らしながら、自責の念や、憤りなど、誰にも言えない苦しみを抱えていた。
「自殺による死別はサイレントグリーフ(沈黙の悲しみ)と言われるが、誰かが声を上げなければならない」
自死遺児の声を大人として呼応するため、自殺対策のNPO法人「ライフリンク」を2004年に設立した。
自殺は個人の問題との見方が根強い中、対策の法制化に向け署名運動を展開した。
署名は約1か月半で10万筆超集まり、2006年、対策を国と自治体の責務とした自殺対策基本法の成立へと結実した。
その後も電話やSNSを活用した相談事業など新たな挑戦を続けてきた。
団体名には「いのち(ライフ)を守るために、みんあつながろう(リンク)」との願いが込められている。
「自殺は、いつ、誰に起こるか分からないからこそ、一人一人が当事者意識を持って助け合う社会に」。
20年間変わらない決意を胸に今日も歩みを進める。(扶)
 
清水 康之(しみず・やすゆき)  1972年生まれ。東京都出身。

「ライフリンク」という名称には、「みんなでつながり(リンク)あって、いのち(ライフ)を守ろう」「いのち(ライフ)を守るために、みんなでつながろう(リンク)」という意志を込めています。2004年10月、設立する団体の名前をどうするか迷っていたとき、「自分たちのやろうとしていることを最もシンプルに表現する言葉はなんだろう」と、それ以外のことを削ぎ落していった中で思い浮かんだのが「ライフリンク」でした。

ライフリンクを設立した当時はまだ、「自殺は個人の問題」という考えが社会のなかに根強くあって(いまでも残っていますが)、「自殺対策」という言葉も毎回説明を加えなければ理解してもらえないような社会状況でした。ただ私たちには「自殺は社会の問題であり、社会構造的な問題でもある」という確信があり、「みんなでつながりあうことで防げる自殺がある」「守れる命がたくさんある」との強い信念がありました。

逆に言えば、信念しかなかったとも言えます。活動資金もなく、事務所もなく、知名度もなく、手元にあるのは手作りの名刺だけ。そんな何もない状況から活動を始め、いのちを守るための「つながり」を少しずつ紡いでいくことしかできませんでした。メディア関係者や国会議員、官僚や医療の専門家、法律の専門家や全国の民間団体、それに自殺未遂を経験した人や身近な人を自死で亡くした遺族等、おひとりおひとりと直接会って、実現したい社会像やそれを実現するための方法、「生きる支援」としての自殺対策の必要性を説明・共有し、「つながり」の輪を広げていきました。

そうやって出会った仲間たちと力をあわせ、自殺対策の法的基盤を整えたり、その基盤のうえで取り組むべき地域モデルを作ったり、自殺の実態を明らかにするための大規模調査や行政を監視するための対策取組状況調査等を行ってきました。自殺対策を社会的自立軌道に乗せるための「ライフリンク」を実践してきました。

これまでもそうであったように、これからもライフリンクはライフリンクらしく、「いのち」を守るために必要な「つながり」を創り出し、「生きる支援」としての自殺対策を推進していきます。みなさんとも「つながり」ながら、「誰も自殺に追い込まれることのない生き心地のよい社会」の実現に向けて活動していきたいと思っています。

2023年3月 清水 康之

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創作 競輪の女神?

2024年08月18日 01時20分14秒 | 創作欄

的場晃は、駅ビルの店内で迂闊にも、自分がサングラス姿であるころを、すっかり忘れていた。

彼は駅ビルの各店舗を節電なのだと思い込む。

各店は、開店と同時に、店の人たちが店頭に立ち「いらっしゃいます。おはようございます。」と丁寧に頭を下げて、お客たちを満面の笑顔で向かい入れる。

だが、サングラスの晃は、「店、暗いな、節電か?」と勘違いして嫌味を言ってしまう。

「あなた、いい男ね!そのサングラス外してみて」的場晃は、駅ビル1階の店の前で女に声をかけられたのだ。

女は店で、ウナギと焼き鳥を注文していた。

晃はコンビニで缶ビールを買い肝で一杯。

相手の女は先日、「私と遊んでよ」と駅ビルの3階で身を寄せてきた小太りの女であった。

相手は晃の好みの女体でないし、しかもその人は、晃の友人の妹のさやかとそっくりであったので、気持ちが引けた。

だが、友人の寺川譲二の妹で未婚の母のさやかは、晃の気持ちを見透かしていた。

「私のことを、おぼえているわよね。抱いてお願い」

「ダメ、これから取手競輪へ行くんだ」

晃は取手競輪行きのバス停へ逃げるように向かう。

だが、寺川さやかはバスに乗り込み、晃の隣りの席で身をきっぱりと寄せて離れないのだ。

 

 

 

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待てない人

2024年08月18日 00時29分29秒 | 沼田利根の言いたい放題

当方が、取手駅西口のビルに着いたのは、9時57分であった。

開店は10時である。

5、6人の人がドアの前で待っていた。

足の悪いご婦人は駅ビルのドアが開く時間を待ちきれずに、駅へ向かうのであろうか?、柵に手を添えて重い体を支えなら、やっとの思いであろう、1階から3階までの長い階段を登って行くのである。

皮肉なことに、そのご婦人が階段の3分の1ほどに到達した時点で、駅ビルのドアは10時の開店時間どおりに開いたのだ。

当方は自分も待てない人間、「待てないご婦人にとっては、いい運動になった」とも受けとめる。

 

 

 

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