高等遊民のような淑子

2017年12月18日 13時20分10秒 | 創作欄
大学院を目指して、学生気分が何時までも抜けきれなかった徹にとって、淑子の立場は羨ましい立場に思えた。
「大学院は、もうどうでもよくなかったの」と彼女は自由気ままな生活を送っていた。
「着物のモデルも飽きたわ」と初めてプライベートを明かした。
「モデルだったのですか」
「学生時代からのアルバイト」淑子は喫茶店2階の窓から歌舞伎町方面に目を転じた。
「私のママはずっと、和服で過ごしていたの。私もママの年になったら和服で過ごすわ」
徹は目の前に座るミニスカート姿の淑子と和服姿の淑子を比較するように頭に浮かべた。
徹の母親も和服姿で過ごすことが多かったのだ。
「成田へ行かない?」コーヒーを飲みほした突淑子が突然意外なことを言う。
「成田ですか?危ないですよ」徹はテレビ映像で観た成田闘争に違和感を抱いていた。
「国家権力で土地を奪われ、闘うのは当然よね」何時も微笑んでいる淑子の目に憂えが浮かんだ。
徹は腕時計を見た。
「成田へ行くのもいいですが、着いたころには日が暮れてますよ」と引きとめた。
「そうね。行くのこの次ね。映画でも観ようか」淑子が笑みを取り戻した。
「何を観ますか?」
「銀座へ行きましょう」
「淑子さんは気楽でいいですね」
「私、高等遊民かしらね。親の送金で生きている」
淑子は階段をリズミカルに下って行く。
3歳から習っていたバレエのことは、まだ徹に語っていなかった。
その日、二人が観たのが「貴族の巣」だった。

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貴族の巣
ロシアの作家 I.ツルゲーネフの長編小説。
1859年発表。
妻の不義を知り絶望して単身帰国した主人公ラブレツキーは、近在の清純無垢な娘リーザと愛し合うようになるが、死んだと伝えられていた妻が突然帰国し、すべてが破綻する。
主人公は『ルージン』の系譜をひく貴族階級の進歩的知識人の「余計者」であるが、ルージンとは対照的なタイプで、彼のように自尊心は強くなく、無口で、大地を耕すことに喜びを見出している。
だが自己の階級の危機を鋭く感じ取っていながら、それを回避するすべも知らないまま既成の伝統に・・・
「貴族の巣」とは - A Nest of Gentry 1970年|ソ連映画|110分
監督:アンドレイ・ミハルコフ=コンチャロフスキー
原作:イワン・ツルゲーネフ
脚本:ワレンチン・エジョフ、アンドレイ・ミハルコフ=コンチャロフ...
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高等遊民(こうとうゆうみん)とは、日本で明治時代から昭和初期の近代戦前期にかけて多く使われた言葉であり、大学等の高等教育機関で教育を受け卒業しながらも、経済的に不自由がないため、官吏や会社員などになって労働に従事することなく、読書などをして過ごしている人のこと。
閲覧できる範囲では『読売新聞』1903年9月25日の「官吏学校を設立すべし」での論説が、高等遊民に触れられている最も古い資料である。
また、一時期は上級学校への入学や上級学校卒業後の就職が叶わなかった者が高等遊民。
世俗的な労苦を嫌い、定職につかないで自由気ままに暮らしている人。
明治末期から昭和初期の語。
夏目漱石『それから』の主人公、長井代助は、いわゆる高等遊民の代表として描写されている。
漱石自身が代助を形容して「高等遊民」と書いているわけではないが、代助の生活ぶりは、明らかに高等遊民のそれであることが見て取れる。
漱石の作品の中で、 「高等遊民」 ということばが用いられているのは、『彼岸過迄』 の 松本恒三という人物に対してでもある。
漱石の造形した高等遊民像は『それから』の長井代助に体現されるような人間像である。「パンに関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。パンを離れ水を離れた贅沢な経験をしなくちや人間の甲斐はない」「職業のために汚されない内容の多い時間を有する、上等人種」というのが漱石の造形した高等遊民像である。
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