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1884年(明治17年)4月1日付で公園の差配・世話掛に、劇作家で『江湖新聞』創始者の福地源一郎が任命。主に第六区の経営、公園全体の差配を任されるが、1889年(明治22年)7月に解任となった。
前後して、浅草公園六区は1887年(明治20年)の根岸興行部の「常盤座」に始まり、演劇場、活動写真常設館、オペラ常設館などが出来て隆盛を誇り、江川の玉乗り、浅草オペラ、安来節等が注目を浴びた。1903年(明治36年)には、吉沢商店が日本初の映画専門館「電気館」をオープンした。
1890年(明治23年)に建設された凌雲閣(浅草六区北側)は通称「浅草十二階」と呼ばれた高層ビルで、その展望台は浅草はおろか東京でも有数の観光名所となったが、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で崩壊した。
昭和に入っても「アチャラカ」と呼ばれた荒唐無稽の喜劇が好評を博した。
最盛期には劇場や映画館が30館を超え、娯楽の最先端の興行街となる。
第二次世界大戦に入っても人気を博し、1945年(昭和20年)になり東京大空襲で一帯が炎上するまで人気を博した。
終戦後もすぐに再建され、軽演劇、女剣劇、ストリップ、およびその幕間に演じられたコントが注目を浴び芸能の殿堂・一大拠点としてここからスターとなった芸能人も数多かった。
1951年(昭和26年)浅草寺は観音本堂の再建のためにランドマークであった通称「瓢箪池」(古瓢箪池を含む)を売却。
池は埋立てられ、1952年(昭和27年)浅草楽天地の映画館「浅草宝塚劇場」と1954年(昭和29年)遊園地「楽天地スポーツランド」、1959年(昭和34年)には東急グループの複合娯楽施設「新世界ビル」が建った。
また、1954年に観音本堂から六区興行街までの間が西参道商店街として整備された。
没落
1950年代後半に最盛期を迎えた浅草六区も、高度成長期と呼ばれた1960年代に入りテレビ時代を迎え、1964年(昭和39年)の東京オリンピック以降は東京都区部西側の新宿、渋谷、池袋等の方面に若者の文化が芽生えた。
1974年(昭和49年)、新世界の跡地にはウインズ浅草が造られ、1970年代に入り急激な地盤沈下を迎える。
若者世代の嗜好と合わなくなった映画館・劇場の多くは閉館となった。
以後、平日は通行人が疎らで、週末は競馬目当ての客が集中する光景が多くなった。
夜間は19時になると人通りも少なく、「不夜城」と詠われた嘗ての殷賑振りとは隔世の感がある。
バブル景気期の1986年(昭和61年)には複合商業施設「浅草ROX」が開業、1988年(昭和63年)に映画『異人たちとの夏』のロケ舞台にはなったが、六区は長い停滞の時期を迎える。
思い返せば、会社の懇親会で神谷バーで初めて電気ブランを飲んだのは、この頃であった。
まだ、みんな若かったな・・・・
亡き同僚3、亡き上司1人の顔も浮かぶ。
左 - 松竹館 池田義信の旧作『わが母の書』(1936年(昭和11年)12月作品)、伊藤大輔の旧作『あさぎり峠』(1936年(昭和11年)10月作品)ほか上映中。
右 - 常盤座 アチャラカ演劇一座『笑の王国』(古川緑波、菊田一夫退団後)上演中
昭和初期
- 昭和座 - 凌雲閣跡地(後に凌雲座)、吉本興業直営、軽演劇 ⇒ 浅草東映 ⇒ パチンコ店
- 江川劇場 - 玉乗りで知られる ⇒ 浅草新劇場 ⇒ 浅草ビューホテル別邸(建築中)
- 大都劇場 - 大都映画 ⇒ 浅草中映劇場 ⇒ 浅草ビューホテル別邸"HAKARAI"
- 遊楽館 - 映画館(移転後) ⇒ 遊楽館 - 吉本興業直営、演芸場 ⇒ 浅草大番会館
- 浅草花月劇場 - 吉本興業直営、レヴュー、軽演劇、演芸、映画 ⇒ 浅草パークホールビル
- 大勝館 - 映画館 ⇒ 浅草中映ボウル ⇒ キャピタル・ロマン・アポロ ⇒ 浅草大勝館 ⇒ ドン.キホーテ
- 三友館 - 映画館(開進館勧工場の跡) ⇒ フランス座 ⇒ 浅草東洋劇場 ⇒ 浅草演芸ホール
- 浅草映画劇場 - 映画館 ⇒ 商店に分割
- 富士館 - 映画館 ⇒ 浅草日活劇場 ⇒ パチスロ店
- オペラ館 - レヴュー、ピエル・ブリヤント ⇒ 商店飲食店に分割
- 千代田館 - 映画館 ⇒ 閉鎖 ⇒ 浅草電気館パシフィックコート
- 電気館 - 吉沢商店の日本初の映画館 ⇒ 浅草電気館パシフィックコート
- 国際キネマ劇場 - 映画館 ⇒ ROX
- 帝国館 - 浅草公園ルナパーク内の映画館(富士山縦覧場⇒日本パノラマ館跡地) ⇒ 浅草松竹映画劇場 ⇒ ROX
- 松竹座 - 映画館 ⇒ ROX
- 松竹館 - 映画館 ⇒ ROX
- 大東京 - 映画館、大正時代はマキノ・プロダクション封切館 ⇒ 商店に分割
- 東京倶楽部 - 映画館 ⇒ ROX3G
- 常盤座 - レヴュー ⇒ 浅草トキワ座 ⇒ ROX3G
- 金龍館 - レヴュー ⇒ 浅草ロキシー映画劇場 ⇒ ROX3G
- 日本館 - 映画館 ⇒ ROX2G (マクドナルド等)
- 公園劇場 - 劇場 ⇒ 公園劇場 - 吉本興業直営、演芸場 ⇒ ROXDOME
- 万盛館 (万成座、元蕎麦屋おく山萬盛庵) - 吉本興業直営、レヴュー、軽演劇 ⇒ 浅草ロック座
- 玉木座 - 芝居小屋(大幸館⇒日の出館⇒福和館⇒日本座⇒御園座の跡)、プペ・ダンサント ⇒ 商店
- 木馬館 - 通俗教育昆虫館から改装。戦前戦後の長らく安来節の常打ち小屋として有名であったが、現在は2階が大衆演劇の劇場として、1階が浪曲の定席寄席「木馬亭」として現存。木馬(メリーゴーランド)はモニュメントとして残る。
- 浅草公園水族館 - 四区勧工場共栄館跡地、カジノ・フォーリー ⇒ 奥山茶屋、雷5656茶屋 ⇒ コンビニエンスストア
- 宮戸座 - 浅草公園裏の劇場。1896年に吾妻座(1887年開場)より改称。1923年に関東大震災で焼失し、1928年に落成復興。1937年2月廃座 ⇒ 現在は料亭
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