なんとかしてきてなんとかなった

つれづれなるままに、つぅつぅれろれろ

バイクのって、本を読む。

2020-05-11 23:46:12 | 日記


たまには動かしとかねば、と昼過ぎからバイクでタバコを買いに。ちょっとそこまでみたいな書き方だけど、片道一時間ほどのところにあるタバコ屋。
夏日だったから薄着で出たんだけど、しばらくして目が痒くなってどうしようもない。バイクも人間も三十分くらいから本調子なのに、往路だけで目がショボショボだから真っすぐに帰ってくる。
北九州市、けっこう車通りが多かったなぁ。日差しも暑いくらいだったし、エンジンから上がってくる熱気も熱いくらい。梅雨が来るまでもう少し走っておかないと。

かえってからずっと本を読んでた。
積読もキンドルの中じゃあまり目立たないから、そいういえば・・・とひらいてみたら結構いっぱいあって、ちょっとあわててる。紙の本は自を読むのが苦痛になりつつあるから、便利といえば便利なんだけど、ついついツイッターあたりを眺めて文章読んだ気になって満足してしまう。
SNSはリアルタイムでいい意味でも悪い意味でも地金が出てて面白いんだけど、それだけじゃ自分の身になってるのかどうかよくわからない。
誰もが何かを表現する訳だからそこに書き手の考え方やら文化やら主義やら主張やらのフィルターに通された表現方法があって、それは知ってか知らずかなのだけど、独自に洗練されてるはずな手法で表現されてる。ぶっちゃげれば、誰かの模倣、好きな言い回し、ふだんからの言葉使い、そんなものが駄々洩れてる。
それらの複雑な組み合わせを経て、表現力としてあらわれてくるわけで、そりゃ見事な人もいれば、どっかで聞いたことのあるフレーズだという人もいる。まぁ、当然といえば当然なわけで、素人でもその差は歴然としてているし、ましてプロの表現者と言われてる人たちはその中で個を起立させる事に重きを置いてる・・・と思う。自分がプロじゃないから想像なんだけどね。
まぁ、この人にしか書けない文章ってのもあるし、この人にしか出せない音楽ってのもある。
表現するって内なる何かが漏れてくる、という部分からみても、「○○(職業)が政治の話なんかするな」という○○に表現者の職業が入る事の意味不明さがよくわからない。表現するという根源的な本能に基づいた仕事の範囲を他人が非難できるのか、そしてそれが表現者に対して無理強いしているって事に不思議さを感じられないのか。

なんか出る杭は打たれて、出過ぎた杭は引っこ抜かれるってのは表現文化をダメにするって思うんだけどね。
きゃりーぱみゅぱみゅもいい大人だし一流の表現者なんだし、どうも社会全体が小学生のホームルームみたいになっちゃってる。
教師なんていない。
けっきょく「うるせーぼけ」くらい言わないと収まんない・・・・不毛だ。

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