さむらい小平次のしっくりこない話

世の中いつも、頭のいい人たちが正反対の事を言い合っている。
どっちが正しいか。自らの感性で感じてみよう!

インド放浪 本能の空腹 ⑩ 『なぜかインド映画鑑賞』

2019-12-29 | インド放浪 本能の空腹



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30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記からお送りいたしております。

前回、ラームに誘われ買い物、支払いをインドルピーでしようとしたところ、これまで提示した金額は全部アメリカドルだと聞かされ、まさかの150,000円に意気消沈していた私…、ダッカで知り合ったK君も約束のSホテルにたどり着いておらず、私はその日の夜行で次の目的地プリーへ無理やり旅立つことに。

夜行列車の出発までの時間、ラームたちとともに映画を見ることに…

というところまででした

さて、つづきです


***********************


 今夜のプリー行の列車の予約に好青年が走り、おれとラームは近くの映画館へ。
 賑わう映画館の前で好青年を待つ。

 ちなみにこの時のおれの格好は、インド男の民族衣装、丈の長いシャツにズボン、ピチピチの偽カシミヤセーターを着て、腕にはCASIOと手書きで書かれたプラスチック製デジタル腕時計、背中には迷彩柄のエナメルリュック、のままである。

 インドは映画大国である。年間に800本以上もの映画が作られているそうだ。800本!と言えば一日に2本以上の映画が作られていることになる。どれだけ映画好きなんだ。

 ややもして好青年が戻ってきた。今夜のプリー行夜行列車のチケットが無事にとれたそうだ。これでおれは、何一つ自分で決めたわけでもないのに、否応なしに明日の朝には南の街、プリーにいることが決定的となった。

 チケットを買い、中へ入る。汚く騒々しい。
 満員と言うほどではないが、少々混雑した劇場内、おれたちは比較的後ろの方に並んで座り上映を待つ。

 おれがインドへ来る前に聞いていた、インドの黒ウワサがいくつかあった。その内の一つに

『ガンジス川には死体が流れている』

 というものがあったが、当初おれは、いくらインドだからって、間もなく21世紀になろうかってこの時代に、川に死体が流れていたら、殺人事件かもしれないではないか、いやいや、いくらインドだからって、そんな奴おれへんやろ! と思っていたわけだが、今朝、ガンジスの支流、フーグリー川を見に行ったさい、それが事実であることをラームから聞いた。目の前の、川イルカすら住むという大河、その岸辺のゴミの山、沐浴の人々、確かに死体が流れていても何ら不思議はない、そう思わざるを得なかったのだ。
 その他に聞いていた黒ウワサ。

『インドの田舎の方では、お嫁さんが嫁入りしたとき、その嫁入り道具が少なかったり、みすぼらしかったりすると、姑が怒ってお嫁さんを焼き殺してしまう、といことがある』

 というものがあった。それを聞いたときのおれの感想はこうだ。

『いやいや、いくらインドだからって、間もなく21世紀になろうかってこの時代に、いくらインドだからって、そんな奴おれへんやろ! 』(大木こだま・ひびき風)

 であった。さて、その件につき、おれはこの映画館で真実を知ることになる。

 館内が暗くなり、幕が上がる。まずは予告編のようなものが始まる。英語の字幕が下に出るので、どうにか内容を理解することができる。
 一通り予告編のような映像が流れ終わると、少し毛色の違う、何かの再現フィルムのようなものが流れ始める。

 あるどこかの家、若い女性が椅子に座り、編み物のようなことをしている。そこへ、高齢の女が入ってきて、鬼のような形相で若い女性に向かって怒鳴り散らしている、と言っても無声なので、あくまでも映像だけである。やがて怒り狂った高齢女が、何かの液体を若い女性に浴びせ、マッチに火をつけ、逃げ惑う若い女性めがけて火を放つ…。画面いっぱいに炎が広がり、映像は終了、最後に現地語と英語のテロップが流れる。要約すると

『お嫁さんを焼き殺すのはやめましょう。インド政府広報』

 といったものだった。

 おれは唖然とした…。『お嫁さんを焼き殺す』習慣がまだ残っている…、事実であったのだ。インド政府広報、というのが何とも生々しいショックを与えてくれる…。

 さて、肝心の映画は。

 とある高校、その裏庭の花畑、そこを、一体このカルカッタのどこにこんなインド女がいるのだ、と言いたくなるような美しい、おそらくは女子高生のヒロインと、これまた美しい仲間たちが歩いている。美しい女たちが、美しい花と戯れていた、かと思うと、突然不可思議なインド音階に乗り、女たちが艶めかしく踊り出す。

 と、それを校舎の方から見ていた、おそらくは、とてもそうは見えないが高校生の男、主人公とその仲間(子分)たち、彼らが女たちの踊りの輪に加わる、突然場面と音楽が変わり、今度は校舎内で男女が入り乱れ踊り出す、踊りが終わると、何がどうなればそうなるのかわからないが、主人公とヒロインがカップルとなる。

 その後二人は時に踊り、時に歌い、幸せな時間を過ごしていく。
 ある日のこと、高校の不良のボス、と手下たちが、この美しいヒロインに目をつける。一人で下校中のところを襲い、乱暴狼藉を働こうとしたところへ颯爽と主人公と子分たちが登場、瞬く間に不良グループをやっつける、覚えてやがれ!風に逃げていく不良たち。

 不良たちは一度アジトのような所に戻り、作戦を練り、復讐を誓う。『高校生』であるはずだったが、彼らは拳銃などの武器で武装し、ヒロイン宅を襲う。そしてヒロイン一家を惨殺し、ヒロインを拉致して去っていく。

 それを知った主人公、怒りに打ち震えながらも、子分たちを従え、『高校生』であるはずだが、拳銃、マシンガンなどで武装し、敵のアジトへと向かう。この時、主人公は子分のバイクの後部座席に乗って行くのであるが、どういうわけかバイクの後ろで立っているのである。座席をまたぎ立っているのではなく、座席の上に腕を組んで立っているのである、どうやったらあんな曲芸みたいなことができるのであろう…。

 敵のアジトの廃墟ビルに到着。もう最初の学園ものっぽい雰囲気は微塵もない。着くなりいきなりドンパチが始まる。凄まじい撃ち合い、彼らが高校生であることはもうこの際問わない。
 主人公たちは次々敵を撃破、遂に不良グループのボスを追い詰める。追い詰められたボスは、ヒロインの手を引き、上の階へと逃げる。後を追う主人公、と思ったら追わない…、いきなりその場でジャンプして、天井を突き破り上の階へ飛び上がる…。

 学園恋愛ものから、ギャングアクションもの、ついにスーパーマン系、アクションヒーローもの映画になってしまった。
 ボスを追い詰めた主人公、天井を突き破った瞬間に思わずボスがヒロインの手を放したことを見逃しはしない、その場でマシンガンでメッタ撃ち、ハチの巣となったボスはビルから転落、絶命…。勝利した仲間がまたしても最後に踊りだし映画終了…。

 以上のように内容は実に下らない、単純でハチャメチャなストーリー、これを休憩をはさみ3時間半も見せられたのだ。

 映画館を出ると、辺りは少し薄暗くなっていた。
 げんなりとしているおれとは逆に、ラームも好青年も興奮した面持ちである。

『面白かったろ!』

 とラーム。

『こんな映画、日本にはないだろ!』

 と好青年、

『ああ…、確かにこんな映画は日本にはないよ…。』

 ここでラームが突然おれに別れを告げる。

『コヘイジ、ボクもそろそろブッダガヤ―へ帰るよ、この2日間、とても楽しかった、おかげでいい買い物もできた、ブッダガヤ―へ帰ったら君に手紙を書くよ、インドを楽しんでくれ』

 後は夜行列車に乗るまで、好青年が面倒を見てくれると言う。

 この街に来て、人、犬、羊、牛、車、バイク、リクシャ、騒音とゴミ、その圧倒的なパワーに気圧され、何一つ自分の意志で行動できないまま、南の街、プリーへ向かうべく、おれは好青年に連れられ、大河、フーグリ川に架かる橋をタクシーで渡り、カルカッタのメインステイションへと向かうのであった。


************************

※注Calcutta(カルカッタ) → 現Kolkata(コルカタ) 記事は30年近く前のできごとです。また、画像はイメージです

令和元年 今の自分自身の感想
インドの黒ウワサは、この他にもあと2つほど聞いていました。それらの真実をいずれまた知ることになります。いずれにしてもすごい国です、インド。




 
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インド放浪 本能の空腹 ⑨ 『ラームと買い物 衝撃的な結末』

2019-12-20 | インド放浪 本能の空腹


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30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記からお送りいたしております。

前回は、カルカッタ到着早々知り合ったラームという男に連れられ買い物へ。

そこで家族や友人、知人、付き合っていた彼女へのお土産を買い、買い物のお礼にと、店が出してくれたインド料理とビールにすっかり機嫌をよくした私…。

調子に乗って森進一の『 襟裳岬 』まで歌ってしまった…、というところまででした。

では続きをどうぞ!


******************************

 おれが 『 襟裳岬 』 を、ワンコーラス歌い終えると、場は一息ついた雰囲気になり、そろそろこの宴も中締め、といった空気が流れていた。その空気を察し、おれは言った。

『ラーム、そろそろ、ボクはダッカで日本人の友人と待ち合わせの約束をしたSホテルへ行きたいんだけど…。』
『ああ、そうだね、そろそろ行こう、じゃあ、その前に買い物の支払いを済ませてしまおう』

 おれは、何かを買うたびに好青年から渡されていた値段の書いたメモ紙をもう一度確かめた。全部で合計1500、1500ルピー、日本円で約7500円、間違いない。昨日空港で両替したのが、2000ルピー、ラームに紹介されたホテルで支払ったのが150ルピー、残り1850ルピー、一応手持ちの現金で足りるが、残りが350ルピーでは心もとない、無事にK君と出会えたらすぐにまた両替が必要だ。
 そんなことを考えながら、おれは札入れから1500ルピーを取り出し、好青年の前に置いた。
 ところが、好青年もラームもキョトンとした顔をしている。おれは手のひらを金に向け、確かめてくれ、という風にうなずいた。だが、二人は相変わらずの表情だ。少し間をおき、ラームが首を振り苦笑いをしながら口を開く。

『コヘイジ、ナイス・ジョークだ』
『へ?ジョーク……?』

 おれの様子を見て、ラームが少し真剣な顔になり言う。 

『コヘイジ、本気でやっているのか?』
『へ?何が?1500ルピー、このメモ紙の合計、間違いないと思うけど…』
『おいおい、コヘイジ!何を言っているんだ、さっきの買い物、その紙に書いてあるのは全部アメリカドルの値段だぜ!』
 

 ああ!そうなんだ…、アメリカドル…、それなら最初からそう言えばいいのに…、紙には数字しか書いてないから…。

 ん!? 

 アメリカドル!?

 と言うことは…、1500ドル!? ん? ん? 1500ドルっていくらだ? 今…、レートが1ドル100円くらいか…、ということは…、 ん?  1万5千円? ん? いや、ちがう…、 え? え?

15万円!!!!! 

ええええええーーーーーーーーー!!!!!!

 この時のおれの狼狽ぶりっていったら、もう大変なものだった。そりゃそうだ。7500円だと思っていたのが20倍になってしまったのだから…。

『ラーム……、ええっと…、その…、』

 おれはどうにか今の買い物をなかったことにできないだろうか、くらくらする頭で必死に考えた。だが、おれの買ったシルクやらなんやらは、ハサミを入れられスカーフサイズに切られたりしているのだから、その時点で返品はアウトだろう。しかも、ご丁寧に包装され、すでにせむし男が日本へ送るべく郵便局へ走っている…。どう考えても手遅れだ…。

『ラーム…、でも…、ボクはこれを全部インドルピーだと思っていたから…』
『コヘイジ…、いくらなんでもそんなはずないだろう…、シルクだぜ』
『でも…、ボクは今、そんな大金持ち合わせていないよ…』

 それを聞いて、恰幅のいい店のオーナーが口を開く。

『トラベラーズチェックデOKネ!』

 え?こんな店でトラベラーズチェックで買い物ができる?

『サインダケデOKネ』

 こんな店で、トラベラーズチェックにサインするだけで買い物ができてしまうのでは、全くトラベラーズチェックの意味がない…、安全性もへったくれもない…、さすがインドだ…。

『でも、ラーム、今そんなにお金を使ってしまったら、ボクはこの先旅ができなくなるよ…』
『コヘイジ、何を言っているんだ、キミはこのインドで1か月過ごすのに、一体いくらかかると思ってるんだ、300ドルもあれば十分だよ、キミは昨晩、ボクに3000ドル以上持ってきていると言っていたじゃないか、ここで支払いをしても、十分ビザの期限いっぱい、好きなだけキミはインドを旅できるじゃないか』 

 ……、それは確かにラームの言う通りなのだが、ここはインド、この先何があるかわからない。おれが一番心配していたのは、万一、Biman Bangladesh Airlinesの1年オープンチケット、これを失くしたり、何かあって使えなくなったりした場合の帰りの航空機の手配のことだった。最悪新たにチケットを購入しなくてはならなくなった場合の最低の金だけは残しておきたかったのだ。
  Biman Bangladesh Airlinesのチケットを手配してくれたのは、旅行会社に勤めるおれの親友の彼女だった。彼女は言った。

『小平次さんなら心配ないと思うんですけど、ビーマンは安いんですけど、すごくルーズな航空会社で、帰ろうと思ったら家族が死んだくらいのこと言わないとなかなか予約がとれないかもしれません』

 そんなことを聞かされていたものだから、いくらラームの言う通り、と言ってもおれは動揺をかくすことはできなかった。しかし、どう考えてももうここは支払うしかないようだった。おれは仕方なく鞄からトラベラーズチェックを取り出し、1枚切ってはサイン、1枚切ってはサインを繰り返し、1500ドル支払ったのだった。
 インドへやって来てまだたったの1日、おれは金持ちのラームに付き合い、高額な買い物をしてしまった自分を責めた。

『よし、じゃあコヘイジ、早速Sホテルへ行こう』

 意気消沈するおれは、ラームに励ましだか、慰めだかわからない言葉をいくつかかけられ、その店を後にした。
 外でタクシーを拾う。どういうわけか店の好青年もついて来る。すぐにサダルストリートに着く。
 昨夜の喧騒と混沌、すさまじいポン引きと物乞いの攻勢、明るい時間に来ると、さほどでもないような気がした。と言うより、15万使ってしまった衝撃の方があまりにも大きかったことでそう感じただけかもしれない。

 『 インド博物館 』がようやくどこにあったのかがわかった。博物館を右手に見ながらサダルストリートを歩く。中ほどで右に折れるとSホテルはすぐに見つかった。こうして落ち着いて歩くことができたなら、実にわかりやすい場所にSホテルはあった。
 決してきれいなホテルではないが、インドを安く旅しようと思えば、まあいい方のホテルだ。
 フロント、と言っても机があるだけだが、そこに座っていた髭づらの男に尋ねる。

『昨日、日本人の男がこのホテルにチェックインしたと思うんだけど…』

 髭づらの返事は…、

『昨日日本人は泊まっていない』

 え!そんなはずは…、もう一度尋ねるが返事は同じだ。
 K君!君もSホテルにたどり着けなかったのか!
 K君、一体どこに!
 
 自転車でインド半島最南端まで行こう、と言うのだから、近くにいれば目立つかもしれないが、人だらけのこの街で見つけるなんてことは不可能だろう。

『コヘイジ…、残念だったね…、でも、それならばコヘイジ、もうこのカルカッタに用はないだろう、キミは南のマドラスを目指し、次はプリーの街へ行くって言ってたね、それならば今晩の夜行列車に乗れば明日には美しい海のあるプリーだ』

 え?え? 今晩の夜行? そんな急に言われても…、おれは一応このカルカッタに一週間くらいはいるつもりだったのだ。まだ自分の力で何もしていない…、それをもう、いきなりこの街を出ろと?

『コヘイジ、カルカッタなんか買い物が終わったら、汚いだけで何も面白いことなんかない街だ、それに比べてプリーはとてもきれいだ、さっさと次の街へ行った方がいい』
 

 それを聞いて好青年が言う。

『だったらボクが今晩の列車のチケットを予約してきてあげるよ!』
『それはいい!よし、コヘイジ、出発までは時間がある、それまで映画でも見に行こう!』

 ラームが好青年に、どこどこの映画館だ、と言うことを伝え、チケットを持って好青年が後から合流することとなった。もう何がなんだかわからない、昨晩この街に着き、凄まじい喧騒と混沌、ポン引きと物乞いたちに圧倒され、ラームに助けられ、紹介されたホテルへ、そして今日、朝から連れられちょっと市街を眺めて買い物、酒を飲んで歌って、15万払って、これから映画を見て、それから夜行列車に乗って明日の朝には南の街、プリーにいる、何一つ自分で決めたわけではないのに…、本当にもうわけがわからない…。

 金持ちのラームに付き合い、15万も金を使ってしまったことに対する自己嫌悪にさいなまれ、眩暈すら感じながら、おれはラームとともに映画館へと向かった。


 おれは後に、この買い物の衝撃的な真実を、衝撃的な形で知ることになるが、当然、この時のおれはまだそれを知らない。




******************************* つづく

※注Calcutta(カルカッタ) → 現Kolkata(コルカタ) 記事は30年近く前のできごとです。また、画像はイメージです

令和元年 今の自分自身の感想

この時はですね、本当にショックでした。たった1日のできごとですが、本当に何が何だか、ジェットコースターに乗って振り回されているかのようでした。




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インド放浪 本能の空腹 ⑧ 『ラームと買い物 2 』

2019-12-15 | インド放浪 本能の空腹



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30年近く前の私のインド放浪

その時につけていた日記をもとにお送りしております


本日は

インド放浪 本能の空腹 ⑧ 『ラームと買い物 2 』

前回、ラームと簡単な市内観光のあと、一緒に買い物をすることになり、ある屋内商店街へ
日曜で全ての商店が閉まっている中、奥の方で一つだけ灯りの点いている店が…

つづきです




***********************************


 日曜日、ということでどの店も閉まっている薄暗い屋内商店街中で一つだけ開いていた店へラームと共に向かう。
 
 店に入ると、うつろな目をした小柄なせむしの男が無言で出迎えてくれた。ラームはベンガル語でその男に何か言っている。
 店の奥から、ピンクのシャツを着た、がっちりとした体格のさわやかそうな若い男が現れた。

 『Hello, welcome!』

 浅黒い顔から白い歯がこぼれる、いかにも『好青年』といった風な男だ。
 好青年はラームとおれに2階へ上がるように言う。
 2階は綺麗なカーペットが敷かれた座敷で、靴を脱いで上がるようになっていた。

 座敷へ上がり座ると、ラームはおもむろに鞄から分厚いインドルピーの札束を取り出し、数えるような仕草でぱらぱらと指ではじいた。
 やはりラームは金持ちの家の人間なのだ、同じようなペースで買い物をしたら大変なことになる、おれはラームの姿を見て気を引き締めた。

 『まずはシルクを持ってきてくれ』

 『OK』

 好青年がせむし男に目配せをする。せむし男はうつろな目のまま、返事をするでもなく階下へ降りて行き、ほどなくして数枚の綺麗に折りたたまれた布を持って上がってきた。ラームはその布の一枚を受け取り、手触りを確かめたり匂いを嗅いだりしてその品質を見極めようとしていた。

 『コヘイジ、ライターを貸してくれないか』
 『え?ライター?』

 いったい何をするのだろう、疑問に思いながらもおれはライターをラームに手渡した。するとラームは、なんと、そのライターでいきなり布の端の方をに火をつけた。

 『OH!NO! Stop!!Stop!!』

 好青年があわてて立ち上がる、ラームはそれを手で制し、もう片方の手で火をもみ消した。そしてその燃えたところに鼻を近づけ匂いを嗅ぐ、見る見るうちにラームの表情が険しくなる。

 『NO Silk!!』

 大声で怒鳴り、布をカーペットに叩きつける、あわてて好青年がそれを拾い上げ、手触りを確かめる。

 『Oh,I‘m sorry……、☆※◆✖▼△¥%★!』

 好青年はうろたえつつもせむし男を怒鳴りつけ、別のものを持って来い、というようなことを言っている。
 せむし男がまた別の品物を持って上がってくる、ラームは同じように一枚を手に取り、手触り、匂いを確かめた後、再び端に火をつけ指でもみ消し匂いを嗅ぐ、すると今度はニッコリと笑って言う。

 『Good silk』

おれにも見てみろ、と手に取っていた一枚を投げてよこす。
 おれが、大学4年の就職適正検査で『社会不適応型』と診断されたことについては以前述べた。そんなわけがない、と就職して3年間働いた会社は、元々京都の呉服問屋から始まった会社で、事業規模を大きくするのに合わせ、呉服の他、ファー、レザー、バッグ、ジュエリー等、女性にまつわる高級品を扱う会社だった。おれはその中の貿易・ファッション部に配属になり、主にファー、レザーバッグなどの輸入品のブランド物や、海外工場で作らせている自社ブランド商品の販売をしていた。3年間毎日そういう商品を扱っていたのでそれなりにいいものを見る目は養われていた。
 手に取ったシルクは、そんなおれが見てもなかなかのもののように見えた。つまりはそれなりの値段がするはず、ということだ。

 『コヘイジ、ボクはこの中のシルクで両親に服を作って上げることにするよ、キミはどうする?』
 『ラーム、見たところこれはとても良いシルクだ、そんなにたくさんはボクは買えないよ』
 『それならばスカーフにすればいい、切ってそのまま首に巻いて使えるよ』
 『スカーフか…、でもスカーフにするくらいの長さでいくらぐらいするんだろう…?』

 おれの言葉を聞いて、好青年が紙に数字を書いて俺によこした。100、と書かれている。100ルピー、日本円で約500円…、500円!?

 『そんなに安いの!?』
 『コヘイジ、これが日本に渡ればその10倍以上の値段になるだろう、でも、ここはインドだぜ』

 そんなことがあるのか…、確かに仕入れた品物を小売り店に売れば、こちらの売値の倍の値段がつけられる、そういう事情をよく知っていただけに、おれはそれ以上の疑問は持たなかった。

 両親、千葉の伯母、そしてK子、おれはスカーフ用に、色違い、物違いのシルクを何枚かを切ってもらう、さらに予備として数枚…、その度に好青年が値段の書いたメモをよこす。ある程度買ったところで、おれはバンドのドラマー、Y子のことを思い出す。

 『安いものでいいんだけど、サリーは買えるかい?』
 『もちろん!』

 好青年がせむし男に合図すると、何着かのサリーを持って来てくれた。何色かあったが、どうせ日常で着るなんてことがあるはずもなく、ステージ衣装にするくらいだろう、と、一番ド派手な真っ赤なサリーを買った。
 一通り、買い物が終わり、おれは好青年が書いてくれた値段のメモをもう一度確かめる、全部で1500、1500ルピー、日本円で約7500円、まあお土産としては安く済んだのだろう。
 
 階下からどこかの店の店員が料理とビールを持って上がって来た。

 『さあ、買い物も終わったことだし昼にしよう』

 好青年がおれにビールをつぐ、チキンチリ、べらぼうに辛いがべらぼうにうまい、その他、なかなか豪勢な料理に囲まれ、すぐにほろ酔いになる、そしてご機嫌になる、悪い癖だ。

 この店のオーナーだという恰幅のいい大柄のインド人が現れた。

 『ジャパニー、コンニチハ! タクサンカイモノアリガトウ!』

 片言の日本語で満面の笑みをおれに向ける。インド人は日本人のことを『Japanese』ではなく『ジャパニー』と言う。

 『カイモノノオレイニナニカプレゼントをスルヨ!ホシイモノハアルカイ?』
 
 おれは、インドに慣れてきたらぜひ買おうと思っていたものがあった。それはインド人の男が来ているような丈の長い麻のシャツとズボンだ。どこかの街に居ついたら、インド人と同じような格好で過ごしたい、と考えていたのだ。お礼にプレゼントをもらえるほどに買い物をしたつもりはなかったが、酒も回っていたおれは遠慮もせずに言った。

 『インド人の男が着るような、丈の長いシャツが欲しい』
 『お安いごようだ』

 オーナーがせむし男に合図すると、すぐにそれを持ってきた。



 『コヘイジ、さっそく着てみろよ』

 ラームにそう言われ着替えてみる。

 『おお、コヘイジ、とてもよく似合うよ!それならどこから見てもネパール人だ!』

 好青年も笑っている。せむし男までにやついている。

 『いいかいコヘイジ、この先、もし悪いインド人にお金をせびられたりしたら、こう言うんだ <マーイ、ネパリー、フォン>、そうしたらだれもキミからお金をもらおうなんて思わないから』
 『それはどういう意味だい?』
 『私は、ネパール人です』
 
 おれは言われたとおりにやってみる。

 『マーイ、ネパリー、フォン!』

 一同が笑う。そうか、インド人はネパール人を下に見ているのだ、貧乏なネパール人に金をくれ、と言っても仕方ない、きっとそういうことなのだ。

 ラームがまた口を開く。

 『なあコヘイジ、インドではこうやって友達になったら、その証にお互いの持ち物を交換する習慣があるんだ、そこで、あのキミのコートだけど…、ボクがカシミヤのいいセーターをプレゼントするから交換しないか』

 ラームの言うおれのコートとは、紺色のフード付き春物ハーフコートで、そういうデザインのものが欲しくて、散々探して、ようやく新宿の服屋で見つけたお気に入りのものだった。K子からもよく似合うと言われていた。

 『ラーム…、これはボクのお気に入りなんだ、これは交換できない…』

 そう言うとラームは少し険しい顔になり言った。

 『コヘイジ、そのコートはインディアンスタイルじゃない、そんなのを着ていたらこの先、キミは金持ちに思われ、悪いインド人に狙われてしまうよ』
 
 『え?』

 昨夜のサダルストリートのすさまじい光景が脳裏によぎる…。このインディアンスタイルではない、という言葉は思いのほかこの時のおれには効果があった。

 『うーーん…、わかったよラーム…、交換しよう…』
 『そうか!コヘイジ、じゃあ代わりにカシミヤのセーターをプレゼントするよ!』

 そう言うやいなやもうおれのハーフコートを羽織り、せむし男を走らせる。せむし男がすぐに交換の品を持って上がって来る。

 『え?』

 黒とグレーのまだら模様のダサいセーター、カシミヤの商品も扱っていたおれには、それがカシミヤでないことはすぐにわかった。ナイロンもふんだんに使っている、デザインもダサダサ、着てみれば…、キツイ、小さいのだ、きつくてピチピチだ。

 『これは…、』
 『コヘイジ、よく似合うよ!インドは間もなくウインターシーズンだ、それがあれば安心だよ!』
 『……。』

 『コヘイジ、ところでキミのあの時計だけれど…』

 ラームが言うのは、おれの懐中時計だ。おれは普段、仕事でもプライベートでも、腕時計ではなく懐中時計をつけていた。それは決して高価なものではなかったが、やはりデザインなど、おれのお気に入りだった。

 『これも…、ボクのお気に入りなんだけど…』
 『コヘイジ…、それはもっとインディアンスタイルではない、そんなものをつけていると…』
 
 再びおれの脳裏に昨夜のサダルストリートの光景がよぎる。

 『わかったよラーム…、交換しよう…。』

 懐中時計の代わりにせむし男が持ってきたもの、それは、プラスチック製の黒いデジタル腕時計、表面に、白いペンか何かで、明らかに手書きで『 CASIO 』と書かれている。おれはもう思わず吹き出してしまった。

 『コヘイジ、キミのあのバッグだけど…』
 『わかったよ!インディアンスタイルじゃないんだろ!交換しよう!』

 おれのお気に入りのショルダーバッグは、今時遠足の小学生でも使わないような、迷彩柄のエナメルのリュックサックに変わり果てた。

 インド人男の民族衣装、ドゥーティーとかいう麻の丈の長いシャツにズボン、上にはピチピチのダサダサセーター、腕には手書きでCASIOと書かれたプラスチックのデジタル腕時計、背中には迷彩柄のエナメルリュック…。

 もうめちゃくちゃだ。それでもおれは、目の前のインド料理をつまみ、酒に酔い、なんだかご機嫌になっていた。そして、ずっと気になっていた、部屋の隅あるシタールを指さし、好青年に言った。

 『あれを触らせてくれないか』
 『弾けるのか?』
 『いや、ギターは弾けるけど、シタールは初めて触る』

 インドへやって来たビートルズ、あのジョージ・ハリスンのその後の音楽に多大な影響を与えた楽器、シタールを手にしておれはご満悦だ。
 そのおれの姿を見てラームが言う。

 『なあ、コヘイジ、何か日本の歌を歌ってくれよ』

 歌…、伴奏もなしでか…。
 おれは、接待などで、おれよりずっと年配の人とカラオケなどをすることがあったが、その相手の年齢に合わせ演歌などを歌うとこう言われるのだ。

 『若いのにつまらない歌を歌うねえ…』

 それで、次に若い流行り歌を歌うとまた言われるのだ。

 『若い人の歌はわからないねえ…』

 面倒なので、こういう時に必ず歌う歌をおれは決めていた。森進一の襟裳岬。
 
 酒も回り、ご機嫌なおれは歌い始める。

 『きたのーまちではーもぅをー♪』

 宴はつづく、宴はつづく

 『かなしぃみをー、だんろでえーー♬』

 この後、この買い物が衝撃的な結末を迎えるとも知らずに…。 

 『えりぃもぅのーー、はるぅはーーーーー♫』

 おれは歌う、おれは歌う

 宴はつづく、宴はつづく






***************つづく


※注Calcutta(カルカッタ) → 現Kolkata(コルカタ) 記事は30年近く前のできごとです。また、画像はイメージです



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インド放浪 本能の空腹 ⑦  『ラームと買い物 1』

2019-12-11 | インド放浪 本能の空腹

<出典 Wowow Ralewaystory


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こんにちは
 

30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記からお送りいたしております

前回は、夜のカルカッタに到着、その喧騒と混沌、凄まじい勢いでせまるポン引きと物乞いに圧倒され、泣きそうになっていることろに現れた男、ラーム、そのラームに地獄から救い出されるように紹介されたホテルへ、と言うところまででした

実のところ、インド放浪と言っても、ある程度インドに慣れてくると、することもなくなり、毎日が退屈になります

特に私の場合、どこどこへ行きたい、有名な歴史建造物が見たい、などといった目的をほとんど持っておりませんでしたのでしばらくすると日記になにも書くことのないような日も多かったのです

しかし、この日1日は、私のインド放浪のハイライト、と呼べる出来事の一つが起こります

たった1日のことですが、かなり濃密な1日となりましたので、数回にわけてお送りいたします



*********************


 翌朝、ラームは8時きっかりにおれを迎えにきた。
 市内観光へ連れて行ってくれることになっていた。
 もちろん、ダッカで別れた日本人青年、K君の待つSホテルへも案内してもらう予定だ。

 まずは朝食を摂ろうと、ホテル近くの飲食店へ入った。ラームがチキンカリーを注文したので、おれも同じものを頼んだ。少し大きめの手羽の入ったカレーの皿に、ナン、それにカットされた生のレッドオニオンが付け合せに運ばれてきた。
 昨日の夜は、千葉の伯母からもらったピーナッツを少し食べただけで、インドへ来て初めてのまともな食事だ。

 インド人は基本的に手でメシを食う。外国人だとスプーンなども出してくれるが、ここはおれもラームにならい、手がカレーだらけになるのも気にせず、手羽に食らいつく、美味い、空腹であるのは間違いなかったが、そうでなくても十分に美味い、さすが本場のカレーだ。ラームは、肉を削ぎ取るように食い終えると、手羽の骨を折って中のエキスをチュウチュウと吸い始めた。

 『コヘイジ、ウマいから君も吸ってみろよ』

 鶏がらを煮込んでスープを作ったりするのだから、骨の髄もきっと美味いのだろう、だがおれは遠慮しておいた。

 朝飯を済ませ、おれたちはタクシーに乗り込んだ。こういった金は全部ラームが出してくれる。よほどの金持ちなんだろう。少し心苦しい思いはあったが、タダより高いものはない、なんて発想はこの時のおれにはまるでなかった。

 『コヘイジ、まずはフーグリー川を見に行こう』

 『フーグリー川』

 とは、ガンジス川の支流で、ガンジス同様、聖なる川として人々の信仰の対象となっている大きな川だ。運が良ければ川イルカを見ることもできるそうだ。

 タクシーを降り、その場で待たせたまま、おれたちはなだらかな斜面を上る、上りきると雄大な川が眼前に広がる。ガンジスの支流、だということだが、これがガンジス川だ、と言われてもおそらくは何の疑問も抱かないだろう。岸辺の浅瀬で沐浴をしている人たちもいる。座礁しているのか係留しているのかよくわからないポンコツ船が船着き場に留まっている。

 おれは大体水辺というものが大好きなのだ。海、川、湖、ちょっとした池も好きだ。水辺を見つけると、つい何か生き物がいないか覗き込みたくなる。だが、このフーグリー川で、目の前のゆるやかな土手を下り、水辺まで行く気には到底なれなかった。おれの立っているところから水辺まで、地面を覆い尽くすようにゴミが敷き詰められていたからだ。
 カルカッタはインドでも最も汚い街だそうだ。インドで最も汚いと言うことは、下手をすれば世界で最も汚い街と言えるかもしれない。
 数羽のカラスがそのゴミをあさっている。日本のカラスより少し小ぶりだ。羽毛も少し藍がかって光沢がある。こういったささいなことが、自分が今外国にいる、ということをより実感させてくれる。

 『コヘイジ、キミも沐浴したらどうだ?』

 ラームがつまらないことを言う。さらにこんなことを言う

 
 『コヘイジ、このフーグリー川、ガンジス川では、時折人の遺体が流れてくるんだ、インドでは今でも誰かが死ぬと聖なる川へ流す風習が残っているところがあるんだ』

 『え…?』


出典 Never まとめ

 その話は日本にいる時に誰かから聞いていた。おれがインドへ行く前、幾つか聞いていたインドの黒ウワサの一つだ。だが、その話を聞いたその時のおれの感想はこうだ。

『いくらインドだからって、間もなく21世紀になろうかってこの時代に、そんな奴はおれへんやろ! いくらインドだからって、川に死体が流れてたら、殺人事件かもしれないんだから、いやいや、そんな奴はおれへんやろ(大木こだま・ひびき風)』

 だがどうも本当のことらしい…、カルカッタの街並み、喧騒、混沌、目の前の雄大な川、濁った水、岸辺のゴミ、確かに死体が流れていてもさほど驚くことでもないかもしれない…

 待たせていたタクシーに再び乗り込み市街を走る、昨日の夜に衝撃を受けた喧騒と混沌とはまた違った昼間の風景…、無秩序に行き交う人、車、バイク、リクシャ、犬…、今にも分解しそうなオンボロバスに、人が詰め込められるだけ詰め込まれて、溢れて、しがみついて…、 斜めに傾きながら走るバス…、インドだ、ここはやっぱりインドだ。

 『あれがヴィクトリアメモリアルだよ』

 とラームが指をさす。



 イギリスの植民地時代だった頃の遺物だ。カルカッタには似つかわしくない。おれもまるで関心はない。
 おれは今回のインド旅行において、どこか特別に行きたいところとか、見たいもの、などはなかった。タージマハールくらいは余裕があれば見たいと思っていたが、どこか南、マドラス近郊の海が近い小さな町でしばらく過ごしたい、しばらく、その町で生活をしているかのように過ごしたい、漠然とそんなことを考えていただけで、それが具体的にどの町か、なんてことすら決めていなかったのだ。

 ざっと一回り、タクシーで市街を走った。ラームが口を開く。

 『コヘイジ、ボクはね、昨日話した通り、このカルカッタへは両親へのプレゼントを買いに来たんだ、これからマルキットへ買い物に行くつもりだけど、どうだい、キミも買い物に付き合わないかい?Sホテルへは買い物が終わったら案内してあげるよ』
 
 おれは買い物などする気は全くなかったが、こうしてタクシーでぐるぐる回って、ここがどこかもわからない、これからラームの助けなしでまたあのサダルストリートへ行ってSホテルを探す、というのはちょっと困難なことに思えた。

 『…、わかったよ、ラーム、キミに付き合うけど、ボクは買い物はしないよ?』
 

 そういうおれに、ラームはまるでおれを諭すように話を続ける。

 『コヘイジ、キミはこの先、だれにもお土産を買わないつもりかい、そんなことはないだろう?家族、恋人、友人、何か買って帰るつもりだろう?インドは悪いやつが多いんだ、騙されて安物を高く買わされるかもしれないよ…?それならば、ボクはこれからシルクを買うんだけど、ボクが安くて質の良いものをちゃんと教えてあげるから、安心して買い物をした方がいい、そして今日のうちに日本へ送ってしまえば、キミはこの先、もうお土産のことを気にせず旅ができるじゃないか』

 『………、』

 おれは少し考えた。確かにそれはその通りだ。千葉の伯母はピーナッツだけでなく、餞別までくれていた、親にもなんかしら買って帰らなきゃならないだろう、バンドの女ドラマー、Y子なんかは金もよこさないくせに『小平次さぁん、サリー買ってきてくださいね~』なんて図々しいことを言っていた。そして、彼女のK子…、。

 インドへ旅立つ前日、いつものように高円寺の居酒屋でK子とメシを食った。そのあと、いつものように夜の公園を歩いた。

 『…、いよいよ、明日…、行って来るよ、』

 『………、』

 K子はうつむいていた。

 『大丈夫だよ、インドはさ、伝染病とか狂犬病とかは怖いけど、殺されたりとかって、そんなことはアメリカ行くより心配はないから、テロとかある方は行かないし…、』

 
 『………、』

 『…、泣いてるの?…』

 『………、不覚にも………、』

 そう言ってK子は涙をぬぐった。

 あああああ!愛しい!愛しい!K子!

 K子にも当然何か買って帰らねば。

 『OKラーム、そんなに高い買い物はできないけど、キミの言うとおりにするよ』
 『コヘイジ!大丈夫!ボクにまかせて!』

 それからタクシーは少し走り、『〇✖MARKET』と刻まれた看板のある、屋内商店街のような薄暗い建物の前で止まった

 
 『MARKET… マルキット、ああそうか』

 さっきラームがマルキットで買い物、と言ったのはMARKETのことか!てっきり店の名前かと思っていた。
 イギリスの植民地であったこともあってか、インド人の多くは、英語を話すが、発音は悪い。特にRをそのまま発するので時折何を言っているのかわからないことがあった。だが、おれには白人の流暢な英語よりは却ってわかりやすかった。

 ラームと共に薄暗いマルキットの中へ入る。この日は日曜日、中の店はすべて閉まっているようだった。いや、奥の方に一件、ポツンと灯りをともしている店がある。

 『コヘイジ、あの店だよ』

 マルキットの外では、普通の店や露店がにぎやかに営業をしていたが、この中で営業していたのは、その奥の店だけであった。

 なぜ、その店だけが開いていたのか…、その理由に関する衝撃的な事実をおれが知ることになるのは、まだまだこの旅の先のことである。




**********つづく



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インド放浪 本能の空腹⑥ 『 Blue Moon hotel 』

2019-11-14 | インド放浪 本能の空腹



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30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記からお送りいたしております

夜のカルカッタ、凄まじい喧騒と混沌に圧倒されなす術もない状況で現れた若い男、ラーム、サイタマに行ったことがあるというこの男に言われるままにビールをごちそうになり、言われるがままに紹介してくれるというホテルへ行く…


つづきです



***************************


 店の外へ出ると、ラームは目の前にいたリクシャ引き(リクシャーワーラー)のじいさんに声をかけた。これに乗って行こうと言う。
 そのリクシャは、人が直接引く、まさしく『人力車』タイプのものだった。この人力車タイプは、インドでもこのカルカッタくらいにしか残ってないそうだ。



 おれはラームにうながされ、座席に座った。続けてラームも乗り込んだ。じいさんは力強く前棒を下げ、すぐに走り出した。
 せまく暗い裏通りを、人や犬、ゴミの山を巧みにすり抜けながらじいさんはリクシャを引く。少し高いところからじいさんを見下ろしおれは思う。

 ああ、おれはこういうのはどうも苦手だ。おれの親父ほどの歳に見える小柄なじいさんが車を引き、世間知らずの若造が座席に座りそれを見下ろす…、とても心苦しく思うのだ。だが、そんなのはおれのちっぽけな感傷に過ぎない。じいさんにしてみれば、インドまで来ておきながら、そんな綺麗ごとを言ってねえでどんどん乗っておれを稼がせろ、と思っているに違いないのだ。
 小柄ながら、汚れたシャツ越しに見えるたくましいじいさんの背中を見ながら、そんなことを考えている間にリクシャは目的のホテルの前に着いた。
 
 ホテルの名前は 『 Blue Moon hotel 』
 
 わざわざリクシャに乗るほどの距離でもなかったように思えた。ひょっとするとラームが、この街に来たばかりのおれにリクシャを体験させてくれようとしたのかもしれない、そんなことを考えた。

 サダルストリートから通りを数本跨いだだけのように思えたが、このあたりは人通りもそんなに多くはなく、割と静かだ。ただ、汚い! カルカッタはとにかくゴミだらけだ、生ゴミもあれば紙くずやプラスチック類、よくわからない黒いもの、そんなものが地面を覆っているようだ、通りの角には山積みにされたゴミもある、それを犬や人があさっている。喧騒や混沌とはまた別な衝撃である。

 小さなホテルだった。入り口から直接せまい階段を上ると2階にフロントっぽいものがあった。
 ラームは従業員にヒンディー語だか、ベンガリー語だかで何かを言っている。従業員がまたあの仕草、アゴをプイっと横に振る。
『 150lupie 』
おれは従業員に150ルピー支払い、フロントの目の前の部屋へと案内してもらった。ラームも部屋へ入る。部屋は、せまいながらも外の光景からしてみれば、思いのほか清潔そうだった。部屋と同じくらいの大きさのシャワールームがとなりにあった。覗くと、昔の公衆便所のような消毒薬の匂いが鼻を衝く。ポツンと便器が一つ、それに円形のシャワーが壁から突き出ているだけの殺風景なシャワールームだ。

 『コヘイジ、キミはまだビールを飲みたいんじゃないか?』

 ラームが笑いながら言った。
 確かに、酒好きのおれには小瓶のビール一本だけでは却って中途半端だ。
『そうだね、もし飲めるならもう少し飲みたいかな…』
『OK!』
 ラームが従業員に何かを告げると、すぐに2本のビールとグラスを運んでくれた。ラームはおれのために再びグラスにビールを注いでくれる。そして色々なことをおれに話してくる。

 自分がブッダガヤーから、両親へのプレゼントを買うためにこのカルカッタに来ていること、学生であること、おれにも次々と質問を投げかけてくる、家族は何人だ、兄弟はいるか、結婚はしているか、彼女はいるのか、日本ではどんな仕事をしているのか、インドにはどれくらいいるつもりだ、カルカッタの次はどこへ行く予定だ、おれが一つ一つ答えていく、自然と会話も弾む。

 『コヘイジ、キミは何か宗教を信仰しているか?』

 『ボクはクリスチャンなんだ…』

 『クリスチャン!それは素晴らしい!ボクはヒンドゥー教徒だけど、 ボクはね、こう思うんだ、Jesus、Muḥammad、Buddha、信仰はいろいろある、神もいろいろある、ヒンドゥーの神々もたくさんいる、でもね、たくさんの神がいたとしても、ボクは神は一つだと思うんだ、神は同じだと思うんだ、みんな一つの神を信仰しているのに、宗教上で対立して、戦争をしたりすること、これはとてもばかげていることだって、そう思うんだ…』

 おれはそれを聞いていたく感動してしまった…、少し酔いも回っていたのだろう…。

 『ラーム!! キミは素晴らしい人だ! ボクもそう思うよ!』

 調子づいてそんなこと言う…。ラームは続ける…。

 『日本は…、ヒロシマ、ナガサキに『 atomic bomb 』をアメリカによって落とされた…、とても悲しいことだ…、でも、日本はまた立ち上がり、今の繁栄を得た、日本はアジアのリーダーだ、ボクはそう思う 』

 ラーム!お前ってってやつは!
 許してくれ!さっき一瞬でも君をポン引きの詐欺師ではないかと疑ったおれを! 許してくれラーム!

 おれは心の中でそう叫んだ。

 おれが二本目のビールを半分ほど飲んだころ、ラームは立ち上がり言った。
『コヘイジ、そろそろボクは自分のホテルへ帰るよ…、明日は、ボクが市内を案内してあげるから、それでキミの友人の待つSホテルへも行ってみよう、朝の8時に迎えに来るから待っていてくれ』
 おれの頭にはもはや、ラームを疑う気持ちなど微塵もなかった。
『コヘイジ、一つ約束をしてくれ、カルカッタはとても危険な街だ、キミはまだインドに慣れていない、だから今日は、ホテルから外へ出てはいけないよ、約束してくれ』
 ラームは真剣な表情でそう言った。
 おれのことを心配までしていてくれる…
 大丈夫、頼まれたって出やしない。
『わかっているよラーム、今日は外へは出ない…、約束するよ』
 ラームはにっこり笑ってもう一度明日の8時に迎えに来ることをおれに告げ、部屋を出て行った。

 一人だ…。日本を出てから初めて、一人だけの空間を得た。何か急速に安堵感に包まれた。同時に疲労感も押し寄せてきた。とにかく、シャワーを浴びよう…。おれは裸になってシャワールームへ向かう。予想していたことだがお湯は出ない…。インドも間もなく冬であったが寒くはなかった。おれはそそくさと水浴びを済ませ部屋へ戻り、ベッドに座る…。

 腹が減った…。そう言えば晩飯を食っていなかった。凄まじい喧騒と混沌、緊張して空腹も忘れていた。だが外へ出るわけにはいかない。ふと、千葉の伯母が、おれがインドへ一人旅に行くと言ったら、餞別だと言って金と一緒に送ってくれたピーナッツを持ってきていたことを思い出した。
 そうだ、あれを食おう…。バッグの奥から袋詰めのピーナッツを取り出し、一粒、二粒、と口に入れる…、うまい…。
 大体伯母やおふくろの年代の人は、インドへ一人で行くなんて言うと、もう二度と会えないのではないか、というくらいに心配をする…。
 おれは残りのビールを流し込み、ベッドへ横たわる。すぐに眠くなっった。つい今しがたの裏路地の光景を思い出す…。全ての指が溶けて蝋のようになった手、くぼんだ白目だけの少年、両足を付け根から失い、上半身だけで手作りのスケートボードのような板に乗って近づいてきたじいさん…。彼らが目まぐるしくおれの頭を駆け巡る。もう夢心地だ…。

 『ポーッ!ポーッ!』

 随分静かになったホテルの前の通りで誰かが叫んでいる…。

 『ポーッ!ポーッ!』

 その声がだんだんと近づいてくる…。

 『ポーッ!ポーッ!』

 なんだ?、なんかのまじないか…?

 『ポーッ!ポーッ!』

 なんだよ! 『ポーッ!ポーッ!』って!?

 夢心地から覚めたおれは、『ポーッ!ポーッ!』が気になり、起き上がって窓から外を覗く。

 薄暗い裏通り、通りの端にはうずくまって足を抱えてじっとしている人たちが幾人かいる、そして、通りの中央を、杖を突きながらヨタヨタと歩くじいさんがいる。

 『ポーッ!ポーッ!』

 じいさんが叫びながら歩いていたのだ。少しの間、おれはそのじいさんの後姿を眺め、また横になる。
 
 なんだよ…、『ポーッ!ポーッ!』って…。  再び眠くなる。夢心地になりながらおれは考える。

 たぶん、あのじいさんは目が見えないのだろう…、それで、自分が歩いていることを周りの人に知らせるために、『ポーッ!ポーッ!』と叫んでいるのだろう…、なぜかおれはそんな気がした。

 遠ざかる『ポーッ!ポーッ!』を聞きながら、ようやくおれは眠りについた…。


*********************** つづく



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インド放浪 本能の空腹 ⑤ 『 ラーム 』

2019-11-12 | インド放浪 本能の空腹




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30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記からお送りいたしております

夜のカルカッタへ到着

早速この街の洗礼、凄まじいポン引きと物乞いの攻勢をかわした先で現れた一人の清潔そうな身なりをしたインド人男…

続きです


インド放浪 本能の空腹 ⑤ 『 ラーム 』

※写真はほとんど撮りませんでしたので、画像はイメージです


*******************

 『サイタマ』

 という思いがけないローカルな地名を聞いておれは食い入るように睨んでいた地図から顔を上げた。
 この男が、もし、日本に行った時の街として、Tokyo、や、Osaka、と言っていたならば、おれは『 No thank you! 』を繰り返していただろう。Kyoto、Fukuokaでも同じだったかもしれない。だが、『サイタマ』という通常外国人の口からはあまり聞かれないような土地の名前に、何か妙にリアルなものを感じ、おれはこの男と話をする気になったのだ。つい今しがたの凄まじいポン引きと物乞いの攻勢に参ってしまっていたこともあったろうとは思う。

『ホテルを探しているのかい?』
『ああ…』
『今日カルカッタに着いたばかりかい?』
『ああ…』

 つい話を聞く気になっていたが、おれはまだこの男を信用したわけではなかった。早速ホテルがどうとか言っているのも怪しい気がしていた。男は、それを察したかのように言った。
『ボクのことが信用できない? 怪しいホテルへ連れて行こうとしてると思う?』
『い、いや…』
『そう!君の考えている通り、ボクは悪いインド人だ、だから簡単に信用してはいけないよ!』
『……、……、』

『ボクはね、日本のサイタマへ行ったとき、日本人にとても親切にしてもらったんだ、で、今、このインドで困っている日本人のキミを見て、ただ助けたいだけなんだよ…』

『うーーーん…』

『信用できないならボクはここを去るけど、キミは少し落ち着いた方がいいと思うよ、どうだい、チャイでも飲みながら少し話さないか』

『……、……、』

『さあ、行こう』

 黙ったまま突っ立っていたおれは、男に背中を押されながら、目の前にあったドアも壁もない開けっ広げの飲食店の中へと入った。
 店の奥の方にあった二人掛けのテーブルにおれたちは腰かけた。店内はとても騒がしかった。
『ボクはチャイを頼むけど、キミは?ビールがいいかい?もちろんごちそうするよ』

 ビール!?  ビール…、 ビール…、   ビール、 ビール、 ビール!?

 今日の朝からダッカの街を歩き、夕方に飛行機に乗りカルカッタへ、そしてタクシーで夜の市街へやって来た。つい先ほどまでその喧騒と混沌、ポン引きと物乞いの渦の中にいたおれは、今この街でビールを飲む、なんてことは考えてもみなかった。朝からの濃密な一日を思えば、今ビールを飲んだらさぞかし美味いことだろう。それでも、慣れないこの街で、今、目の前にいる男だってまだ信用できるかどうかわからない、そんな中で酔っぱらうなんてことがあってはならない、  はず、  だった、
  が、 『ビール』 と言われて一瞬、頭の中で思い描いてしまったグラスの中で泡立つ黄金色の液体、おれはその誘惑に抗うことはできなかった。

『そ、そう、だね、じゃあボクはビールをもらうよ』
『OK!』

 男は店員にチャイとビールを注文した。すぐにチャイとビール、グラスがテーブルに運ばれた。男はおれの目の前のグラスにビールを注ぎながら言った。

『ボクはラーム、と言うんだ、キミは?』

『ボクは…、コヘイジ…』

 ラームはどうぞ、というようにグラスの前に手の平を差し出した。あああ、ビール…、今日ビールを飲めることになるなんて思いもしなかった。おれはグラスのビールを一気に飲み干した。

『ウマイ!!』

ラームは2杯目のビールを注ぎながら続けた。

『ところで、キミは今日のホテルを決めているのかい?』
『……、』

 おれはK君とのいきさつをラームに話した。ダッカで知り合った友人と、別の便でこのカルカッタへ来たこと、Sホテルで待ち合わせをしていること、後から着いたおれがSホテルへ行かなくてはならないこと…。

『Sホテルだって!? あそこはダメだよ、ドラッグや売春の仲介をしている良くないホテルだ』

 え?

 おれは少々驚いた。Sホテルは地球の歩き方に出ていたホテルだ。口コミの評判も上々、値段も安宿の中では中堅、心配なさそうなホテルだと思って待ち合わせ場所をそこにしたのだ、なのに良くないホテル?

  
 『地球の歩き方』は、これまでにない画期的なガイドブックだった。特におれたちのような貧乏旅行をしよう、それも一人で、というような連中にとっては大変ありがたいものだった。普通のガイドブックには出ていない安宿、食堂、土産品、危ない体験談などなど、とても役に立つ情報が載っていた。だが反面、危険な場所を推奨しかねない、との批判もないではなかった。だからおれは、ラームがそう言うのもあり得ない話ではないのかもしれない、と思ったのだ。しかしそうであればなおさら、K君にそれを知らせなければ!

 『大丈夫だよ、今日来たばかりの日本人にいきなりそういうものを紹介したりはしないから、それより、こんな夜になってからキミがそこへ行くことは、ボクはあまり勧められない、どうだろう、せっかく知り合ったんだし、明日、昼間の明るいうち、ボクが市内を案内してあげるから、その前にSホテルへ連れて行ってあげるよ、だからキミには安全で清潔なホテルをボクが紹介するから、今日はそこに泊まるといい、一泊150ルピー、それ以上お金はかからない。』

 おれは少し考えた。まだこのラームという男を完全に信用しきれてはいない、かと言って、今ラームの提案を断れば、おれはまたあらためてあの喧騒と混沌、ポン引きと物乞いの渦の中に放り出されることになる、Sホテルを探そうと思えば、またあのスケートボードじいさんのいる暗い路地を引き返すことになる…、ただでさえビビりまくり、そのくせビールなんか飲んでしまったおれには少々荷の重いことに思えた…。


 
 『OKラーム、キミにお願いするよ、よろしく』
『そうか!よし、それなら早速ホテルへ向かおう!』

 おれはグラスに残ったビールを喉に流し込み、ラームに続いて店の外へと出たのであった。



****************つづく

※注Calcutta(カルカッタ) → 現Kolkata(コルカタ) 記事は30年近く前のできごとです。また、画像はイメージです

令和元年 今の自分自身の感想
なぐり書きのような日記を、一応の文章にしていくというのは、思いのほか、なかなかに楽しいことです。ただ、自分としては今回もう少し後のできごとまで書きたかったのですが、ここまでで結構な文字数になってしまいましたのでまた次回ということで。このままですと帰国まで結構長くかかりそうです。時折別な記事などを書きながらゆっくりやって行きたいと思います。最後までお付き合いいただければ幸いに存じます。





 
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インド放浪 本能の空腹 ④ 『サダルストリート』

2019-11-08 | インド放浪 本能の空腹


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30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記からお送りいたしております

今回は

インド放浪 本能の空腹 ④ 『サダルストリート』


*******************

『Sudder Street(サダルストリート)…。』

 運転手は車を止めた。
 どうやら着いてしまったらしい…。
 大して広くもない通りであるが、喧騒と混沌が渦巻いている。
 
 止まるやいなや、おれの乗ったタクシーは数人の男に取り囲まれた。

 『☆※◆✖▼△¥%★
 『☆※◆✖▼△¥%★
 『☆※◆✖▼△¥%★


 開いているドア窓の向こうから、男たちはおれに向かって何か喚いている。早速始まったようだ。ここに着くまでに見た凄まじい喧騒と混沌に泣きそうになっていたおれは、着くやいなやこうして取り囲まれてしまい、相当に怯んでいる。

 『☆※◆✖▼△¥%★
 『☆※◆✖▼△¥%★

 『☆※◆✖▼△¥%★ HOTEL


 『ん? ホテル?』

 そうか、こいつらは皆どこかのホテルのポン引きなのだ。旅行者をホテルまで案内し、そのホテルから手数料か何かをもらっているのだ。ガイドブックに出ているホテルでボッタクられる典型的なパターンだ。

 『☆※◆✖▼△¥%★ HOTEL!』
 『☆※◆✖▼△¥%★ HOTEL!』

 だが怯んでいてこのままタクシーに乗っているわけにもいかない、意を決し外へ出ようとすると、運転手が声のトーンを一段下げて、まるで脅すかのようにおれに言う。

『C hip!』

 外の男たちまで運転手に金を払え!と喚いている。こういうことを避けたかったから空港のタクシー予約所で金を払ってきたのに…。
こんなことではいくら金があっても足りない。

『空港で金は払った!』

外で喚いている男に伝えると
『空港で払ったのか、それならばOKだ、降りろ』
と言って一人の男がドアを開けた。おれは荷物を肩に担ぎ車を降りた。降り際に運転手の舌打ちが聞こえた、ような気がした。

 外へ出たら出たで、車を取り囲んでいた男たちに、今度は直接取り囲まれてしまった。

 内心相当にビビりながらも、おれは努めて冷静を装い辺りを見回した。
 わからない…、一体おれがサダルストリートのどこに立っているのかわからない…。地球の歩き方のサダルストリート付近の地図が出ているページに人差し指を差し込み右手に持っていたが、開くことができない…、こんなところで地図なんか開いて見ていたら、それこそオノボリさん感丸出しである、道がわからなくて困っている感満載である、よけいにポン引き達を引き寄せてしまうだろう。

 『☆※◆✖▼△¥%★ HOTEL!』
 『☆※◆✖▼△¥%★ HOTEL!』

 とにかく、まずはインド博物館だ、そこまで行けば自分がどこにいるのかがわかる、そしてそこから歩けばK君が待っているSホテルまでは、一度右に曲がるだけでたどり着けるはずだ。とにかくおれは歩き出した。

 『☆※◆✖▼△¥%★ HOTEL!』
 『☆※◆✖▼△¥%★ HOTEL!』

 ポン引き達もおれにまとわりつくように歩き出す、しつこい、しつこいしつこいしつこい!
 試しにポン引きの一人に、インド博物館はどこかを訊いてみたが、『インド博物館はもう閉まっている、行きたいのなら明日にしろ、それよりおれのホテルへ来い!』 

 『☆※◆✖▼△¥%★ HOTEL!』
 『☆※◆✖▼△¥%★ HOTEL!』

 全く無駄であった。

 『No thank you!』『No thank you!』『No thank you!』

 どうにかポン引きたちを振り払おうとひたすら『No thank you!』を繰り返し、おれはどこに何があるかもわからず歩いていく。

 『Money…』

 
 ポン引きたちだけではない、日本からのオノボリさんを見つけた物乞いたちも動き出す。右から左から手が出てくる。

 『Money…』
 『☆※◆✖▼△¥%★ HOTEL!』
 『Money…』
 『☆※◆✖▼△¥%★ HOTEL!』
 
 もう何が何だかわからない…、おれは今どこなのだ、少しだけ地球の歩き方を開いてみる、だめだ、さっぱりわからない…

 おれはこのような場面を想定して、金持ちに見えないよう、自分なりになるべく汚いシャツを着て来ていた。インドへ旅立つ直前までやっていた、遺跡の発掘のアルバイトの作業着にしていたものだ。洗濯しても落ちなくなった泥や土の付いた汚いシャツだ。だが、布きれ1枚腰に巻いただけの、裸同然のような連中がたくさんいるこの街では、なんの効果もないのであった

 
 『Money…』
 『☆※◆✖▼△¥%★ HOTEL!』
 『Money…』
 『☆※◆✖▼△¥%★ HOTEL!』

 前方から小さな男の子を連れた女の物乞いが近づいてくる、手を引かれている子供の顏を見たら、両目が奥へくぼみ、小さな白目だけでおれを見つめている。

  『No thank you!』『No thank you!』『No thank you!』

 おれの頑なまでの『No thank you!』に、何人かのポン引きと物乞いが諦めて戦列を離れたが、新たに加わる者がいるのでその数は減らない。

 とにかく一度落ち着きたい、落ち着いた場所でゆっくり地図を確認したい、だがそんなことができそうな場所はどこにもない

 
 『Money…』
 『☆※◆✖▼△¥%★ HOTEL!』
 『Money…』
 『☆※◆✖▼△¥%★ HOTEL!』

 おれは思わず逃げるように細い路地を右に折れた。薄暗い路地だった。道の両側にうなだれるように座っていた物乞いが一斉に
『Money…』
と手を出してきた。その内の一本の手には、指がなかった。すべての指がなかった。まるで溶けた蝋のようになっている。
 らい病を患った人たちが多いと聞いていた。そんな風に足や手を失った人がカルカッタには大勢いると聞いていた。マザー・テレサの死を待つ人々の家はこのカルカッタにある。

 前方から子供ほどの背丈の者が近づいてくる… 子供…?… いや子供ではない…、 長い白髪と髭の老人だ。両足のない老人だ。それも付け根から両足がない、だから一瞬下半身がないように見えた。その老人が、手作りのスケートボードのようなものに乗り、杖のような長い棒で、船を漕ぐようにやって来て、『Money…』と手を出した。
 おれは、悲鳴を上げそうになった、が飲み込んだ、と言うより、もう声も出なかった…。

 どうにかその路地を切り抜け、少し開けた通りに出た。サダルストリートよりは少し落ち着いている感じがした。ここならば地図を広げられるかもしれない、いや、もうとにかく地図を広げるしかない。おれは立ち止まり、再び意を決して地球の歩き方を開いた。すぐにだれかが声をかけて来たが無視して地図を睨んだ。
 何か、目印になるもの…、ん…? 消防署? 消防署ならばさっき見えた!サダルストリートをポン引きたちを引き連れ歩いているとき、確かに見えた、数台の消防車が止まっていたのを!だがわからない…、あまりに目まぐるしいポン引きと物乞いの攻勢に、どっちの方に消防署が見えたのかわからない…。

 『Any problems?』

また誰かが声をかけてくる。

『No thank you!』

『君は困っているように見えるよ…』

『No thank you!』

『ボクはね、日本に行ったことがあるんだよ…、サイタマだよ…』
『埼玉!?』

 思いがけないローカルな地名を聞いておれは思わず顔を上げた。
 そこには、これまでおれにまとわりついて来たポン引きや物乞いとは違った、清潔そうな服装の若い男が立っていた。

 さて、この男は一体…、凄まじい喧騒と混沌の街で、次々と現れるポン引きたち、どうにかかわしたと思ったところで現れた男…

 それは次回でまた

*****************続く
※注Calcutta(カルカッタ) → 現Kolkata(コルカタ) 記事は30年近く前のできごとです。また、画像はイメージです

令和元年の今、自分の感想
この時の日記を読み返してみますと、ほんとビビッてたんだなあ、と言うのが伝わり笑えます。私はこの6年後に再びカルカッタを訪れていますが、物乞いの人たちはずいぶん少なくなっていたように感じました。それについて、あるインド人からとんでもない話を聞いたことがありましたが、それはまた日記の中で


 

 
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インド放浪 本能の空腹③ 『市街へⅡ』

2019-11-05 | インド放浪 本能の空腹


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『インド放浪 本能の空腹 ③ 市街へⅡ』をお送りいたします

その前に、インドの最もポピュラーな乗り物をご紹介します



サイクルリクシャ

3輪自転車に座席をつけた乗り物です

『リクシャ、リキシャ』と言われ日本の『人力車』が語源だと聞いております

リクシャにはこの他文字通り人力のみで引くものもあり、カルカッタではよく見かけました



その他バイクに屋根つき座席をつけたオートリクシャもあります

街には非常にたくさんのリクシャが走り回っているのをイメージしながらお読み頂けると幸いです


では、日記より

******************************

 日本を発つ前に、成田で空港職員から、外務省からの注意書きのような書面を渡された。

 『インドを渡航する際の注意事項』

 ・カシミール地方では宗教上の対立が続き、テロなどが頻発しており、渡航は自粛してください。

  このことはおれもすでにわかっていた。だから行くつもりもない。

 ・カルカッタ、サダルストリート付近ではドラッグ、売春などの勧誘が多くそれに関連したトラブルや詐欺などが頻発しており、多数の邦人旅行者が被害を受けておりますので注意してください。

 大体そんな内容だった。

 『サダルストリート(Sudder Street)』
 
 は、さほど広くも長くもない小さな通りだが、激安の宿泊施設が多数ひしめいており、インドを旅する各国のバックパッカーにはちょっと有名な通りなのだ。
 おれがK君と待ち合わせを約束したSホテルも、地図によればこの通りから路地を少し入ったところにあった。

 外務省の注意書きを見るまでもなく、このサダルストリートには、マリファナ、売春、怪しげなホテルなどのポン引き、の他、物乞いも多数いることはガイドブックにも出ていた。だが、それを注意しろと言われても、なにしろ初めての街だ。タクシーでサダルストリートまで行ったとして、どこで降ろされたのかがわからなければ、そんな連中の蠢く場所で迷子になる危険がある。だからおれは、付近の地図を食い入るように見つめ、いきなりサダルストリートの中へは入らず、通りの入り口付近で降りられるよう、何か目標物にできるようなものを探していたのだ。

 『インド博物館』

 サダルストリートを縦線に、T字に交差する大通りに面してインド博物館がある。地図からでもなかなかに大きな博物館であることがわかる。
 これだ、このインド博物館を起点に歩き出せば、Sホテルまでは途中一度右に折れるだけでたどり着ける、ここしかない!

 そう考えておれは、タクシーの予約所の男に

『Indian museumまで』

と言ったのだ。
 なのに男は
『Indian museum?、OK、Sudder Street… 』
そう言って予約票のような紙切れに『Sudder Street』と書き込んだ。
『No,No,No,No…, I'd like to go to Indian museum 、Not Sudder Street!』
『Haan!?、Indian museum on Sudder Street!!』

 そんなことはわかっているのだ。わかっているが、サダルストリートの深いところではなく、入り口付近で降りたいのだ。

『I, I…、 get out of a taxi…、entrance of Indian museum.』

 予約所の男は、呆れてめんどくさそうに、入国審査官と同じようにアゴをぷいっと横に振り、『Sudder Street』と書かれたままの予約票を脇にいた若い男に渡し言った。

『60rupie!』

 おれは諦めて60ルピーを支払った。
 おれが金を支払っている間に、予約票を受け渡された若い男は、おれの荷物を肩に担ぎ、ついて来い、と言う仕草をしてさっさと歩きだした。

 空港の出口から外へ出る…。
 いよいよおれのインドの旅が、いやおうなしに始まるのだ。

 空港の前には多くのタクシーが列を作り…、いや、列なんか作っていない、たくさんのタクシーがそこに、無秩序に群れている…、そんな感じだ。
 若い男はその群れの外側の方に停車していた1台の黄色いタクシーまでおれを案内し、荷物をトランクに入れるかを尋ねてきた。おれはその必要はないことを伝え、荷物を受け取り、開けてくれた扉からタクシーに乗り込み運転手に告げた。

『Indian museum…』
『OK、Sudder Street』

 無駄なようだ。

 開け放たれた窓の外から、たった今荷物を運んでくれた男がニコニコしながらおれを見つめている…

 『Hey,President…、Chip…、Please…、』

 やはりそう来たか…、まあ、荷物を持ってくれたのだから仕方ない…、勝手にだけど…。
 おれはどうもこのチップというのが苦手だ。いくら渡せばよいのかわからない…。少な過ぎてケチな日本人だと思われるのも少し嫌だ。おれはたった今両替したばかりの紙幣から20ルピーを取り出し、窓の外の男へ渡した。

 『Thank you President! Have a nice travel!』
 
 男は嬉しそうに去って行った
 この時渡した20ルピーというのが、チップとしてはかなり高額である、ということがわかるのはまた先の話である。

 いよいよタクシーは走り出す。
 空港の周りは、まだダッカで見たような喧騒も混沌もなく、だだっ広い空き地に、煤けて今にも朽ち果てそうなビルがぽつぽつと建っている。インドでもバングラデシュでも、およそ近代的な洗練されたようなビルは見かけない。大体が煤けて朽ち果てそうなビルばかりである。
 走り出すとややも経たないうちに辺りは暗くなった。
 夜だ。
 暗くなるのに合わせ次第に人や車が増えてくる、ビルなどの建物も増えてくる、増え始めたかと思うと、あっという間にダッカで見たような、いやそれ以上の喧騒と混沌の世界へ包まれていく。

 人!車!バイク!
 人!車!バイク!
 人!車!バイク!

 おそらくは3車線ほどの幅の道路に、次々と車が、バイクが、けたたましいクラクションを鳴らしながら割り込み割り込まれを繰り返し、無理やり5列ほどになって今にもぶつかりそうになりながら走っている。
 こんなにも無茶苦茶な交通量でありながら、信号一つ見かけない…、大きな交差点では車やバイクが警戒しながら、徐々に進出し、右へ左へ曲がって行く。
 道の端には多数の人、歩いている人、寝ている人、しゃがんで何かを煮炊きしている人、人、人、人!煮炊きしている煙と匂いが街に満ち溢れている。

 人!車!バイク!
 人!車!バイク!リクシャ!
 人!車!バイク!リクシャ!

 喧騒と混沌はとどまるところを知らない…

 人!車!バイク!リクシャ!
 人!車!バイク!リクシャ!犬!
 人!車!バイク!リクシャ!犬!

 薄汚れて痩せた野良犬もさまよっている…

 『うおーーーーーん…、うおーーーーーん…、うおーーーーーん…、』

 なんだ?

 何か怪物のうなり声のようなものが空から聞こえてくる。いくらインドだからと言ってそんなことはあるはずもないのだが、確かに聞こえてくる。

 『うおーーーーーん…、うおーーーーーん…、うおーーーーーん…、』

 あちこちの店や屋台から、独特の音階のインド音楽が大音量で鳴り響いている、それらの音楽が、ひとまとまりになって、まるで空から響いているように聞こえているのだ。

 人!車!バイク!リクシャ!犬!
 人!車!バイク!リクシャ!犬!羊!牛!
 人!車!バイク!リクシャ!犬!羊!牛!

 
 夥しい数の車やバイク、リクシャが行き交う大通りを、腰に布を巻いた羊飼いの男が、やはり薄汚れた十数頭の羊を引き連れ横断している。

 もう滅茶苦茶だ…。

 けたたましいクラクション、大音量のインド音楽、人々の大声、さまざまな音までもが、人、車、バイク、リクシャ、犬、羊、牛、それらとともに入り乱れている。

 ある人が、このカルカッタの街を評して言った言葉が地球の歩き方に出ていた。

 『都市文明化の失敗作の街』

 きっとそんな言葉も生ぬるい…。

 おれはなんだか頭がくらくらしてきた。

 あと十数分もしたら、おれはこの喧騒と混沌の渦の中に放り出されるのだ…。

 『無理だ…、この街を一人で歩くのなんて、今のおれには無理だ…。』
 
 ガイドブックには、初めてインドに行く日本人で、このカルカッタから入るとあまりの衝撃にホテルから一歩も外へ出られないような人がいる、と出ていた。おれもきっとそうなるに違いない…。

 おれはなぜだか謝りたくなった…。
 誰彼かまわず謝りたくなった…。

 ごめんなさい…

 ごめんなさい

 ごめんなさい、ごめんなさい!

 もう言いませんから…

 二度と言いませんから…

 インドへ行きたいなんて、そんな生意気なこと、二度と言いませんから!

 帰らせてください…、日本へ!

 後部座席の日本人が、今にも泣きそうになりながらそんな意味不明の謝罪を心の中で繰り返しているなどとは露程も思わず、おれをカルカッタの奥深くで放り出すために、ちょび髭のタクシー運転手は鼻歌を歌いながら車を走らせるのであった。


***************** つづく


※注Calcutta(カルカッタ) → 現Kolkata(コルカタ) 記事は30年近く前のできごとです。また、画像はイメージです

これまでこの旅を20数年前、と言ってましたが、自分の歳を考えると『30年近く前』と言った方がより正確でした。ある程度歳を重ねますと自分が何歳かすっかり忘れてしまうことがありまして(笑) 


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インド放浪 本能の空腹 ② 『市街へ!Ⅰ』

2019-10-31 | インド放浪 本能の空腹



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前回から始めました20ン年前のインド放浪、当時つけていた日記をもとに書き綴ります



インド放浪 本能の空腹 ② 『市街へ!Ⅰ』


***********************************************


 カルカッタダムダム空港の空港ビル内に入ったおれは、さほど混んではいない入国審査の列に並んだ。
 天井を見上げると、大きいばかりでまるでのろまな扇風機が、そよ風とすら呼べない弱々しい風を審査を待つ人へ向けて送っていた。
 床には、間もなく命尽き果てるだろうと思われる大きなゴキブリがヨタヨタと這いつくばっていた。
 風呂桶を高くしたような木製の枠の中にいる白い制服を着た入国審査官は、おれのパスポートをなげやりに見ながらすぐに入国のスタンプを押し、下を向いたままアゴをぷいっ、と横に振った。日本人からすると小バカにされたようにも思えるこの仕草は、インドでは『OKだ』という意味であることを知るのはもう少し後のことだ。

 おざなりな入国審査を終えたおれは、空港ロビーへ向かう通路へと出た…

 『☆※◆✖▼△¥%★ーーーーー!』

 『なんだ!なんだ!』

 おれが通路に出た途端、腰ほどの高さでカギ状に仕切られた木製の柵の向こうから、身を乗り出すようにして大勢の男たちがおれに向かって一斉に叫び出したのだ!

 『☆※◆✖▼△¥%★ーーーーー!』
 
 『☆※◆✖▼△¥%★ーーーーー!』

 男たちの目には、何だか怒りが込められているようにも見えた。

 
 『なんだ!なんだ!おれが何かしたのか!』

 おれは大いに怯んでしまった。

 『☆※◆✖▼△ TAXI ¥%★ーーーーー!』

 ん?

 『Taxi、タクシー?』

 確かにそう聞こえた。そうか、こいつらはみんなタクシードライバーなのだ。今着いたばかりの日本人観光客であるおれを見つけ、『オレのタクシーに乗れ!』と、そう叫んでいるのだ。下から何かを掬い上げるように、勢いのついた手招きをしているやつもいる。
 おれは少し落ち着きを取り戻した。まだ両替も済んでいないのにタクシーなんか乗れるわけがないだろう…、まず両替が先だ。

『☆※◆✖▼△ TAXI ¥%★ーーーーー!』

 おれは男たちの怒鳴り声のような大声を後ろに聞きながら空港ロビーへと向かった。
 両替カウンターはすぐに見つかった。カウンターの上にテレビモニターのようなものが取り付けられていた。そこには

 『Welcome to Calcutta』

とだけ書かれた文字が、モノクロ画面の中で今にも消え入りそうに小刻みに震えながら浮かんでいた。歓迎されているようには思えない…

 さて、いくら両替するか。大金を持ち歩くわけには当然いかない。一週間程度過ごせる金、インドのホテルはピンからキリまであるが、トイレやシャワーが共同、簡易ベッドだけの大部屋のようなところなら日本円で一泊25円くらいからある。だがこの時おれはもう泊まるホテルは決めていた。一泊70ルピー、日本円で350円程度だ。飯に関しては、地球の歩き方を見る限り、一食50円も出せば普通に食えるようだ。3食150円+宿代350円、500円で一日が過ごせる。一週間なら3500円、少し多めに5000円、1ルピー約5円だから1000ルピー、何かあった時のために倍の2000ルピーも持っていれば十分だろう。街にはたくさんの物乞いの人たちがいるのは間違いのないことだから、おれは念のため少し小銭を多めに、米ドルのトラベラーズチェックをインドルピーに替えた。

 さて、市街まではタクシーを使わなければ仕方ない。バスもあるのだろうが、不慣れな地で、どこ行きのバスに乗り、どこで降り、そこから地図を見ながら目的のホテルまで行くというのは、この時のおれには少し難しいことだった。しかし、タクシーで行くといっても、インドでは正規料金でタクシーに乗れたらラッキーだと本には書いてある。おれを獲物でも見るような目で睨みながら大声を出しているあの大勢の男たちの中から、ボッタクリなんかしなさそうなやつを選ぶ、というのもハードルの高いことのように思えた。
 ふと両替カウンターの横に目をやると、『Taxi Booking』と書かれた紙を貼った机に、一人の男が座っているのが見えた。

 おお! ここでタクシーを予約できるのか! 公的な場所でタクシーを予約できるのであればボッタクられる心配もないだろう、ありがたいことだ。


 さてここで、日記を3日ばかり過去に戻す。おれがこのカルカッタへ来る前に、トランジットで立ち寄ったダッカでのできごとを話しておかなければならない。
 おれが週に1便だけ成田から飛んでいたBiman・Bangladesh航空の飛行機に乗り、ダッカに到着したのは現地時刻で午後の10時頃であった。その便に乗っていた日本人は、途中経由したシンガポールやバンコクでほとんど降りており、ダッカまで来たのは10人にも満たなかった。そこからヒマラヤ観光のためにカトマンドゥへ向かう人と、カルカッタへ向かう人がさらに別れた。
 トランジットの手続きにはひどく時間がかかった。日本人全員のパスポートを預かったまま、カウンターの男は、乗客名簿か何かなのだろうか、分厚い紙の資料をゆっくりめくりながら作業をしていた。
 野良猫も走り回るトランジットカウンターの前で、おれたちは結局4時間も待たされ、ようやくホテルへ向かう送迎バス、扉も閉まらない、今にも分解しそうなオンボロバス、に乗ったのは午前2時を回っていた。
 

 バスの出発前、おれが座った座席の窓を、誰かが外からコンコン、と叩いた。
 窓に目を向け、おれは大いに驚いた。
 そこに立ち、おれを見上げていたのは、年端もいかぬうつろな目をした少年だったのだ。
 こんな夜中になぜ少年が!おれは反射的に、思わず窓を開けた。

 『Money…、』

 うつろな目のまま、少年は手を差し出した。

 この先、インドを旅していれば、こうして『Money…、』と手を差し出されることは何度もあるだろう、と覚悟はしていたが、この時は完全に不意をつかれてしまった。心の準備が全くできていなかったのだ。この夜中に、こんな少年が、想像すらしいていなかったのだ。どうしていいのかわからなかったおれは、心を相当にざわつかせながらも、無視を決め込むしかなかったのだった。

 同じ便でやって来た日本人で、カルカッタ組の中に、K君というおれより2つ下の青年がいた。K君はさわやかな顔立ちで、明るくとても元気な青年だった。
 
『おれ、海外旅行初めてなんですよ! でも中学しか出てないから英語なんてさっぱりわからないっす!でぃすいずあぺん、くらいしかほんと、わからないっす!』

 K君はそう言って陽気に笑った。
 当時、初めての海外一人旅でインドを選ぶやつもあまりいなかったが、K君がおれを驚かせたのはそのことではない。
 インドという国は、アジア大陸から突き出た巨大な半島である。



 カルカッタはその半島の東側の付け根付近に位置している。K君は、なんとこの付け根から半島最南端の町、カーニャクマリまでおよそ2300キロ、これを自転車で走破するために来た、と言うのだ。
 

 初めての海外がインド!
 英語もさっぱりわからない、と言いながら、2300キロもの距離を自転車で!
 
 自転車で、となれば、当然ガイドブックなどには出ていない街や道を走ることになるだろう…、不安はないのか

 『何とかなりますよ!』

 そう言ってK君はやはり陽気に笑う。
 
 ダッカでの2日目、おれはK君と共に街へ出てみた。すさまじい喧騒と混沌におれたちはかなりの衝撃を受けた。『何とかなりますよ!』と言っていたK君が、ホテルへ帰ると不安そうにおれに言った。
『カルカッタって、ここよりもっとすごいらしいですよね、小平次さん、海外一人旅、初めてじゃないって言ってましたよね? おれ、なんか不安になっちゃって、良ければなんスけど、慣れるまでの間、一週間くらいでいいんで、一緒に行動してくれませんか?』
 海外一人旅と言っても、おれが行ったのはヨーロッパ、あまりに勝手が違う。それに、3年間の社会人生活で、冒険心などすっかり失い臆病になっていたおれにとっても、その提案はありがたいことだった。
 だが一つだけ問題があった。おれとK君のカルカッタへの便が違うのだ。先にK君が出発、数時間遅れでおれが出発、どこで落ち合うか…。空港で待っていてくれるのが一番良いのだが、カルカッタの空港がどんな造りで何があるのかもわからない、待ち合わせるにも空港のどこですれば良いのかわからない、今思えばいくつか空港で待ち合わせる方法もあったのだが、その時は思いつかない。結局、地球の歩き方に出ていたホテル、一泊70ルピー、Sホテルで落ち合うことに決めたのだった。

 『Taxi Booking』

 の机の前で、おれは地球の歩き方に出ているSホテル付近の地図を食い入るように見つめ、どこで降りるのが良いか、慎重に慎重に考えてから、予約所の男に行き先を告げた。

 『Indian museum まで!』



************************************ つづく


※注Calcutta(カルカッタ) → 現Kolkata(コルカタ) 記事は20数年前のできごとです。また、画像はイメージです


 
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インド放浪 本能の空腹① 『カルカッタへやって来た!』

2019-10-29 | インド放浪 本能の空腹



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こんにちは

小野派一刀流免許皆伝小平次です

小平次は20ン年前、一人インドを放浪したことがあります

放浪と言うと大げさですが、要は特に目的もなく、行きたい観光地があるわけでもなく、ただ行きたい、行き当たりばったりで旅をしたい、そんな感じでした

その時に日記をつけておりまして、いつかその日記を人に読んでもらっても良いようにまとめてみよう、そう思っていたのですが、随分と時が流れてしまいました

で、今回から新カテゴリー『インド放浪 本能の空腹』を設けて綴ってまいりたいと思います

もちろん何事もない日も多数ありましたので、印象的だったできごとを、できるだけ日記に忠実に、とは言ってもそのままじゃとても文章がおかしいので、少しまとめながら、それでも日記の感じを残しつつ、今の想いなども少し加えお送りできたらと思います

あ、写真はですね、あんまり撮らなかった、というより撮る気にもなれなかったこともあり、ほとんど残っておりませんので、借り物の画像であしからず


では、第1回

『カルカッタへやって来た!』

******************************

 おれがカルカッタダムダム空港に降り立ったときには、すでに日が暮れかけていた。
 これだけは避けたかったのだ。3年間忙しく働いて、それなりにお金も貯まっていたのだから、何も一番安い航空券で来る必要なんてなかったのに…。へんなところをケチったせいで、入国審査などを受けていたら辺りはすっかり暗くなってしまうだろう。

 初めての国、インド! 本当ならば明るい内に街へ着いていたかったのだ…。だがもうあとの祭りだ。

 空港はさびれていた。
 少なくともそういう風に見えた。
 一応は1000万人もの人が住む大都市カルカッタ、その大都市にある国際空港、自分の常識では、どんなに貧しい国でも、玄関口となる国際空港ぐらいは綺麗だろう…。そう信じていた。ましてインドは貧富の差こそあれ、貧しい国でもなかろう、だがそれは、おれのちっぽけなちっぽけな常識だった。現にここへ来る前にトランジットで立ち寄ったダッカでは、空港内に野良猫が走り回ってさえいたのだから……。
 
 滑走路のアスファルトのヒビから雑草が生えている…、ような気がした。さすがに実際には滑走路に雑草などはなかったのであろうが、あった方がこの空港には良く似合う気がした。
 空港ビルの屋上に『 C・A・L・C・U・T・T・A 』と一文字ずつのネオン看板が立っていた。真ん中の『 C 』一文字だけ電気が消えている。日本であればあんなものはすぐに修理されるであろうに…

 ああ、おれは本当にインドへやって来たのだ!。

 などとワクワクするような感慨深い気持ちなど全くなかった。むしろ、何でおれはインドなんかに来たんだろう…。トランジットで立ち寄ったダッカ…、混沌の極みのような街に、おれはすでに相当な衝撃を受けていた。カルカッタはそのダッカをさらに上回る喧騒と混沌の街だ、と聞いていた。
 初めてのインドで、カルカッタから入ると、あまりの衝撃にホテルから一歩も外へ出られなかった、そんな日本人もいるらしいとか、『地球の歩き方』にすら初めてインドへ行く場合、ニューデリーから入り、少しずつインドに慣れた方が良い、などと書かれている始末だ。何にせよ、ダッカでの衝撃がとにかくおれを不安にさせていたのは間違いない。



 ワクワクしていないのはそれだけが理由ではない。
 大学3年の春休み、おれはスペインを中心に、一人ヨーロッパの旅をした。バルセロナ、刺激的な街だった。来年、就職をすればこんなにも自由気ままに海外を旅するなんてきっとできなくなるんだろう…、そう思うと悲しくなった。いっそ就職なんかするのは止しにしようか…、バイトして、金が貯まったら旅に出る、せめて20代のうちはそんな感じで生きちゃだめかな、そんな風に考えていたこともあった。
 だが、大学4年の時、2時間以上も時間をかけて受けさせられた就職適正検査、その結果、おれは『社会不適応型』との診断を受けた。

 社会不適応型!
 
 そんなことあるはずがない!

 『空想の中に友達がいる』

 という質問に『はい』と答えたことがいけなかったのだろうか…。 音楽なんかやっているからこんな結果になったのだろうか…、いずれにしてもそれを簡単に受け入れるわけにはいかない、こんなおれでもいつかは好きな女と結婚し、家庭だって持ちたい、そうであれば社会不適応型、なんてわけにはいかないのだ。
 それでもあのスペインのバルセロナよりももっと刺激的な国を、街を、期限も目的地も決めずに旅をしてみたい…、あと1回でいい、そんな自由気ままな旅をさせてもらえたら素直に仕事を持ち働こう、そう考えたおれは、ある決め事をした。

『3年会社勤めをしてみよう、3年勤められたなら、社会不適応ということもあるまい… それができたら旅に出よう、どこがいい?、スペイン以上に刺激的な国、どこだ?、きっとそれが、下手をすれば人生最後の放浪の旅、になるだろう、これ以上ない刺激的な国…』

 インド!

 そうだインドだ!3年無事に会社勤めができたなら、インドへ行こう!
 自由に!気ままに!

 そうしておれは卒業後、ある会社に就職をした。
 厳しい会社だった。
 入社早々、気の荒い上司に胸ぐらをつかまれ怒鳴り散らされたりもした。
 だが、続けている内に仕事が面白くなってきた。やりがいも感じた。1年もすると、おれの胸ぐらをつかんだ上司からも信頼されるようになっていた。上司、先輩、同僚、みなと共に目標に向かって邁進するのが心地よかった。結婚をしたい、そう思える女性とも巡り会ってしまった。

 3年目を迎えたころには、もう、インドなんか行かなくてもいいんじゃないか…、そんな思いがおれの中で少しずつ支配的になって行った。だが、大学卒業後、事あるごとにおれは、会社の同僚やバンドのメンバーなどに『おれは3年働いたらインドを放浪するのだ』、と吹聴してきた。そんなおれを応援してくれる人も少なからずいた。

 今さら…
 
 後へは引けない…

 行かなくてもいいという気持ちが8割、それでも行かなくてはならない、という強迫観念にも似た気持ちが2割、くらいだったろう…。

 おれは『インド放浪』などという、少し冒険じみた行動に対し、すっかり臆病になっていたのだ。

 だから、ダッカで受けた衝撃を引きずったまま空港に降り立ち、夕暮れ時の『 C 』の文字の消えたネオン看板を見上げて

 なんでおれはインドなんかに来たんだろう…

 と大きくため息をついたのだ。


 ****************************  つづく



 
 ※注Calcutta(カルカッタ) → 現Kolkata(コルカタ) 記事は20数年前のできごとです。また、画像はイメージです
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