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春が来た

極秘潜水空母・「伊400型潜水艦」&搭載機「晴嵐」

2011年11月25日 | 戦争
「戦争は発明の母」と言われるが、航空機を潜水艦に搭載するというアイデアは古くからあり、第一次世界大戦後も各国で実用化が試みられたが実現できなかった。 ところが第二次世界大戦の末期、日本海軍は攻撃機3機を搭載する「潜水空母」とも言うべき空前の大型潜水艦建造を、最高機密のもと決定する。 これが史上類を見ない潜水空母「伊400型潜水艦」で、全長122m、全幅12m、水中排水量6千500トンは駆逐艦に匹敵する。 注目すべきは驚くべき航続距離、14ノットで7万km、地球の直径が4万kmなのでらくに1周半が可能、世界中どこへでも無給油での往復出撃が可能だった。

これに要する燃料の積載量も膨大なもので、重油1750トンを内郭外と内郭内に各々3/4,4/1とに分けて搭載した。 建造には多くの技術的難問を抱えていた。 それは従来の小型偵察機より重量が3倍もある攻撃機を収容する起倒式クレーン、カタパルト(射出機)、3機の機体を収納する巨大な格納筒と水密扉の開閉装置など、設計製作ともに高度な技術を要するもであった。 さらに極めて大きな船体の機密性、水中旋回力、安定性と操縦性、潜航時間の短縮(秒単位)、復元力、など大型潜水艦の持つ宿命的課題を、戦時下での資材不足の中、技術陣は見事に難問を解決し世界に類を見ない潜水空母を完成させる。

一方搭載する攻撃機「晴嵐」(M6A1)の設計生産は、母艦と同時に開発に着手され1943年11月に試作機が完成。 乗員2、出力1400HP、最大速度474km/h(フロート投棄時560km/h)、航続距離1540km、実用上昇限度9640m、武装:機関銃13・0mm旋回機銃×1/800kg爆弾×1(250kgは4発)、または45cm魚雷×1。 実戦における攻撃時に大型爆弾の場合、フロートを装着しない仕様になっており、攻撃後は母艦近くに着水または落下傘で乗員を収容し機体は放棄した。 また母艦には予備爆弾・魚雷が準備され再出撃も可能、ただし唯一にして最後の出撃時は「特攻」扱いとなっていた。

晴嵐は飛行機格納庫に収めるため、主翼はピン1本を外すと90度回転して後方に、水平尾翼は下方に、垂直尾翼は右横に折りたためる。 また暖機のため加温した潤滑油・冷却水を注入するなどして3分で発進可能、しかしカタパルト発艦にはリスクが伴うため、搭乗員には訓練時一回の発艦につき6円の危険手当が加算された(当時の大卒初任給は60円)。 なお晴嵐は、潜水艦搭載のための折りたたみ構造と高性能を両立させ、また任務によっては世界のあらゆるところでの飛行を可能にするため、ジャイロ・コンパスを装備するなど1機あたりのコストも高く、零戦50機分に相当した。

1945年4月25日、第一潜水戦隊全艦による「パナマ運河夜間攻撃計画」が公表され、晴嵐は全機800kg爆弾を装備した上での特別攻撃隊となる。 しかし戦局の悪化によりパナマ運河攻撃は中止となり、南洋群島ウルシー環礁に在泊中の米機動部隊空母群に目的変更となる。 7月20日伊400と伊401は舞鶴港を出航、8月17日を攻撃予定日として航海を続けていたが、8月16日終戦による作戦中止命令を受け帰港中、米軍に捕獲される。 その後日本の潜水艦技術がソ連に渡ることを恐れた米軍は、2隻をハワイ沖で海没処分したが、水密格納筒の構造は後のミサイル搭載潜水艦の建造に生かされている。   
 


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