カキぴー

春が来た

映画 「戦火の馬」(WAR HORSE)を観てきました

2012年05月15日 | 戦争
「馬は別れるとき本当に泣くんだ」 第2次大戦中,出征先の中国本土で軍馬の世話をしていたという近所の老人から聞いた言葉が耳に残っていたのが、この映画を観ようと思ったキッカケ。 僕の住む街にはシネマ・コンプレックスなる近代施設はなく、古く小さな映画館が幾つか残るブロックで、洋画・邦画など常時7~8本を細々と上映してくれているのを有り難く思っている。 問い合わせると上映は1日1回だけで駐車場はなし、6時50分からの始まりなので犬の運動を早めに終え、途中のコンビニでサンドイッチとカフェオレを買ってからクルマを街中のデパート駐車場に入れた。 そこから暫く歩いて10分前に到着、入場料はシニア割引で1000円、「パンフレットの700円はすこし高いね」と言ってみたがまったく反応なし。

第一次世界大戦で軍用馬として徴用され死んでいった馬の数はイギリス軍だけで100万頭、そのうち帰ってきたのは僅か6万2000頭で、その中の1頭という設定が「戦火の馬」の主役である美しく賢い馬 「ジョーイ」。 戦場で命を落とした馬が多い中、生き抜いた馬にも悲劇が待ち受けており、終戦後イギリス政府の決定として本土に輸送するには費用がかかりすぎることから、馬達はフランスの肉屋に売られていった。 過酷な環境下、もの言わず黙々と働いた馬たちの末路を思うと胸が痛む。 大戦前夜のイギリスの農村、貧しい農家に引き取られたジョーイは、この家の少年アルバートと固い絆で結ばれるが、軍馬として徴用され戦場の最前線に送られる。 死と隣り合わせの極限状態の中、ジョーイは人間たちの良心によって生き延びていく。

原作は1982年にイギリスで出版された同名小説。 1頭の馬の視点から描かれたこの物語はその後25年を経てロンドンで舞台化されると国際的な成功を収め、2011年にはトニー賞演劇部門5部門受賞を受賞する。 この舞台劇と運命的な出逢いをしたのが、「シンドラーのリスト」や「プライベート・ライアン」などの傑作を生み出してきた巨匠「スティーブン・スピルバーグ」。 さっそく映画化の権利を取得すると、脚本・撮影・音楽・編集・衣装など彼の常連の最高スタッフが集められ、イングランド南西部デヴォン州ダートムの農村風景から撮影が始められた。 馬に人間の感情移入を試み、観客に感動を与えるような「馬の演出」は大変なことだろうと思うのだが、長年馬と暮らしていると、彼らの表情を読み取ることがいかに容易なことか分かるとスピルバーグは言う。

幸い優れた調教師のボビー・ロヴグレン以下、馬を知り尽くしたプロのスタッフを得て馬の演技は素晴らしかったが、驚くことは動物愛護団体の代表としてバーバラ・カーを撮影に参加させ、馬が苦痛を感じたり嫌がっているとき、即座に撮影を中止させる権利を彼女に与えていたこと。 この映画では14頭もの馬が仔馬から大人になるまでのジョーイを演じているが、馬のメイクアップ・スーパーバイザーがジョーイ独特の外見になるようメイクを施したという。 ところで映画は良く仕上がっておりキャスティングも申し分ないのだが、2時間半の上映時間を若干長く感じるのは、あまりに多くのエピソードを詰め込みすぎて感動の山場が見い出せないのと、ストーリーの予想が見事なまでに外れないから。 

しかし第1次世界大戦当時の遺物を見事に再現した「塹壕」、衣装デザイナのチームが歴史的資料をもとに手縫いで創り上げたという騎兵隊の衣装や装備品、潜望鏡付き狙撃銃など、1930年公開でレマルク原作の名画 「西部戦線異状なし」を彷彿とさせられる。 わが国の軍馬は満州事変から太平洋戦争までおよそ300万頭以上が、馬の産地・北海道を始め全国の農家から徴用された。 食べ物も水も少なく厳しい暑さの戦地でよく言うことを聞き、重さ2トンもの野砲を必死に引く生々しい息遣いと、汗にまみれた姿が忘れられないと当時の兵は語る。 熱病、栄養失調や銃弾負傷した馬は行軍中に遺棄されたが、そうした様子が斉藤茂吉編の歌集に残されている・・・・「足をくじき 山に捨てられし 日本軍馬 兵を懐かしみ 歩み寄り来る」。 


<PS・読者の皆様へ。 この度転居いたしましたのを機に、これまでの定期的な更新を変更し「忘れられない程度」の掲載とさせて頂き、少しまとまったものも書いてみたいと思いますのでご了承ください。  cockpit-09  キャプテン・イチロー>         


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