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「前立腺がん」 杉原プロの逝去と、米長永世棋聖の再発

2012年01月20日 | 未分類
プロゴルファーの杉原輝男氏と米長邦雄氏、お二人を結ぶ接点は唯一つだけで、それが「前立腺がん」。 そして杉原氏が昨年暮れの28日この癌の転移により74歳で亡くなられた。  一方米長氏は放射線治療で前立腺がんを克服した翌年、自らの闘病体験を著書 「癌ノート/米長流 前立腺癌への最善手」にまとめて出版されたが、昨年10月のラジオインタヴューで癌が再発したことを明らかにした。 今年1月14日に行われた将棋ソフトとの対局で負けたのも、再発の影響が大きかったと僕は思っている。 こと前立腺がんに関してはお二人の先輩格に当たる僕が自分の辿った闘病の経緯を振り返りながら、両氏の病気に対するスタンスや治療法の違いなどを比較してみると、治療に伴う副作用が及ぼす難しい問題点などが見えてきて興味深い。

杉原プロが癌の宣告を受けたのは1998年で、発病から13年生きられたのだから一般的には諦めがつくのかもしれないが、本来ならもっと生きられたはず。 何故なら氏の癌は比較的初期のもので、その人相(悪性度)も悪くなく回復が期待できたからだ。 担当の医師からは摘出手術か,ホルモン療法で癌の成長を抑制する方法のいずれを選択するか、,家族とも相談するよう求められたが氏の考えは決まっていた。 「最初から手術を受ける気はなかったですね、手術すれば完治する可能性が高い言われても、クラブを握れるまでに3ヶ月かかるということでしたから、それはできんと思いました」 とプロは語っている。 しかしホルモン療法を続けるうちに大きな問題が出始める。 

ホルモン療法を端的に言えば、「薬剤による去勢」(男性ホルモン抑制剤が開発される前は去勢によって癌の進行を止めるのが大勢だった) その結果パワーも筋力も衰え、ドライバーの飛距離も落ちて来るのは必然の結果だった。 杉原プロはゴルフを優先し、ホルモン療法の中止を決断する。 その結果35歳の筋肉といわれるまでに回復したが、医者が猛反対したとおり、癌の進行を示す「PSA」は上昇する。 「がん治療とトーナメントプロの継続」、この難しい選択で下した氏の結論が、あながち間違ってたとは言い切れない。 念願通りプロとしての生活を10年以上も続けることができ、輝かしい成果を挙げることができたからだ。 

一方米原棋聖の発病は2008年。 棋聖独特のジョーキングを交えて明らかにしているところでは、「癌治療と男性機能の両立」に重きを置き治療法を選択している。 性機能障害はホルモン療法に限らず、手術でも放射線でも大なり小なり影響が出るのは前立腺がんの宿命だが、棋聖の癌も初期段階のものでPSAは10ng/ml、悪性度を測るグリーソンスコアの数字は6、しかし癌の範囲が広いので念のため「中リスク」に分類された。 治療は僕と同じ「強度変調放射線治療」に加えて 「高線量率組織内照射」のダブル治療により、PSAはコンマ以下まで低下しその後、男性機能の回復も顕著で治療は成功したかに見えたが・・・。

棋聖は摘出手術をするか、放射線治療をするかで4ヶ月間迷っている。 主治医もセカンドオピニオンも全摘手術を薦める中で自らも情報を集め勉強しながら、最後は絶妙のタイミングで邂逅した先輩の、「とにかく切るなよ!」の一言に背中を押され決断を下している。 しかし治療後3年で再発、やはり手術すべきだったのだろうか?、そんな想いがいま棋聖の胸中を去来しているはず。 然らば手術していれば再発はなかったのか? 僕は否定したい、手術後の再発を幾つも知っているからだ。 とにかくこの病気はまだ分からないことが沢山あり、棋聖の場合まさにもそれに当てはまるように思う。 とは言え棋聖はこれから先10年単位で日常にに支障なく生きられることは確か、新薬の開発が進みホルモン療法の有効期間が飛躍的に延びているのもその理由のひとつ。 あとはこれまで通り憎まれ口をたたきながら歳をとることが長生きの秘訣・・・何故ならいい人から先に亡くなるのが世の常だから。 

  





 

 


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