私がイスラエル入国の玄関口に選んだ、フランクフルト国際空港は、ヨーロッパで、ロンドンのヒースロー空港に次ぎ、2~3番目に大きい国際的なハブ空港。 またベルリンがドイツの政治都市なら、フランクフルトは経済の中心都市で、世界各国の大手銀行が軒を並べる。 しかし市民はそれよりもこの街が、ゲーテを生んだ街として誇りにしている。 またこの都市が発展したのは、多くのユダヤ人を招いたからだといわれ、大きなユダヤ人街(ゲットー)が、現在も存在する。
イスラエルへの出国検査は、かなり厳しいと聞いていたが、まさに期待を裏切らなかった。 下着入れから洗面用具、果ては虎屋の羊羹から剣先するめまで、すべて裸にされてしまった。 1人に要する時間はおよそ10分、しかし皆んな当然のこととして受け止めている、テロの怖さが身に染みているからだろう。 テルアビブ行き ルフトハンザ航空686便(DC10-30)は、ビジネスクラスを含めて満席。 30分遅れ テルアビブに向けて離陸した、 ランチは機内食を断って、日本から持参したバッテラを、ブルゴーニュの白とともに食べる。 4時間後、飛行機はファイナル・アプローチに入る。
1972年5月30日、テルアビブのロッド国際空港(現・ベン・グリオン国際空港)で、日本赤軍による乱射事件が起きた。 これを英語では 「LodAirport Massacre](ロッド空港の虐殺) と呼ばれ、心の傷は当時も残っていた。
実行犯は日本人大学生の3人、チェコスロバキア製のⅤz58自動小銃を乱射し、26人が殺害され、73人が重軽傷を負った。 死者の中にはイスラエルの著名な科学者、アーロン・カツィール教授も含まれている。 犯人の2人は銃撃戦の末に死亡、1人(岡本)は警備隊に取り押さえられた。 当然国際的な非難は高まり、日本赤軍に対し、比較的同情的であった中東諸国も、これを機に距離を置くようになる。 またヨーロッパの各誌は、三島事件以上の衝撃を持って、「ハラキリ」 「ジャブ」 「カミカゼ」 など日本人が異質な人種であるかのような論評をしたといわれる。 忘れてしまいたい事件だが、私は間接的な加害国側の1人として、頭に留めながら入国した。
到着後、空港から車でエルサレムへ直行する。 50分ほどの距離だったが、地中海から内陸部に入った、標高800mの小高い丘の上に位置する。 人口732100人(2007年)で、全国最大の都市。 古代イスラエル・ユダ王国の首都で、エルサレム神殿がかって存在した。イエス・キリストが処刑された地でもあり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、共通の聖地となっている。
ホテルはエルサレム・ヒルトン、ロビーは素晴らしかったが、部屋はお粗末。 夕食は食堂で済ませたが、休息日のためサービスは良くない。 9時過ぎ、室外のプールで1時間ほどゆっくり泳ぐ、背泳ぎで空を見上げると、星や 点滅する飛行機の灯火が美しい。