オリエント急行の終着駅トルコ・イスタンブール。 1883年開通の国際列車は、フランス・パリから当時のコンスタンチノーブルまで、3500kmを81時間41分かけて到着した。 長旅から開放された欧州の上流社会の旅人が旅装を解いたのが、1892年オリエント・エクスプレスの旅行者用に建てられた 「パラパラスホテル」。 このホテルが、長い全館改修工事を終えて、今年の9月1日にグランドオープンする。
ホテルに泊まったゲストで最も有名なのが、トルコ建国の父 故アタテュルク大統領で、使用するのはいつも101号室。 この部屋は博物館として保存されてきたが、改築後もそのまま残され公開される。 他にも歴史上の有名人が多数宿泊している。 マタ・ハリ、クレタ・ガルボ、アーネスト・へミングウエイ、ジャックリーヌ・ケネディー、国王エドワード8世、皇帝フランツ・ジョセフ、マリア・かラスなど。
411号室は、推理作家 「アガサ、クリスティ」の部屋。 彼女は1934年出版の 「オリエント急行の殺人」を、この部屋で執筆した。 411号室は改築後もゲストルームとして、一般に開放されるという。 1926年彼女は彼女はロンドン郊外の田園都市、サニングデールの自宅 「スタイルズ荘」から突然姿を消し、行方不明となる。
これが推理小説の歴史に名を残す大事件、「Agasa Missing]。 事件は11日後にヨークシャー北部のホテルで、別人名義で宿泊していたところを家族に保護され決着する。 何故失踪したのかについては諸説があるが、解明されていない。 彼女は当時珍しかった車を自ら運転して家を出ており、秘書と夫に手紙を残している。 しかし何が書かれていたかは、今もって謎のまま。
東洋のエキゾシズムを取り入れながらも、基本的に古き良きヨーロッパスタイルを残しながら、115年の歴史を刻んできた パラポラスホテル。 アガサ・クリスティが風邪をこじらせ、静養先のイギリス・ウオリングフオードの自宅で亡くなって34年。 この秋、ホテルと411号室がどんな姿で蘇るのか、待たれるところ。
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