カキぴー

春が来た

引き裂かれた「アンネの日記」関連図書、報道で思ったこと。

2014年02月23日 | 日記・エッセイ・コラム
いずれもナチス・ドイツ占領下のパリ。 ユダヤ人一家に起きた悲劇を描いたフランス映画・「サラの鍵」、フランスのアンネ・フランクと呼ばれる女子大学院生が綴った・「エレーヌ・ベールの日記」。 たまたまこの二つを観て読んだ一週間後の2月22日に、都内複数の図書館でタイトルの損壊事件が起きた。 被害数294冊。 すぐさま米ロスアンゼルスに本部を置くユダヤ系人権団体が、日本当局に加害者を特定し、対処するよう求める声明を発表した。

声明で、ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の犠牲になった著者のユダヤ人少女アンネ・フランクが、日本で親しまれていることに理解を示し、事件は「偏見と憎悪に満ちた」一部人間の行為と指摘。 その上で「アンネはホロコーストで犠牲になったユダヤ人の子供150万人の中で、最も知られた代表であり、その記憶を侮辱する組織的計画だ」と述べた。 これに対し菅官房長官も、「極めて恥ずべきこと」と批判した。

ところでユダヤ人と日本を繋ぐ糸といえば、「命のビザ」で知られる杉原千畝(ちうね)の存在。 第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害により隣国ポーランドやヨーロッパ各地から逃れてきた難民の命を救うべく、本国からの命令に反して大量のビザを発給し、およそ6000人の避難民を救った。 海外では杉原を「日本のシンドラー」と呼ぶが、オスカー・シンドラーが虐殺から救ったユダヤ人は1200人。

第二次大戦終結後、ソ連軍に身柄を拘束されてた杉原一家は1947年帰国を許され、厳寒の長旅を経て4月に興安丸で博多に着く。 しかし杉原に対する外務省の対応は厳しく、退職通告書が送付され、6月7日外務省を依願退職。 さらに杉原の消息を尋ねるユダヤ人協会からの問い合わせに対しても、「存在しない」と回答している。 また外務省筋から「杉原はユダヤ人から金をもらってやったんだから金に困らないだろう」と根拠のない噂を流された時も、新聞はそれを否定しなかった。

杉原がイスラエル政府から多くのユダヤ人の命を救出した功績で「ヤド・バシェ厶賞」を受賞したのは、終戦から40年後の1985年で、亡くなる一年前。 そして日本政府による公式の名誉回復がなされたのは、21世紀も間近の2000年10月10日だった。 さて話はユダヤ系人権団体の声明に戻るが、声明文の中でせめて少しでいいから杉原千畝について触れて欲しかった。 そうしたら「遅ればせの受賞」についてのわだかまりも解けただろうにと、残念でならない。