死海を囲む山々の一つに 「マサダ」(ヘブライ語で要塞の意味)がある。 死海からの高さは400m、全周を断崖に囲まれた天然の要塞で、周りは緑の一葉も見えない赤茶けた荒野である。 ユダヤ戦争におけるユダヤ人の集団自決の場所として知られ、2001年ユネスコ世界遺産に登録された。 僕がここを訪れたのは1993年の7月、麓から見上げるその枯れた岩肌は、何者をも寄せ付けない威圧感で迫る。
この要塞は紀元前100年台 大祭司ヨナタンによって築かれ、後にユダヤ国王ヘロデにより改修・強化された。 兵士1万人分の武器、ワイン・脂・小麦粉・ナツメヤシ・木の実・オリーブ油・干し果物などの食料、5万立方m以上の貯水槽を備えていた。 水は年に2~3回やってくる砂漠の鉄砲水を上手く利用した。 マサだの西麓にある2つの乾いた川(ワデイ)にダムを築き、大量の水をせき止め、水路を通して斜面にくり抜かれた12個の洞窟に蓄えられた。 さらにこの水は奴隷や荷役獣によって、山頂の水槽へと運ばれた。
マサだは、BC4年のへロデの死ともに息子に引き継がれたが、間もなく彼の統治はローマの直接支配に取って代わられ、ローマ軍駐屯兵の守る前哨基地となる。 紀元66年ローマに対する公然のユダヤ大反乱が起こり、駐屯兵を降伏させマサダは武装ユダヤ人陣地となる。 紀元70年のエルサレム陥落後、マサダはエルサレム生き残りの人達によるユダヤ人最後の拠点となったのである。
マサダに籠城して3年の紀元73年、ユダヤ人たちは最後の戦いを迎える。 ローマ軍は27mもの攻城塔を西の壁側に運び上げ、破城槌によって城壁に穴を空け夜明けを待っての最終攻撃に備える。 自決を決断した指揮者ベン・ヤエルは、967人全員に呼びかける。 「高潔なる同志たちよ、我々はかってローマ人にも、また神以外のいかなるものにも仕えないと決心した。今こそ我々の決意を行動によって証明するときが来た・・・・」。 ユダヤ教では自ら命を絶つことは許されざる罪、兵士達はまず己の家族を殺し、次に籤で選ばれた10人の兵士が他の兵士を殺し、ベン・ヤイルがその10人を殺し、最後に自決する。 全ての罪を己一人が被ったのである。
ひっそりとしたマサダ山頂の夜明け、朝の静けさはイスラエル装甲部隊の新入兵士達によって破られる。 現代イスラエル国家への忠誠を誓っているのだ。 儀式は、「マサダは二度と落とさせない」という厳かな言葉で締めくくられる。 歴史の中で「キリスト殺し」の罪を背負いながら他教徒からの迫害を受け、第2次世界大戦ではホロコーストの悲劇を乗り越え、さらに4度にわたる中東戦争を勝ち抜き、現代までユダヤ人が滅びることはなかった。 虐げられてきた国民は本当に強い ことを実感しながら、その原点は「マサダ」に起因するように思えてならない。