カキぴー

春が来た

飛行機の進化と戦争

2010年12月29日 | 乗り物
飛行機の発達はめざましいが、その歴史は浅い。 自転車屋をしていたアメリカのライト兄弟が、1903年ノースカロライナ州・キティーホークで飛行機による人類初の有人動力飛行を行ってから、僅か100年余しか経っていない。 12馬力のエンジンを搭載した「ライトフライヤー号」は最大時速48kmで約300mを飛び、滞空時間は59秒だった。 ライト兄弟以後飛行機はより早く、より高く、より遠くへ飛べるよう改良が続けられ、陸上の滑走路だけでなく、海面や軍艦の甲板からも離発着できるようになる。

第一次世界大戦(1914年~18年)で飛行機は最初偵察機として採用された。 敵機と遭遇するとピストルを撃ち合うこともあったようだが、武器も機関銃へと進化しやがて戦闘機が生まれる。 また敵地上空まで飛んでいって爆弾を落とす爆撃機も開発された。 飛行機は第一次世界大戦で大きく進歩し、信頼性も著しく向上する。 骨組みや外板のすべてをアルミニュウム合金(ジュラルミン等)で製作した全金属製の気体が開発され、また高揚力装置(フラップ)も実用化され、離着陸特性が改善される。

第一次世界大戦の敗戦直後にドイツが密かに生産した革新的機体が、「ユンカース・F13」。 胴体・翼とも全金属製で低翼単葉の外観は、当時主流であった複葉羽布張り機体の中にあって際立って新鮮だった。 1937年ドイツは、BMWのエンジンを3発にして性能を向上させた「ユンカース・Ju52」をスペイン内戦に投入し、バスク州の小都市ゲルニカを無差別空爆する。 3時間に投下した爆弾は200トン、殺害された市民1654人、負傷者900人、スペインの画家ピカソがこの惨状を3・5m×7・8mのキャンバスに描いた絵画が 「ゲルニカ」。

第二次世界大戦で飛行機は戦闘の主役となる。 陸上・海上を問わず制空権を握った側が戦いに勝利した。 大西洋では戦争初期に脅威の的となったドイツ潜水艦(Uボート)だが、1943年以降アメリカで大量生産された護衛空母に搭載された飛行機による対潜作戦が始まると形勢は逆転した。 日本が占領していた島々も順次アメリカに奪われると飛行場が整備され、長距離大型爆撃機「B-29」による戦略爆撃は日本の継戦能力を奪った。 そして広島・長崎への原爆投下で日本は終戦を迎える。

戦争末期、僕の住む街の近くでB-29が撃墜された。 話題になったのは、搭乗員が半ズボン姿で、酸素マスクをつけてなかったこと。 つまり現在の旅客機のように与圧室を全面採用し、空調完備だったわけ。 また空気が希薄な高高度を飛ぶためエンジンの性能保持に過給機として排気タービンを採用し、防御放火は全て遠隔操作、さらに火器管制装置の搭載で自動的に弾道計算されるため、敵迎撃機は容易に接近できなかった。 飛行機に限らず戦争は文明の発展に大きく関わってきた、しかしこれから人類はそれを平和利用のみにコントロールできるだろうか? 自らの手で自らを滅ぼすことのないよう願ってやまない。             


タイヤ交換と読書の愉しみ

2010年12月24日 | 小説
1954年に公開されたアメリカ映画 「麗しのサブリナ」で、オードリー・ヘプバーン扮するサブリナはアメリカの富豪のお抱えドライバーの一人娘。 彼女が父親を深く尊敬し誇りにしている理由は、「本が読めるので運転士になった」から。 僕もいま女房の専属運転士を務める老ドライバーだが、待たされる時間が長いほどうれしい。 シートを後ろまでバックさせゆっくり足を伸ばし、ジョニー・ハートマンなんかをBGMにして本を開くのが至福の時間の始まり。

12月初旬の或る日、冬タイヤに交換すべくカー用品店に出向く際に持参した読みかけの本は ロバート・B・パーカー2009年の新作 「プロフェッショナル」。 スペンサーシリーズの第37作で、今回の依頼人は美人弁護士と若く裕福な4人の夫人。 婦人たちはそれぞれゲイリーという男と浮気をして、夫に浮気をばらさればらされたくなければ金を払えと強請られている。 スペンサーはゲイリーの行為を止めるべく活動を開始するが、やがて関係者が殺されはじめ・・・・・・・。

受付を済ませ料金2100円を支払い、作業場の見渡せるカウンターに座って熱いミルクココアを飲みながら本を読んだり、作業を見たりしてると退屈しない。 タイヤの交換は6箇所のピットで行われるが、仕事は標準化され、マニュアルに沿って正確に進められる。 タイヤ装着は手締めにより規定のトルクでナットが締め付けられ、空気圧など最終チェックの後ワックスでタイヤをきれいに磨いてくれるあたりが憎い。 外したノーマルタイヤは、専用のビニール袋に入れ、車に積み込んでくれる。

所要時間待は、待ち時間が60分作業時間は20分で、終わるとマイクの呼び出しがあり車の引渡しを受けるが、作業員からアフターサービス等の説明がある。 ちなみに100km走行後の増し締め点検が無料、空気圧点検は何回でも無料、ホイールバランス調整とパンク修理は1年間に1回無料。 僕の見たところタイヤ交換での利益はトントン、しかしこれが後のオイル交換、タイヤ販売、車検などのビジネスにつながるはず。 かくして後発のニュービジネスが、ガソリンスタンドやカーデーラーの領域を取り込んでビッグビジネスに成長したわけ。

麗しのサブリナにしても、プロフェッショナルにしても、その会話と台詞回しが現実の世界では聞くことのできない知的な洒落たもので、大いに刺激を受ける。 サブリナはレディーとしてのすべてを学ぶため、パリで3年の修行を終え、見間違えるほど洗練されて帰ってくる。 後に夫となる富豪の跡継ぎで長男のライナスがサブリナに聞く、「パリは君に何を教えてくれた?」 彼女は誇らしげに答える 「二つのことよ! 欲望を育てることと適当に抑えること」。 


キスの効用

2010年12月19日 | 健康・病気
フルブライト留学生として米国を訪れ、その後ウオール街を中心に活躍し、野村證券副社長まで上り詰めた 寺沢芳男氏。 ニューヨークでのビジネスマンの活躍を描いた著書 「ウオール・ストリート日記」の中で、彼らが基本的なエチケットとして自分の 「口臭」に対してどれほどの神経を配リ、涙ぐましい努力をしてるかを克明に紹介している。 十数年前にこれを読んで、我々日本人はどうだろうか?口臭にどれほどの関心を払い、そのケアーに努力しているだろうかと、かなりのショックを受けたのを思い出す。

それを機に実行してることがある、3ヶ月に1度は歯科クリニックに行くことと、1日4回は電動ハブラシを使って歯を磨くことの2つ。 スリーマンス・チェックの利点は歯垢の除去と研磨だけでなく、歯周病の目安となる「歯周ポケット」の深さも計測してくれるのと、噛み減った歯の定期的メンテナンス。 つまり口臭の予防は「口腔ケア」にもつながるし、ケアを専門とする歯科衛生士の女性はおしなべて美女が多く、口臭要因の一つといわれる舌苔(ぜつたい)の除去などについても親切に指導してくれる。

「8020運動」(はちまるにいまる) をご存知だろうか、満80歳で20本以上の歯を残そうとする運動、20本以上の歯を持つ高齢者はそれ未満の人に比べ、活動的で長命な人が多い。 2005年に行われた実態調査では、80歳での残存歯数は平均10本、80~84歳で20本以上の残存歯を持つ人は21パーセント。 さらに歯周ポケット4mm以上の深刻な状態の人が、50才台で約半数にも達しており、高齢者の歯周疾患患者の増加は深刻だ。 

新聞の死亡欄で死因のベスト5以内に入ってくるのが 「肺炎」。 癌であろうと脳梗塞であろうと、寝たきり患者の口の中は極めて衛生状態がよくない。 ましてや口から食べられない場合唾液による洗浄能力が低下しており、雑菌が気道から肺に入るのが肺炎の原因。 噛む回数の多い人や硬い物を噛むは人は唾液量も多い、唾液の分泌は口の中を清潔に保つ上に不可欠で、僕は起床してすぐガムを噛むようにしている。 また玄米をよく噛んで食べるのも唾液の分泌を促すため。

ニューヨーカーが口臭を気にかける理由だが、親しい相手に対して頬を合わせたり、軽いキスを交わす習慣が口腔衛生の向上に貢献しているのではないか?これが寺沢氏の見解。 確かにどんな美男美女でも、どんなにお洒落をしてても、口が臭かったら取り返しがつかない程のイメージダウン。 そして誰しも予期せぬ出会いがあり、キスしたりされたりする可能性が皆無とは考えないほうがいい。 万が一に備え、お口のお洒落を忘れずにいたいものだ。   


騙されてみる

2010年12月14日 | 日記・エッセイ・コラム
「騙す」、「騙される」、この行為は人類が誕生してからこれまで絶えることなく繰り返され、悲喜こもごも沢山のドラマを生んできたはず。 騙すという行為は一般的にかなり手の込んだ頭脳作業で、頭のいい奴が加害者と思われがちだが、必ずしもそうとは限らず、その逆もありうるから世の中は面白い。 こと男と女に関して言えば、これまで女が騙されるのは悲劇で、男が騙されるのは喜劇と思い込んでいたが、最近ではこれも逆転してきたことに時代の流れを感ずる。

嘘にいい嘘と悪い嘘があるように、なんとも微笑ましい庶民の哀歓を描いた騙し合いが、オー・ヘンリーの短編 「桃源郷の短期滞在客」。 100年も前に書かれたこの本の舞台となった桃源郷とは、ニューヨーク・ブロードウエーにあった格式あるホテル。 そこは奥行きが深く木々が生い茂っていて涼しい、砂漠のような真夏のマンハッタンではまさにオアシス、部屋はひんやりとした肌触りの黒いオーク材で仕上げられている。       

7月になるとめっきり客足の減ったある日の夕暮れ時、都会のホテルで静かにバカンスを楽しむのに相応しい、妙齢の女性がフロントに現れる。 差し出した名刺によれば 「マダム・エロイーズ・ダーシー・モーボン」。 その数日後青年実業家が宿泊し、二人は言葉を交わすようになる。 自分たちが属してる社会のゴージャスな環境や生活、高い社会的地位や名声について語る。 バカンスの終盤にきて彼女は身分を明かす、実は1週間のセレブな休日を楽しむため1年間貯金をしてホテルにステイしているデパートガールであることを。 すると青年も告白する、自分は雑貨屋の集金係で、優雅な休日を過ごしたいとお金を貯めてきたことを。 正体を明かした彼は、最後に彼女をコニーアイランドに誘う。 因みにそこは当時庶民が手軽に遊べるスポット・・・。

先日仙台で出版社の社長と昼食を約束し、デパートの玄関奥で待ち合わせした。 先に着いた僕が椅子に座って携帯電話を見てると、品のよさそうなお婆ちゃんが隣に座り、自分の携帯に写った花を僕に見せ盛んに説明する。 最初は聞くふりをしてたが煩わしくなり無視してると、自分は病院に来ての帰りで財布を忘れてきたが、どうしても地下の売り場でパンを買って帰りたいのだという。 病院の診察券を見せたり、バスの定期券を見せたりする。

何となく騙されてみたいような気が起き、幾ら欲しいのか訊ねると1000円でいいと言うので渡すと、振込みで返すから口座番号を教えてくれと言う。 キャッシュカードを示すと手帳にメモし、礼を言って立ち去った。 途中から成り行きを見ていた社長がニヤニヤしながら 「ああして一日何人ぐらい騙せるんですかねえー」と感心している。 最初から思い返してみると確かにストーリーが出来すぎている、でも面白かった。   2日ほどして外出先から帰宅すると女房が、仙台の女性から電話があり、借りたお金を振り込んだとの伝言と、礼を言われたとの報告。 「幾ら貸したんですか?」 と聞かれ、「金額は聞くな」と答えた。 


「cockpit-09」アクセス1万回を迎えて

2010年12月09日 | ブログ
昨年末からスタートしたブログのアクセス数が、11月末で1万回を超えた。 この国のブログ利用者数が2539万人にも及ぶ中で,1万回がどれほどの数なのか僕には分からないが、ブログを書く者にとって読んでくれる人が増えることは大きな励み。 でも残念ながらコメントの数はまだ極く少ないのが現状。 しかし返信の無いラブレターも立派な恋文の内、と開き直りこれまで一方通行のブログを更新してきた。

ブログの基礎知識をまったく持たなかった僕は、読者のほとんどが知人や限られた人だけで、しかも読み終えたものは二度と陽の目を見ることはないと思い込んでいた。 ところが「アクセス解析」することを覚えてから、想像もしてなかった「検索」の世界を通じて、過去のブログが何度も読まれていることを知り、驚きと感動を覚えるとともに、不特定多数の読者に自分の文章がさらされていることに、緊張と怖れすら覚える。

さらに毎日膨大な数で生み出されるブログを、検索大手のヤフーやグーグルはどんな仕組みで分類・整理し、世界中の読者に提供してるのだろうか?。 僕のブログが英訳されてるものも幾つか目にしたが、瞬時に自動翻訳されるのだろうか、本当に外国の読者にも読まれているのだろうか、そんな疑問や心配もいずれ解明してみたい。 また検索のトップページに自分のブログが載るようになり、その数が増えてくるとやはりうれしい。 かといって興味を引くものだけに偏るのはどうしたものだろうか。

朝日新聞の「天声人語」を13年間執筆してきた辰濃和夫氏が、著書「文章のみがき方」で幾つか基本的な要件を挙げている。 その中で僕が肝に命じている項目は、 *毎日書く *書きたいことを書く *異質なものを結びつける *単純・簡素に書く *正確に書く *抑える *書き直す 文末に気を配る *思いの深さを大切にする 等々。 とくに 「毎日書く」 ことの大切さは実感として分かる。 休んだ後の文章は手直しが多くなるし、文章が軌道に乗るまで休んだ時間の倍ぐらいを要するからだ。

また書き続けることの成果が文章にはっきり表れることも教えられた。 1000字~1200字ぐらいの文章を5つに区切るスタイルがようやく定着してきたし、「異質なものを結びつけながら」「文末に気を配る」 ことが、少しずつだが実現してきてるように感ずる。 これからの夢もある、文章に関連する写真や挿絵を添えて一冊の本にまとめてみたい。 そしてこの本をデートの話題に使ってもらったり、映画を観たリ本を読むきっかけになってくれれば嬉しい。  さて、いつも頭に宿る辰濃氏のアドヴァイスがある。 「渾身の気合で書く、そして肩の力を抜いて書く、この二つをどう融合させるか。 矛盾するようで、決して矛盾するものではありません」 

  


「モガンボ」&「フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯」

2010年12月04日 | 映画・小説
アフリカ植民地時代に行われていた狩猟の旅は贅沢なもので、延々1ヶ月以上にも及んだ。 テント、簡易ベッド、生活用品、食料、酒類、医薬品、通信設備まで日常生活に必要なありとあらゆる装備と、多くの原住民を何台かのトラックに乗せ、ジープを連ねた車列を組んでの長旅。 多額の費用と日数をかけた計画を成功させるには、経験豊富な優れたハンティング・ガイド(職業狩猟家)が不可欠。 高給で雇われるガイドは都会には存在しないタイプの男性で、同行する女性から見ると極めて魅力的に映ったようだ。

1953年公開のアメリカ映画 「モガンボ」(スワヒリ語で愛の意味)は、英領アフリカの猛獣狩りを背景に、ハンティング・ガイドと二人の女性をめぐる三角関係を描いた辛口のラブストリー。 監督は巨匠ジョン・フォード、ガイド・マースウエルを演ずるのはクラーク・ゲーブル、インドの王様の狩猟隊に加わるためにやってきた紐育のショーガール・ケリィがエヴァ・ガードナー、そしてゴリラの生態を撮影にきた英国の動物学者の妻リンダがグレース・ケリーといった豪華な顔ぶれ。

狩猟に同行する二人の美女はマースウエルに強く魅せられてしまう。 ある日リンダは一命をマースウエルに救われ、その帰途激しい嵐に逢い二人の心は深く結ばれる。 しかし彼女の夫は妻の変化に気ずかず彼女を心から愛している。 その辺の事情を知ってるマースウエルは悩む。 そんな彼を慰めにケリィがテントを訪れ、一緒に酒を飲んでるところに現れタリンだは、嫉妬に燃え拳銃でマースウエルを撃つ・・・・・・。 

この映画の背景や人物、雰囲気が何かに似ている・・・・・マースウエルとヘミングウエイとがダブってきたところで、へミングウエイの短編 「フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯」に辿り着いた。 アメリカ人の金持ちマカンバーは、狩をするため妻を伴ってアフリカを訪れる。 妻のマーゴットは、男としての物足りなさを夫に感じながら主導権をとってきた。 しかし ライオンを前に恐怖心から逃げ出す夫に愛想を尽かし、狩猟ガイドのウイルソンとの浮気で気を紛らわす。 一方マカンバーは狩の間に恐怖心を克服する。 妻は「一人前の男」になった夫に言い知れぬ恐れを抱く。 そしてある日、夫は水牛に立ち向かうが急所を外し逆に襲われ、ウイルソンとマーゴットは同時に銃を放つ。 妻が撃ち抜いたのは水牛ではなく、夫の頭だった。 それは錯誤か故意か?

アフリカを題材とした小説で、映画化された作品をさらに二つ思い出した。 へミングウエイの「キリマンジャロの雪」とアイザック・ディネーセンの「アフリカの日々」(映画・愛と哀しみの果て)。 過ぎ去った良き時代のアフリカには、今なお人を惹きつけてやまない何かがある。