自衛隊は拒否力として作用し、更に拒否的抑止力を見込んでいますよね。抑止力も抵抗力・拒否力も、その根底は強制力ですよ。つまり自衛隊の目的と、その行動そのものは『物理的強制力』です。
物理的強制力とは、つまり【暴力】。それに合法性を与え【実力】足らしめているのは【民意・民選の国会】ですよね。
自衛官の一人一人は命を賭して任務に当たるのだから当然として感謝は必要ですが、しかし、自衛隊と言う組織は、つまり対暴力的暴力を担保しているのでしょう。そうである以上、市民がコントロールするべきものであって、その表現においてタブー視しては駄目です。
「単なる物理的強制力とは、結局として暴力と同じなんだから確りとしたシビリアン・コントロールが必要だ。」これって結論でしょう。
「敬意を払うべきだ。」「強力な武器を持つべきだ。」「自衛の範囲を広げるべきだ。」なんて声は聞こえて来るけど、そのコントロールに関しては疎かになっている印象だよね。右派系の評論家からして、その論調だもの日本は必要な水準に達していないんだろうなぁ。それで普通の国になろうなんて危険ですよ。
本来は危機管理も含めて暴力、また対暴力的暴力に対するコントロールが先で、それが十分にできることが前提での拡張でしょう。でも、元〇〇の自称プロフェッショナルの政治家でさえ、一番重要な部分に関して深く考えず、非難したいが先に立って凡ミスをするのが今の日本です。
左派が強かった頃に揶揄として使われ、右派が、それをいつまでも根に持っているから話しが深まらないんだよなぁ・・・。
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