tontonjyoのブログ

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9条護憲

2010-11-25 05:20:15 | 日記


俺は低学歴なので〇〇学と言われると、なんとも難しいが、それでも自分なりの見解を示せば、今の俺は9条護憲と言うか、自衛隊ですらもてあます日本が、その縛りを解いた時に上手く扱えると思えないんだよね。「まず、やってみよう。やって駄目なら戻せば良い。」と言えないのが軍事力でしょう。


例え拒否的抑止力であっても、それは強制力ですよ。自衛隊の目的とは物理的強制力に他ならないじゃないですか。

政治上は合法性のある物理的強制力を実力と言うでしょう。合法性のない物理的強制力は暴力ですよね。自衛隊を実力足らしめているのは他ならぬ、民意・民選の国会でしょう。自衛隊の目的と活動そのものは物理的強制力なのだから暴力と同じものですよね。

軍隊とは、その行動に国家的、また国際的な合法性・正当性が伴なわないと実力とは言えない。暴力装置とは、つまり物理的強制力を実力足らしめる構造体じゃないですか。軍隊、そのものは暴力装置ではないですよね

更に言えば民意・民選に基づかない権力体が軍隊を掌握する、また国家を掌握する権力体そものが軍隊である場合、市民のある行動が権力体の維持に反するとして、その矛先を市民に向ける可能制すら出て来るでしょう。だからこそ、権力は市民に由来するべきで、その選出を前提に、より普遍妥当性に近い権力体への暴力の集中と制御が必要になるんじゃないですか。

しかし、実質論を言えば対暴力的暴力を認める上において、その制御については、時間的制約、合理性、また専門性の問題上、ある程度、現場の司令官の判断に任せざるを得なくなるでしょう。つまりシビリアンコントロールは隅々までは行き渡らない。だからこその問題が起きる。

結局、軍隊に対して民意・民選の国会に由来する最高司令官が与える方向性が重要なんですよ。「如何にしても敵を潰せ。」となると、例えば民間に対する誤射・誤爆・過剰防衛などをコラテラルダメージとして処理して必要犠牲と称する不必要犠牲が増大するでしょう。

挑発の繰り返しが何れ大規模な武力紛争に至るとするなら、「でき得る限り非暴力で解決するべき。」を貫く平和主義は国家の安全保証の面から言って必要要素です。つまり必要暴力と不必要暴力の差異は確りと見極める必要がありますよね。国民も成長するべきだし、国会議員も成長するべきことが前提になるじゃないですか。

暴力装置と言う言葉が出ただけで、紛糾する国会のままでは駄目でしょう。そこから更に深めないといけない。軍隊の目的とは暴力に等しいのだから、コントロールする必要があるんですからね。

現時点で、まずは自衛隊とは何なのか明らかにして、そして民意・民選の国会による制御系統を明確にする必要がありますよ。更に脅威の実態を明らかにして自衛隊の持つ抑止力とは何か見出す必要があるでしょう。

自衛の範囲と具体的に想定される事態、それに対応し得る作戦と軍備、更に輸送力と展開力を具体的に考察して、何をすれば安全が保証されるのか見出す必要があるはずです。

米軍は報復的抑止力を担っているのは確かですよね。ただ、局地的戦闘に関しては、その内ではない場合がある。それを抑止するのは自衛隊の拒否力ですよ。それは合法性のある物理的強制力です。政治上は実力と言っても、その実は、つまりシビリアン・コントロールを前提にした必要暴力ですよね











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