tontonjyoのブログ

yahooから引っ越して来ました。思ったことを適当に書いています

歩みを阻む壁・・・でも

2010-12-17 03:27:36 | 日記

「チラシの裏に書いとけっ。」って言われそう。政治的な主張っぽいけど俺は単に便所の落書きチックな愚痴を書いているに過ぎなくてさ。まぁ、テレビと話すよりは参加している感が強いからね。ん・・・確かにブロガーの一人ではあるだろうが、その志は極めて低い。義憤だとか、世界を変えたいとか、一切思っちゃいない。気楽なもんです。

でも、世の中には世界を変えたいと本気で思う人もいる。そしてブログやら、ネットを介して思いを発信する訳だ。志が高いよね。本気で尊敬しちゃいますよ。

まぁ、誰だったか言ってたなぁ。「世界を変えたいと思う人の多くは自分の無力さを知ることになる。」・・・。そんなもんでしょうかね。確かに無力感はあるのかもしれないが、でも、自分の意見を発信している人って必ずしも無力とは言えないかも。



ネット議論やらやって来た俺の経験から言わせてもらうとさ。ブログの良い点は、コメントなどによってコミュニケーションが取れることだろうけど、そのコメント蘭は悪い意味でコメンターと揶揄される反論者達が迷惑を顧みず正義顔して住まう世界になってしまうこともあるようです。

コメンターは前提が正義だから性質が悪くて少々の迷惑など意に返さない。そうなってしまうとブログ記事に対する同意者が発言し辛い環境になってしまうみたいね。

同意者が発言し辛い環境になれば、そうね。コメンターに対してブログ主を庇う側に立つと言うか、そう言った人は必然として弁が立つ、論じることに自信がある人が多く発言するようになるもんですよ。それは必ずしも良いことではない。

論じることに自信がある人の多くは自らに酔いながら長文を書く傾向があるでしょう。酔うかのような感情を前提に長文を書けば感情表現などミスる可能性も高くなる。従って長文どうしで論じ合うと本当の意図とは別の方向に行きがちになるもんです。

あくまでも冷静に淡々と主張するのなら別だが、人様のブログで反論コメントする人の多くは感情の高ぶりから行為するものじゃないですか。その感情の高まりは反反論者にも伝播してしまうものだよね。

一度ミスをして言い合いになれば、互いに対する論者の印象は決まってしまう。次の話題で論じるのでも、以前の主張を蒸し返され突付かれる様をよく見かけます。そんなことを繰り返すコメント蘭に同意者が気軽にコメントするなんて難しい話でしょう。これは特定に言えることじゃなくて一般的にそうなんだよなぁ。

でも、ブログ主は悲観する必要はない。自分の思うことを書けば良いだけの話ですよ。何故なら、影響力が強いものほど、その反響も大きくなる訳で、それが例え反論であっても反響があると言うことは間違いなく影響力があると言うことです。

確かに義憤であっても怒りって言うものは、それを向けると相手から怒りが返って来る。そう反論めいた言葉が返って来るものでしょうね。誰だって自己正当化したい、それをしないと負けた気になるからね。

でも、人の価値基準は千差万別で、反感を抱く人がいるなら必ず同意する人もいるもんです。コメントを見て「なんか反論ばっかりだなぁ。」と感じるとするなら、それは簡単な話で、同意者よりも反論者の方が感情の高まりがあり、コメントを書くことの動機が強いってだけの話ですよ。

反響が大きいブログ主は自らに自信を持つべきなんだ。表明はしなくてとも必ず同意者がいるのだから、同意者がいると言うことは世界を変えられると言うことです。






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