tontonjyoのブログ

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普天間問題・・・ジェンガ

2010-11-13 20:28:15 | 日記



どう考えようが良いとは思います。「一つの考え以外は駄目だ。」なんて世界は、そもそもろくなもんじゃないですからね。でも、多分・・・関係国への戦力投射は確保しないと抑止力とか言う以前の問題でしょう。概念論は良いとして否定主体が抑止力の根幹足る戦力投射を如何にして確保するのか明確にしてもらえば考える余地が生まれるんじゃないですか。

SACO合意以降、真剣に向き合って他の戦力投射を確保する道を考えていたのなら今の状況は別の形になっていたかもしれませんよね。何年も前から基地移設反対を唱える有識者はいたようですが、反対派のブレイン足る彼らには結局にして、それをなせるだけの力がなかったんでしょう。

鳩山元総理が問題化してクローズアップされたから幾つか答えは出ているように感じるが、実際は手探り状態だと言うことが解る。米側の新たは発表で先だっての見解を変えざるを得ないのが現状でしょう。抑止力の解釈一つにしても答えを纏められない状態で議論などできるはずもない。

確かに勢力的な要因もあっただろうが、一度は鳩山元総理が問題化したんです。少なくとも県外・国外と言っていた鳩山元総理は後押ししてくれる力を欲していたでしょう。でも米側に反する意見を持つ識者は、結果的に米側を納得させられるだけの論拠を持たなかったと言うことですよね。これは紛れもない事実でしょう。

終わってから都合良く出て来る新たな発見なんて稀じゃないですか。大抵は問題化の際にクローズアップされただけで以前からある言説なんですよね。

抑止力と言うなら「抑止するべき相手がいて相対的に軍備を整え、輸送して展開、作戦を遂行する能力が必要。」と言うこと自体は変わらない訳でしょう。辺野古移設・県内移設を選択肢から除外するのでも早い解決を探るには、「同等の効果を前提に戦力投射と言うカテゴリーにおいて正面からのアプローチを考えるべき。」と言っても大袈裟とは言えないですよね。

全く新たな考え、例えば代替なしの無条件返還を当て嵌めるなら、多くの時間をかけて影響評価・影響予測が必要なんじゃないですか。誰かの言説だけで安心できると言えるものではないでしょう。国家同士の武力があるなら位地する地域に、ある程度のパワーバランスが生まれる。そこで一国に、一定の戦力投射がなくなると言うことは、その地域のパワーバランスが崩ずれると言うことですよね。

抑止力の後退は下手すれば紛争に発展しかねない。大勢を死なせる訳には行かないのだから、慎重になるべきなのは当たり前でしょう。日本には他国を守るような実戦の経験はないのだから、由来する一識者の言説で塗り替えられる類のものではないですよ。安全保証に楽観主義は、あまり適当ではないしね。

抑止力の有無は相手が動くいた時点で判明する。動いたとして相手を押し戻したなら侵略側の力よりも被侵略側の力が上回った、また他の政治的決着のような要素があったと言うこともあるでしょうね。まぁ、それだけの話。抑止力の証明と言う観点から言えば「抑止力にはならなかった。」と言うことでしかない。

何よりも先に考えなければならないのは実際動いたら、相手を抑止しているよりも多くの犠牲を払うことになると言うことじゃないですか。下手すれば人が大勢死ぬんです。特に戦地では非戦闘員、つまり民間人が多く死ぬ。犠牲を出さないために抑止しているんじゃないですか。だから安易には考えられないんですよ。

領有権問題なんて離島を奪われる程度でしょうけど、台湾や北朝鮮は実際に紛争になれば民間人も含め大勢が死ぬ訳でしょう。頭の中だけで考えて一気に引いてタワーを崩せば大勢の人が死ぬことになる。

日本には戦後、戦争の実績はない。これからも武力で他国を助ける気なんて一切ないだろうし、国際秩序なんてどう考えているかすら解らない。それはそれで良いけれども、自前で他国への戦力投射を一切持たない日本だと言うのは変え難き事実でしょうからね。米国が他国を防衛すると言うことに対して日本が代替することは一切できないんです。

米軍再編は、つまり彼らからして今まで戦争を繰り返してきた実績から確りと検証を行い十分に能力を発揮できると言うことでしょう。つまり責任の全てを彼らが持つんですよね。それに反する以上、人の命にも関わる責任がこちら側に来ると言うことになるでしょう。慎重になって当然。

抑止力である以上、見出した答えの見通しが甘く敵性が行動を起こすようなものでは駄目。思弁的に語ることができるだけでなく独自に確りとした実証が伴なう必要がありますよね。それを怠れば多くが死ぬことになるかもしれない、抑止力とはそう言うものでしょう。

良心的な人間が大修正が必要だと言うなら、「少し引いて様子を見る、そこで何もなければ更に引いて様子を見る、それを繰り返して自らの思う状態に持って行くべき。」とするんじゃないですか。人の命がかかっているのだから足すよりも引く方が多くの時間を費やすのは当たり前でしょう。




敵性が動かないと言う状態に対して武力以外の要素も相俟っている場合、重きを武力以外において武力的抑止力に否定的になる人も出て来るでしょう。それはそれで良いんです。でも、そこから一気に目的の何かをなして失敗し多くの犠牲を出す可能性もあるんじゃないですか。机上の空論、やってみたら、できなかったことなんてたくさんあるでしょう。

世の中、良い方に一変すれば、それに越したことはないんだろうけど、そんなことは滅多にない訳でね。力不足で、できなかったことを認めたくないから「抵抗勢力が悪い。」と責任を転嫁しがちだけど、発案側は抵抗勢力を抑えることすら含めての論拠を持つべき。結局なせなかったのなら同じです。

実現可能な案がなければ対外的に敵を設定して国民を煽りたて求心力を得た方が構造が極々単純で、より楽で、更に妥当な方法だよね。さして打ち出す政策もないが国民の支持を得たい、そんな時は多くが踏襲する。ワーワー他を攻撃している分には求心力は失われない。権威主義や民衆迎合はだからこそ怖いんです。

 

 


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