tontonjyoのブログ

yahooから引っ越して来ました。思ったことを適当に書いています

政治思想・・・え?

2011-01-15 05:47:01 | 日記





  はーぁっ。 プロレタリアートの自己解放ってか。ん・・・。古典的社会主義に属している訳なのね。「打倒ブルジョワジーが社会主義の本質。」っって未だに、そうなんだ・・・。もっと革新的な人もいるけどね・・・。

無産階級が、なぜ無産階級足るか、資本家階級が、なぜ資本家階級足るか。なぜ、自由競争が生産を強くするか。この辺を考えれば、ブルジョワジー打倒では問題が解決しないと言うことに帰結すると思うんだけどなぁ。

「竹中平蔵路線がなぜ批判されるか。」、それは簡単で、彼は「知り得た者。」だからさ。例えば日本では正規社員に対する保護が厚く、非正規社員に対する保護が薄いことを知っていた。それが「セーフティーネットまでは手が回らなかった。」と言う言葉に表れている。

日本は自由民主主義ではあるが、そこに福祉主義を付加しているよね。それは何故か、自由主義の行き過ぎが社会的不公正を生み経済的格差を大きくすると言うことを経験的に知っていたからなんじゃないの。そう言うものだとして上手く調整していれば、批判は受けなかったでしょ。



例えば、安い労働力を生み出すために、非正規社員雇用に関する規制を緩めたまでは良かったさ。賛否は確かにあるが彼が言うように何らかの効果はあったでしょう。しかし、そうすれlば経済的格差が大きくなると言うことも同時に解っていたよね。そもそもに正規社員と非正規社員では時間と労働に対して同一賃金ではないのだから。

何をすれば良かったか。当然、非正規社員が賃金的にも立場的にも弱くなるのだから、非正規社員>一般社員>管理職>経営陣と言う形で、より賃金が安いものが雇用面で保証される制度を先に、また同時に構築するべきだったんでしょう。
金が社会的地位を支えているとするなら、より賃金の安い者が雇用の面で守られる制度がないと社会的不公正は是正されないじゃん。

リストラチャリングするなら、経営陣の整理が一番先で、次に管理職、次に一般社員、最後に非正規社員と言う形で行われるような制度にしないと社会的不公正は是正されない。これは経営陣への牽制になるでしょう。
誰でも地位は守りたいからね。

より賃金の安いものが職を維持できる制度が確立されるとするならだよ。その中で経営陣が地位を守るには雇用を維持しつつ良好な経営を行う必要が出て来るじゃん。
更に、企業の良し悪しは経営者の資質による。企業として良好な収入を得るためには、より有能な経営者を残すと言う淘汰が起きるでしょう。つまり、より強い企業ができ上がる。

国家にとって必要なのは、国際競争に勝ち抜く、より強い企業だよね。金食い虫の無能な経営者が残るなら、それは自然淘汰として潰れて行く訳さ。

「それじゃぁ。企業が臆病になって、雇用が促進しない。」、いや、経済は規制緩和で浮揚するのでしょう。当然、労働者の需要が増えるじゃない。そうなれば安い賃金のものから雇用されて行く、「景気が良くならない。」と言う前提なら解るけど、「竹中改革で景気が良くなる。」と言うのなら、臆病も糞も企業は雇用せざるを得なくなるんじゃん。

 

また、別の話をすると、経済再建に安い労働力として賃金格差を利用するのなら、当然、差が下に広がることは解っていたのでしょう。だったら、下に広がった部分を制度的に富の再分配で押し上げれば良かったってことになるんじゃない。今もやってるけど職業訓練制度の拡充と、更に低所得者層に対する給付、また簡易住居をセットにして、ここを今よりも更に徹底的にやらないといけなかったんだろうね。自己実現の前提である選択を保証すると言う意味でね。

「バラ撒き。」、富の再分配がバラ撒きか。人が一人生きるのに最低限を保証する程度の給付と努力による自己実現を保証する程度のことは「バラ撒き。」とは違うでしょう。「貧乏人は選択の幅が狭く、努力する気があっても努力する機会がない。」では社会的不公正は是正されない。

当然、給付を遊興に使われたんじゃたまったもんじゃないので生活実態の確認は必要だなぁ。「働く意欲があるのに仕事がない。」人に対しての保証が前提だね。やる気のない奴は別の制度を構築しないとなぁ。やる気のない人もいるんだろうから、低賃金でも生活できる程度の給与はあって能力を必要としない仕事を確立しないとなぁ。
まぁ、失業率をゼロにする必要はないかぁ。でも見殺しもないだろうからね。ここはバランスが難しい。

財源?。それはさ。竹中改革で税収が上がるのでしょう。最初は借金しても何れは、それを上回る税収が期待できるって話なんじゃん。だったら、その「手が回らなかったセーフティーネット。」だって、最初からやれたんでしょう。


また、別の話をすると、竹中改革で得た富が企業や富裕層の内部に留保と言う形で内部完結したのなら、国全体として景気浮揚感がないのは当たり前さ。

「内部留保の拡大を否定すれば株主がそっぽを向く。」ってか。株主にとっては制度上、国家に保証された企業の方が魅力的なんじゃないの。例えば制度上の改革で企業として収入が増えた分を内部留保に回さず、社員の雇用拡大に回したり、社会福祉に貢献したりした企業に対しては大幅に法人税を引き下げるとかね。より大きな企業が社会福祉に貢献すれば政府として負担が少なくなる訳でしょう。

どうせ下げるなら、「雇用の拡大や社会福祉への貢献。」と言う紐付きで、更に下げ幅を大きくした方が良い。下限を低くすることで、より優良な企業を呼び込み政府の代替をさせる訳だからね。そして、より社会に貢献して法人税が低くなった企業は、政府が大々的に公表すれば良いじゃん。

「社会的責任を果たした企業。」として大々的に公表されれば大きな宣伝になる。つまり、そこには競争が生まれるのだから自然淘汰が起き、より強く、優良な企業が残る。






打倒ブルジョワジーでは駄目なんさ。ブルジュワジーの社会化が、これから求められて行くんだよ。誰でも資本家になれる可能性は積極的自由を標榜することで担保できるでしょう。生まれもった才能と努力が必要だとしても機会があるとするなら、つまり、それは、ある意味でプロレタリアートの自己解放
も否定されたものじゃないじゃん。

また、
「労働者の権利拡大。」だけでは駄目なのさ。社会に属するものの至上命題は良好な社会の運営でしょう。資本家・経営者と労働者は社会を介して繋がっている。社会を良好に運営するためには其々が適正として相互関係のバランスを見極め、自ら要求の過剰を否定して社会的責任を果たすべきなのさ。

非正規社員も一般社員も管理職も経営陣も社会の一部。企業も社会の一部さ。社会を良好に運営するには其々が利己主義を否定して利他主義を肯定する必要があるじゃん。でも、人間には欲望があって、みんな美味しいものを食べたいのは、よく解る
、だから制度が大切。




俺が言いたいことってさ。簡単で「自由主義の社会化が社会自由主義なら、社会主義の自由化は何?」ってことだよね。