tontonjyoのブログ

yahooから引っ越して来ました。思ったことを適当に書いています

平和運動について・・・個人的な考え

2010-10-01 15:39:59 | 日記



中国漁船問題にからむ一連の中国の言動の原因を探る中で「普天間問題などでの日米の亀裂。」を要因の一つと言う人がいる。確かにアメリカが日本の領土問題に一切介入しないと言うことになれば報復的抑止力を担保する能力のない日本における対中抑止力は大きく後退するのでしょう。



政治的リップサービスは別にして、アメリカは沖縄の米海兵隊を必ずしも日本防衛に特化したものではないと最初から示唆しているからね。その中に日本防衛も含まれる余地があると言う程度のものでしょう。

目的は、もしもの時のハブ基地として利用すると言うのが主で、そうするための意志が強く固まっていると言うことではないですか。つまり、アメリカは実質的に「僕は友達だよ。沖縄に基地をおいてよ。おいてくれたら仲良くしてあげるよ。おいてくれないなら絶交だよ。」と言っているに過ぎない。

日本政府側から言うと、政治的配慮は別にして、そもそも米海兵隊に個別の抑止力を期待している訳ではなく、アメリカの放つ総合的な報復的抑止力を見込み、アメリカの要求を是としているのだと思います。政府の分析力が著しく欠けている場合でもない限り、この程度は流石に読み取れる範囲内でしょう。



今の状態で日本政府が普天間基地の海外移設を強行に推し進めるとすれば、それは結局、なんの下準備もない突然の抵抗になりますからね。アメリカの意向を拒否すると言うことは日米の対立に繋がる、そして、それを利用し中国が活発に動けば、それは抑止力の低下を意味する。

覇権的傾向のある中国が活発に動き始めれば当然、日本との衝突が頻繁に起きることになるはずです。今回の中国漁船問題を見れは「日本は、中国と衝突することになっても満足な対処ができる。」とはとても言えない。だから中国を封じるため報復的抑止力と拒否的抑止力の両方が必要だと言うことに帰結する。

日本には拒否的抑止力はある、しかし報復的抑止力はない、それを手に入れるには9条の改正が必要になるのでしょう。しかし、それをなすには長く時間が掛かるのは必至。更に、そもそも国民が認めないと言うことも多いにある。

結局、「やっぱりアメリカの存在は重要だね。一部を犠牲にしてもアメリカとは仲良くしないとね。」と言うことを日本が再確認し今よりも増して従属的にならざるを得なくなると言った可能性もあるのではないでしょうか。もし、その可能性があるなら、それはアメリカも当然として認識しているはずです。



確かに日米の関係はギクシャクしたが、それが本当に今の中国の自信を支える要因の一つなのかは俺には解らない。ただ関連性が全くないとは言えないと思う。もし、本当にアメリカと日本の対立が中国の挑戦的動きを加速させるなら、普天間問題についてもアメリカの納得を引き出す方向性を見出す必要があるのでしょう。

つまり敵性国にアメリカの放つ報復的抑止力が後退したと思わせないと言うこと、ならば言い負かしたいだけで反する説を唱えるのでは駄目なんです。如何な説であれ正当性云々よりも【納得させられるのか】否かが一番重要になるはずです。





ここからが本題。平和運動についてです。普天間基地移設問題についての運動。俺は平和運動自体は必要なものだと思っているんです。でも、それは個々が抱く素朴な思いが前面に出るから意味があると思っている。

素朴な思いなら抑止力がどうのなど、個々が抱く抑止像から妥当性が問われるような、つまり専門的な知識を要し、多元的に有力な説が多々ある、更に定義も曖昧、反論・反証が可能なものを前提に考えるのではなくて、接する人々の素直な思いを多くの人、例えばアメリカ国民にまで伝える作業を行う方が、より妥当だと思う。

抑止力など目に見えない力、事前である以上、推測の粋を出ることはない。対象が行動した時点で無効だったと確認できる程度のもの。つまり幾多の説が存在して当然。

例えば先制的自衛権の行使なども、その類。幾つかの説が存在し、ある学者が慣習国際法を根拠にして容認するべきと主張しても、別の立場の学者から言わせれば国連憲章の解釈から一切認められないとするのが妥当だと発せられる。後は個々の国がどの説を採用するかの問題。民主制なら国民の意識の問題でもある。

他にも有力な説が存在する状態で反する説を唱えるなら、それは答えの出ることのない論争を引き起こすだけでしょう。論争、それはつまり停滞なんです。だから力のある方が行動する。法律などを介して力が拮抗するなら事態が動かなくなる。それが日米政府と沖縄の今です。



個々が抱く素朴な思いを訴える重要性。思いが人の心に大きく響き日米含めて政治的判断に大きく影響するムーブメントになるなら、現状の抑止力に関する説を採用したままでも一つの選択肢、例えば沖縄に新たな基地を作ると言うようなことを選択肢から外し、抑止力を維持できる方策として第二に妥当な案、第三に妥当な案で行こうと言う方向性が両政府の《納得》の元に生まれるでしょう。

更に目的は闘争ではない。世界一危険な基地をなんとかしなければならないと言うのが出発点。反する説を唱えることで停滞するなら政府が採用している説に噛み付くことを得策とは言わない。

主眼をおくべきは如何にして納得の元にことを進めるか。その一つの方法として提示されたのが代替案を示すこと、しかし、アメリカを納得させることはできなかった。新たな提案を見出せない限り、アメリカ政府を直接動かすしかない。積極的に影響するにはアメリカの世論にも影響する必要があると帰結する。

他国民がなす相手国政府への批判は相手国民の愛国心を加熱させる要因になるでしょう。ならば批判は必ずしも得策とは言えない。だから平和運動の前提が敵対や闘争では駄目なんです。

アメリカ国民を如何に味方につけるかが重要。人間は共感する。当事者が抱く素朴な思いを切々と訴えることで大きな意味をもたらす。これは核兵器廃絶でも同じ、核抑止力、核の傘に噛み付き論争と言う停滞を引き起こすのではなく、必要性を認めつつも核保有国の世論に影響することで其々の政府を動かし、より強力な交渉のステージを作らせる。そうすることで核廃絶に繋げる。

もう一つの方法である、「より相手が納得できる代替案を提示することはできない。」これはほぼ確定でしょう。更に、単に自らに都合が良いと言う理由で政府とは別の説を支持はするが、それを唱えて政府が採用する説を否定し考えを変えさせられると言う見通しがある訳でもないですよね。

ならば個々が抱く素朴な思いをアメリカに対しても切々と伝えムーブメントを起こす方向性を見出すのが妥当となるはず。そしてこれは政府が積極的にできるものではない。




俺の立場からは全面的に推奨することはしないが、平和運動はもっと声を大きく世界に訴える方が良い。それに伊勢崎賢治氏が平和運動側から見て「敵はセクシー。」だと言っていましたが、俺からすれば素朴な思いを訴える平和運動は十分セクシーで魅力的で人を引き付けるものだと思う。それはアメリカは元より、中国にすら伝わるはずだ。

軍事・防衛は当然必要。アメリカとの良好な関係性も含め相対的に強固にするべきだが、しかし世界に訴える平和運動も必要なんです。前提はあくまでも反〇〇、敵対、闘争、批判、非難を排除し、例え罪を憎まざるを得ないものだとしても人を憎んではならい。

世界に広がる平和運動は引いて日本の安全保障にも繋がる。つまり武器を前提にした考え方からの解放に繋がると思うんです。


俺はダブルスタンダードを容認する。そして俺自身にも二重基準が存在することを自覚しているが、世界は多面的で画一化はできないと思っているがゆえです。


以上が、正解とは言いません。ただ個人的考え述べたまでです。