American Educational History(続き)

2007年06月19日 | 教育関連話
先日の続き。

建国前あたりのアメリカとNative Americanに初めて触れて、たとえ似たような題材でも、アプローチの仕方でそれは全く違う印象になってしまうということを改めて発見しました。と言うのも・・・

イントロコースのメインテキストになりそうな「American Educational History」を読む前に、薄手のサブテキストらしき別の本を読んでいて、そのテキストは教育絡みの人種差別について書かれたものだったんです。

↓コレ

「Deculturalization and the Struggle for Equality」

この薄手テキストにはアメリカ国内で差別された、または差別されている人種ごとにチャプターがあり、そこに書かれてあったNative Americanたちの迫害状況を読むと、それらは当然気分のよいものではありません。でも「American Educational History」にはそのようなことは一切と言っていいほど載っておらず、一部の歴史が省かれているとずばり言えます。むむむ・・・ この二つのテキストは微妙に教育目的が違うでしょうし、1冊に全てのことを書き記すのは無理があるにしろ、一部は意図的に省かれているような感覚を受けました。むむむ・・・ これって日本の歴史テキストと同じなんじゃ・・・。

物事は様々な視点から見て知り考えなければならんのだなと今回思ったんですが、そういうのはなかなか容易ではないですよね。それをするにはまず時間がかかりますから。一生勉強していこう、と更に意気込みが入ったぞ。フンガー

さて、以前はNative American=追いやられた人種 ということくらいしか知らなかった私ですが、ヨーロピアンたちがNative Americanをアメリカ大陸の端に追いやる前に、まずNative Americanを西洋化する試みがあったようです。(←西洋文化が勝っていて、Native American文化は劣っているという考えの下)当時のアメリカ政府は、Native Americanたちの文化や言語を消滅させ西洋化することにより、彼らを自分たちの支配下に置くことができる、と考えていたわけです。これって昔の日本が他のアジア国にやっていたことと同じなんじゃ・・・。

そしていつものごとく記憶が蘇ってきたクラスが一つ。(←あれやこれやと繋げる人)

とある学期、大学で1単位のクラスを取ったのですが、それはLinguistics(またはAnthropology)のIndependent Studyで、この手のクラスは出席する授業がなく、独自で何かしら勉強し、ペーパーで評価をもらうものです。そのとき自分で学んだこと(リサーチしたこと)は、ブルガリアの政治に関る言語問題だったんですが、戦前当時のブルガリア政府は、国内に住むイスラム系トルコ人にブルガリア言語を強要、トルコ語で行われる教育全てを廃除、そしてTurkish文化全てを消滅させようとしていたんです。これはNative Americanたちが受けた迫害や、アジア諸国が受けた被害と同じ。文化の押し付けといえば、アメリカがここ数年行っているイラク侵略もそれに当たりますよね。


教育と政治は切っても切れない間柄。(何事も実は政治絡みなんだろうけど)
そして人間社会に多大な影響を与える教育分野。(どの分野もそうなんだろうけど)
これは責任重大です。
(別に誰に任されたわけでもないのだが)