Political Agendas For Education

2007年06月05日 | 教育関連話
ID更新ついでに図書館で借りてきた本のひとつは「Political Agendas for Education」。これがなかなかツボな本。前回借りてきた本の一つも、「これがEducational Policyなのだね!」と感動してしまったんですが(その本話はしそびれました)、Political Agendas・・・も、「これこそ私がはまる分野!」な~んて、現在呑気に喜んでいる次第であります。初めのころは図書館に並ぶEducation絡みの書籍たちに圧倒され、何をどう選んだらいいのかわかりませんでしたけども、最近はちょっとばかり選ぶコツを得た気がします。何事も慣れですな。ほほほ

最初の章にかかれてあった中でコミカレ時代が蘇ったものがあり、そしてそれは宗教がらみの教育に関することでした。

アメリカに長くいると、いかにアメリカが「宗教国」だということに誰もが気付かされると思います。自分が日本にいた頃のアメリカのイメージは、TVや映画、音楽などから得るエンターテインメント中心なものだったり、あるいは海外旅行の観光経験から得た、これまた娯楽色の強いものばかりでした。がしか~し、実はアメリカ社会は宗教中心でもあったりするんです。これは私にとって意外も意外、とんでもない事実と言っても過言ではありまへん。とんでもない事実と言うと、なんか失礼ですけども・・・・

アメリカが宗教国だと最初に気付かされたのは、コミカレで一般教養として「Physical Anthropology」を履修していたとき。このクラスではHuman Evolution(人類進化)に関することを習ったんですが、レクチャーの途中、一部、あるいは大部分の生徒への気遣いからか、「進化論に違和感を感じるかもしれないけれど・・・」という教授の言葉があったんです。「違和感?!進化論の何がおかしいのだ?」とそのとき私は心底思ったんですが、「アメリカ人のほとんどは進化論を信じていない」という事実がこの日だけでなく、他から得た情報からもしっかり判明したんです。どひゃー。 「人は神によって創られたもの(Creationism)」を信じるアメリカ人の割合は、調査によってまちまちではあるにしろ、世界で比べても常にダントツ高い数字です。Physical Anthropologyの教授はその数字を出し、「これだけサイエンス化が進んだ現代なのにうそみたいでしょー。」と笑って言ってました。(生徒たちへの気遣いはどこへ行ったのやら)

過去にはいくつかの州で、義務教育で進化論を教えるべきではないとの意見が出、それが元で大論争にもなったようで、ある人の意見では、進化論を(事実として)教えると神の存在を信じる子供たちのモラルに影響が出たり、Hopelessにさせてしまうだとかなんだとか・・・。確かに宗教はモラルを教える部分が強いとは思うのですが、無宗教の私でもしっかりモラルは持っていますし、神抜きではモラルを教えられないというのは、ちょっとおかしく感じます。だいたい想像の世界に偏りすぎるのはよくないんでないの?(いや、彼らには想像でなく事実なのだろうが)たとえば困難に直面したとき、ヘたしたら祈ってばかりでできる努力もしなくなっちゃうんじゃないかとも思いますし。(ぷっ)最悪な例では、病気だった子供が宗教心の強い親のために治療を受けられず(←親はひたすら神に祈り続けていたらしい)、結局手遅れで亡くなってしまったという話をとあるクラスで知りました。サイエンスを信じないばかりに子供を亡くし、それでも自分たちの選択は正しかったと思う親。(ちゅうか、神に与えられた運とか試練というかそんな感じでしょうか?)うーん、怖い。何事にしても極端すぎるのはよくないですね。もっとフレキシブルになりましょうよ~。

こういったことがらを見てみると、アメリカ人がサイエンスに弱い理由がわからんでもないです。だって国や親が子供たちにサイエンスに近づけないようにしているようなものですもん。がしかしそういった面がありながらも、実は冷戦が始まったころ以降、旧ソ連に対抗するためにサイエンスカリキュラムを重視する教育方針が出され、それ以後も何度となく、国際経済競争に負けぬよう、エンジニアやビジネス中心に教育する方針があげられてきているらしいです。(ブッシュのNo Child Left Behind Actもその一つらしい)でもそれらの効果ほとんどなし?あちこちで見かけるArticleなどを見てみても、アメリカはサイエンスに対してかなりの劣等感があるように感じるんですが、冷戦勃発時のサイエンス強化作戦から50年以上も経った今もそれに弱いってのは、なんとも不思議ですよねぇ。やっぱ宗教が邪魔してるんでしょうか?


多分続く。